LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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学生時代は映画ばかり観て過ごしました。授業にはあまり出ませんでした。しかし学校が理科系でしたので、それでも数学と力学だけはかなりハードにやりました。情けないことに今ではすっかり忘れてしまい、足し算にも四苦八苦する有り様ですが、これらの基礎があって論理的思考法が身に付いたのではないかと思っています。

28歳までは、今でいうフリーターをしていました。ある目的があったからですが、その目的は結局実現しませんでした。将来に希望が見出せず、深い挫折感を味わいました。食べることもままならず苦しい日々が続きました。ウェイター、バーテンダー、カラオケスナックのボーイ、デパートの包装係、彫刻のヌードモデル、映画館のフィルム運び、映写技師などをして糊口をしのぎました。

28歳になって、ひょんなことからデザイン会社に就職できました。職種はコピーライターです。社会に出るのが遅過ぎたのをカバーしようと、死に物狂いに仕事をした結果、短期間のうちにコピーライティングだけでなく、デザインも、企画も、それなりに出来るようになっていました。しかしまだ自分に、自信は全く持てませんでした。

3年を待たず、31歳の時に独立し、今につながる会社を立ち上げました。というと威勢よく聞こえるかもしれませんが、実態は勤めていた会社の社長と意見が合わず、辞めざるを得なくなった、というのが真相です。さあ、どうしよう。失業当初は近所のコンビニでアルバイトでもしようか、と真剣に考えました。

ところが、思わぬことが起きました。失業して悶々とした日々を送っていたときに、辞めた会社のクライアントだったある社長さんから、突然電話が掛かって来たのです。「君が辞めたということを聞いたものだから」と、その社長さんが言われました。そして私に、最初の仕事を下さったのです。

「どうして私に?」と尋ねると、その社長さんは「あの会社で、出来そうな人は君しかいなかったから」と仰られたのです。びっくり仰天です。感謝するとともに、つくづく「どこで、何を、どう見られているか、解らないものだ」と思いました。これをきっかけに、今につながる会社を興したのです。そう、ムボウとキボウは一音違いなのです。

最初の5年間ほどは、グラフィックツールを作る仕事の傍ら、数多くの販促企画を立案しました。来る日も来る日も、企画書を書きまくりました。しばらくして「何か特徴を持たないといけない」と考えて、マーケティングの世界に入っていきました。いま考えるとよくそんなことが出来たなと思うのですが、そこは若さです。何の経験も素養もないのに、突如マーケティングの仕事を始めました。マーケティングというと即「市場調査」と思われる方が多いようですが、私はいきなり「新商品開発」や「新事業開発」のサポート業務から始めました。

ですから、実は私はきちんとしたマーケティングの教育というものを受けておりません。恥ずかしながらすべて独学でやってきたのです。しかし独学で良い点もありました。他の人が打ちたてた理論や、業界常識、言葉といったものを、鵜呑みにしなかったことです。「観たり、訊いたり、験したり」が私のやり方で、そうして納得できたことだけを、「自分の言葉」で語るようにしてきました。

他の多くの業界同様、マーケティング業界でもしょっちゅう「流行語」というものが登場します。しかし私は、「流行語」を使うことに対しては、少なからず抵抗感がありました。言葉というものは「概念」に付けられた名札です。ですから、「流行語」を使うとその語が意味する「新しい概念」までも取り入れたような錯覚に陥りがちなのです。その結果、なんら具体的なアクションを起こすことなく、言葉だけを消費して終わってしまうというケースが実に多いのです。

さてマーケティングの世界に首を突っ込んでしばらくしてから、しだいに流通に興味を持つようになりました。これは後から解ったことですが、メーカー・マーケティングと流通マーケティングは、業界がはっきりと分かれていました。マーケティング・コンサルも、両者で分かれていたのです。出来るだけ高く売りたいメーカーと、出来るだけ安く仕入れたい流通は、いわば仇同士でした。お互いを必要としながらも、まるで仲の悪い夫婦のような関係だったのです。

