LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
イギリスで起きた暴動には、度肝を抜かれた人も多かったのではないだろうか?
「えっ! あのイギリスが?」
礼節を重んじる国のように感じていたが、襲撃、略奪、放火をなんら悪びれた様子もなく繰り返す若者たちには唖然とした。
「暴動の背景にはモラルの崩壊がある」と言うキャメロン首相。
それはそうなんだろうが、いったいなぜそうなってしまったのか?


イギリスはもともとが階級社会。産業革命以前は貴族が威張り、産業革命後は資本家が威張りちらした。
イギリスへ留学したことがある人の話を聞くと、どの人に聞いても「アジア系というだけで蔑視された経験がある」と言う。
今回の暴動の中心となったティーンエイジャーのギャングたちも、下層としての不満が鬱積していたのだと思う。


今は若者に「未来への希望」がない時代なのだ。
これはイギリスだけの話ではない。日本もまったく同じだ。
年越し派遣村が注目されたときは、一時マスコミもこの問題を取り上げていたが、今はほとんど話題にすら登らない。
では問題は解決したのか? まったくそのようなことはない。
もっと大きな問題のスキマの中に、隠れてしまっただけだ。


では、いったいどこに根本的な問題があるのか?
これはもう何度も書いてきたことなのだが、
竹中平蔵は、小泉改革の時に、
「日本の行く末は、全員が貧乏になるか、一部の金持ちに引っ張っていってもらうか、どっちかだ」
という、乱暴な二者択一を国民に提示し、「一部の金持ちが引っ張って行く」しかないことを強調したのだが、それで実際どうなったか?
確かに一部の(多くはアメリカの投資家)は金持ちになったが、その人たちは日本人の手を引っ張っていってはくれなかったのである。むしろ足を引っ張って、奈落の底に突き落としたのである。


諸悪の根源は、アメリカが金科玉条に唱える「自由貿易主義」と「金融資本主義」にある。
そのメカニズムはこうだ。


1950年代、アメリカがまだ輝いていた時代、製造業は世界のトップクラスにあった。
ところが、「自由貿易主義」を建前とするアメリカは、70年代くらいから外国の輸入製品に市場を奪われ、国内の製造業がどんどん衰退して行く。
日本はこれによって貿易立国となり、うなぎ上りの成長を続けて行った。(今そのポジションは中国が担っている)
本当は、この時期にアメリカは自国の製造業をもっと保護するべきであったのだ。
ところがそれを野放しにしたために、製造業は衰退し、失業者が増大してしまった。


するとどうなるのか?
消費経済を支えていた「中間大衆」が没落していったのである。
これはフォード・システムがどのように機能して行ったのか、ということの逆を考えてみればよく解る。
フォードは、ご承知のように「T型フォード」という大衆車をベルトコンベアーの流れ作業で生産することによって生産効率を上げ、価格を下げることに成功した。

ford_system

このとき、フォード社が支払う賃金が労働者に冨をもたらし、やがて労働者もクルマが買えるようになっていった。
こうして、生産、労働、賃金、消費の輪が回転し、しだいに作られて行ったのが「中間大衆」である。
そして「中間大衆」はやがて消費の受け皿となっていく。
60年代くらいまでのアメリカの豊かさとは、要するに「中間大衆」の勃興であったのだ。


ところが、
国内の製造業が、製造をやめるとどうなるのか?
労働者は賃金を貰えなくなり、失業者が増大する。
すると、消費の受け皿であった「中間大衆」が縮小し、消費も縮小して行き、経済はマイナスのスパイラルに陥るのである。


ところがアメリカは、国内製造業が壊滅的になっても消費は縮小しなかった。
なぜか?
賃金のない分を「借金」で埋めたからである。
アメリカ人は「借金」が当たり前の感覚になってしまった。
その「借金」の原資を提供していたのが日本や中国である。
日本が貿易黒字で儲けた金が、アメリカ国債を買うという形で、アメリカに還流し、アメリカ人は相変わらず派手な消費生活を続けていたのだ。


アメリカ大衆はそのことの危うさには気がついていなかった。
しかし、指導者層、支配層は、その「借金」をチャラにし、あやよくばもっと儲ける方法を考えた。
製造業が壊滅したのなら、製造しないで、儲ける方法。
早い話が、マネーを右から左に動かすだけで儲ければよい。それがいちばん手っ取り早い。
これがアメリカが考えた「戦略」であり、その手先になっていたのが竹中平蔵である。
日本は、そのカモにされたのである。


90年代に入って「日本式経営は古い!」というムードがなんとなく作られ(実際にはアメリカの戦略に日本の政官業とマスコミが嵌められたのだが)、会社の運営は、それまで一体感のあったものが、


「テーマ」と(何をやるかということ)
「経営者」と(マネジメントをする人)
「投資家」と(マネジメントを監視し儲けを横取りする人)
に分離されたのだ。


投資家にとっては「テーマ」など、どうでもいいのである。思い入れなど全然ない。
自分たちを儲けさせてくれる会社がいい会社である。
「経営者」はそのための小間使いみたいなもの。
投資家を儲けさせる経営がよい経営で、損を出させる経営はダメな経営なのだ。


では経営者はどうやって儲けを出すのか?
手っ取り早い方法は二つ。
地域の拡大(すなわちグローバリズム)と、
コストのカット(すなわち正規労働者の縮小)
であった。


そして、この「考え方」は、今もって変わってはいない。
それは、テレビ報道が、ますます株価の話ばかりになっているのを見れば一目瞭然だ。
しかし繰り返しになってしまうが、賃金を抑え込もうとする政策は、短期的には利益を生み出せても、長期的には購買者を減少させるので、経済はますます落ち込んでいってしまう。
これが、いま世界中で発生している「世界同時不況」の正体なのである。
工業製品の生産性が向上しても、それに見合う消費がないのだ。世界的に中間大衆が没落しているからである。


そこでグローバル企業は、次の大量消費の受け皿を求めて、触手を伸ばす。
それが、中国であり、インドやアフリカのBOP(bottom of the pyramid=最下層)ターゲットのビジネスなのである。
このようにして、強欲なグローバル企業は、目先の利益だけを考えて、世界中を駆け巡り、焼け野原のようにしていくのである。
それを、政官業外電の癒着した機構が、人々を洗脳しつつ、そちらに嵌まり込むように誘導しているのである。


大震災と福島第一原発の事故で、国民の間には、今までの生活を見直そうという気運が高まっていて、
さんざん聞かされてきた「原発がなければエネルギーが足りない」という話も嘘だったことがバレて(けっこうみんな省エネ生活をちゃんとやっているし、使用量も75%とかそんな数字になっているじゃないですか)、
意識が変わってきているのに、


指導層、支配層の意識や、やり方は、なーんも変わらないのだ。
あんな災害と事故を経験しても、まだ懲りないのだ。
産業が儲かれば人々の生活は豊かになるという、竹中平蔵が語っていたのと同じ騙しのテクニックを今でも使おうとする。
そんなロジックが通用する時代はとっくに終わっているし、それが嘘であることが次々と証明されて来ているというのに。
しかし、いずれ転換せざるを得ない、と思い知る時が来る。
問題は、それまでに、世界が持つかどうかだ。
関連記事
スポンサーサイト














管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

imanari munekazu

Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

リンク

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。