LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
いま日本の会社では、会社のオフィスに通勤(痛勤?)して仕事をすることが普通になっています。これを多くの人は当たり前と信じ込んでいますが、実はこのワークスタイルは、歴史上では近代以降のたかだか110年間に出来上がったスタイルに過ぎません。

これは産業革命によって「工場」が大規模化した際に、その管理部門が独立して、今で言うところの「Office」となったのです。つまり「Office」は「工場」の成立と並行して発生したものです。こうした成立の経緯があったことから、オフィス労働には「工場」と同じ「労働」観が残されています。

また「労働」という日本語自体も、実は近代以降になって「Labor」の訳語として作られた新しい言葉なのです。労の旧字は「勞」。これは屋根の上の火を消そうとする様子、つまりは火事場の馬鹿力という意味。一方、働はもともと動くという字だったものに「はたらく」という概念を与えて「働」としたのです。

「労働」には、辛い仕事というニュアンスがありますが、これは奴隷制があった西洋から入って来た概念だからです。罪を犯して楽園を追われたアダムには、その罰として「労働」が与えられます。ですから「労働」しなければならない者は、罪を犯せし者なのです。その罰から解放される時間がバカンスです。ヨーロッパ人があれほどバカンスを重視する理由には、そうした宗教的背景があるのです。

しかし近代化以前の日本人の「仕事」観には、こうした西洋人のような概念はなかったと言われています。
一方「仕事」は、「事」に、「する」という意味の当て字である「仕」をくっつけた言葉で、「事をする」という意味。つまり「事をする」ことは、近代以前の日本人にとって全部「仕事」だったのです。

しかし生活全部が「仕事」であったにもかかわらず、近代以前の農民には、今でいう辛い仕事という「労働」観は無かったようです。その要因は大きく3つあります。
1.生活の場と仕事場が分離していなかった。
2.24時間で仕事が規定されるのではなく、季節と天候に合わせて臨機応変に仕事が規定された。
3.組織で働いていないために、課題を自己管理しながら働いていた。
以上の3点です。

ところが、現代のいわゆるオフィスワークは、これとは正反対に、
1.特定の作業所に集まって、
2.一定時間の規律のもとに、
3.分業・協業で働く、
ことを強いられています。それは、「工場」から「Office」へと労働の比重が移る中で、「Office」もまた「工場」と同様の「生産性向上」が目標とされ、「工場」と同様の管理方式が取られるようになっていったからです。

いま「知的生産」の向上のために、オフィスの居心地をよくしたり、IT支援ツールを整備したりすることが流行となっています。しかし根本を問えば、近代以前の「仕事」に見られたこの3つの特徴に立ち戻らない限り、今後も職場ストレスの問題は解決しそうにもありません。なぜなら、それは日本人の身体に受けつがれた「仕事」観のDNAだからです。

ちなみに「レクリエーション」は「Re-Creation」の意味で、産業革命の時代に炭鉱労働者の疲れを癒し、再びクリエイトさせるために考えられた手段です。「労働」の後に「癒し」や「余暇」をセットしてバランスを取るという考え方は、全く無いよりはいいでしょうが、もともとLaborを上手に「労働」に向かわせるための方法だったのです。

私はワークショップで、創造技法を教えていますが、それは知的生産性の向上のためではありません。仕事を楽しくする手法として伝えようとしています。こんなことを言えば、企業からは嫌われるでしょうが、「生産性向上」を第一の旗印に掲げることは、もう思想としては古いと思うのです。それは大量生産・大量消費時代の発想であって、現代ではこれ以上生産性を向上させても、それに見合う消費がありません。

高度成長期の以前と以後では、生産性は実質GDP比較で5倍以上になっています。生活が、高度成長期以前のレベルでもし今も推移していたとしたならば、労働時間が5分の1になるか、お金がなんらかの形で生活費の4倍分溜まっていなければ変です。しかし現実はサービス残業もあるし、庶民の生活はますます苦しくなっています。生産性が5倍にも向上した分は、いったいどこに消えたのでしょうか?

実はこれらは、みな「消費」に回されたのです。現代人は「消費」するために、身を粉にして「労働」し続けなければならないように仕向けられているのです。繰り返しますが、近代の「労働」観は、たかだか110年の歴史の産物に過ぎません。資本主義の中で、我々はそれがさも当たり前のように思い込まされているだけなのです。

ガラクタやゴミの購入のために、本来働けばいい分以上の「労働」をするのはオカシイし、資源やエネルギー問題の観点から見ても、改められるべきことがらです。
拡大と競争と過剰な新商品開発をやめれば、本来の人間的な生活が返ってきます。「経済成長こそが人間を幸福にする」という、国や産業界が導くウソには騙されないようにしたいものです。
関連記事
スポンサーサイト














管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

imanari munekazu

Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

リンク

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。