しかしこれはオカシイと、私は思いました。お客の側からすれば、メーカーと流通のどっちが優位か、などといった話は関係のないことです。お客にとっては、自身の問題解決と、それに対する満足が得られることだけが関心事です。だとすれば、メーカー⇒卸⇒小売といった従来の枠組みを前提としてマーケティングを考えることは、不毛だと思うようになりました。

そこから、購買の接点(=店)を中心に考えることと、客にとって何が「価値」か、ということを追究するマーケティングへと、視点を変えて行ったのです。最初に物ありきで「さあ、どう売るか」と考えたり、逆に今の売場で「売れる商品は何か」と考える視点を捨てたということです。これは後に、『ライフスタイル・マーケティング』の提唱へと繋がって行きました。

「ライフスタイル」に着目したのは、90年代初頭にアメリカの流通事情を視察に行ってからです。当時のアメリカは小売業の一大変革期にあり、従来の「業態店」とは違った新しい提案のお店が次から次へと誕生していました。そのワクワクするような楽しさに満ちた売場、小売業のダイナミズムに圧倒されて、私は日米の彼我の差を痛感しました。そして私は、日本にもやがて「ライフスタイル」時代が来ると、確信しました。

それからの10年間。私は「マス・マーケティング」の対抗軸として「ライススタイル・マーケティング」を掲げ、これを提唱してきました。そして2004年には、それまでの考えをまとめた著書『ライフスタイル発想からビジネスは変わる』を上梓しました。この内容の一端はホームページの別の箇所に記載しましたので、ご興味のある方はお読みください。

80年代末から、企業では「マス・マーケティング」に対する限界論が囁かれ始めており、その解決策として当時、『分衆論』『少衆論』が提示されていました。これは、一枚岩と見ていた「大衆」をある特定の条件や趣味思考、行動様式によっていくつかに分けるというもので、今日「クラスター」理論としてマーケティング業界では一般化されているものです。

しかしこの『分衆論』『少衆論』は、いずれもメーカー・マーケティングが専門である大手広告代理店の研究員による発表でした。そのことから言えば、大衆というパイを上から見て市場を分割していくという発想自体は、『大衆論』とあまり変わりが無かったのです。私はそうではなく、「この指とまれ」と繋がっていく市場のあり方、またその際の「価値」に「ライフスタイル」視点を置く、ということを提案したいと思いました。

しかし私のこの発想法は、大企業(特にメーカー)には向いていません。大企業は、その後のIT革命とグローバリズムの二大潮流に晒される中で、「マス・マーケティング」の限界を、『分衆論』『少衆論』どころか、もっと「マス」になるという方法で乗り越えようとしました。これが2000年代に入って活発化した、国際競争、弱肉強食、合従連衡の動きです。

ところが、2005年以降、また別の変化の兆しが顕れて来ました。ホリエモン、村上ファンドの行き詰まりに象徴されるように、マネーゲームには綻びが見え、利益追求を優先した結果の各種「偽装」問題や、「派遣労働」問題が明らかにされるようになりました。また地球規模での環境問題に対する危機意識もかなり高まってきています。こうした中で、最もしっかりしなければならないはずの政治は混乱し、官僚支配の膿が各所に出始めています。

私は、これらはみな「よいこと」だと捉えています。隠されていたものが表に出る。それによって人々の中に気づきが起こり始めています。ニセモノやサギが横行する世の中で、いま人々は「本当に大切なものは何か」と考え出しています。

最近になり、私は「価値」の提案をもう一歩進め、その価値は「幸福をもたらすものであらねばらならない」と強く思うようになりました。これは追究すると大変難しい課題です。しかしこれまで無条件に「価値」と考えられてきた、「便利であること」「新しいこと」「贅を極めること」「皆と同じになること」などは、見直されなければならないと考えます。

その上で、幸福を考える。幸福を与える「価値」を考える。そのヒントや方法をこれから提供して行きたいと考えています。
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