LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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「テレビは終わった」
先日も、【GARI GARI CLUB】に集まった面々は、口々にそう語っていた。
「俺たちが子供の時には、まさかテレビが終わるなんてことは考えられなかったけどね、でも本当にそういう時が来たんだねぇ」と、レコードプロデューサーのK氏は、感慨深げに言葉を発した。

テレビの終わり。と言っても、なんのことやら、解らない人にはさっぱり解るまい。だって、今日だって、ちゃんとテレビは放映されているしさ。なんにも変わりないように、見えるもんね。
もちろん不景気で、広告収入が減っているという現実はある。しかし、「テレビの終わり」という意味は、そんなことを言っているんじゃないんですよ。
価値の崩壊のことを言っているんです。

しかしそう言うと、必ず「腐っても鯛」のようなことを言い出す人がいる。
先日も、ある人が、
「テレビは終わったなんていう人がいるけど、テレビの影響度はやっぱり凄いものがある。私の知り合いのお菓子屋さんが、ちょこっと紹介されただけで、一日で200万円売り上げたんだから」
と語っていた。

確かに、そういう影響度はあるだろう。それは否定しない。森達也さんも「視聴率1%は100万人」を強調するし、ホリエモンさんも「テレビのリーチの深さ」からフジテレビ買収に動いたのだと言う。だから、そこに価値を見出す人はそれでいいのである。その人たちにとっては、テレビというものの価値は、結局のところ「一度に大勢の人に伝播する力=視聴率」にこそあるわけだ。

しかし、自分などが先ず思うのは、「知られることは、即、価値なのか」ということである。先のお菓子屋さんのことで言えば、かつて、こういうことがあったのである。
80年代にマガジンハウスの『Hanako』という雑誌が、ヤングOLの市場を席巻したことがあった。『Hanako』はおしゃれなスポットをいち早くOLさんたちに伝えるトレンド情報誌として、その後のお店紹介の形をつくったと言ってもいい。

その影響力は非常に大きかったので、『Hanako』への掲載を望む飲食店が一時激増した。しかししばらくすると、逆に、取材拒否をする店も増えて行った。なぜかというと、これら『Hanako』の読者はトレンド・ハンターであって、お店のリピーターにはなってくれないのであった。

一方で『Hanako』は、次々に新しいコンセプトをOLに提示しなければならなかった宿命から、ついにはオヤジ連中の行きつけの店にまで、その領域を広げて行ったのである。焼き鳥の煙がもうもうと立ち込める店でも、『Hanako』が紹介すれば、それはちょっと冒険気分で出かける、違いが解る女の、新しい楽しみの場であった。

しかしこれが、老舗の店主にはすこぶる評判が悪かったのである。それらの店は、すでに常連客が居て、新しい客など必要としていなかった。それなのに、一見(いちげん)のOLがワッと押し寄せ、常連客を追い出してしまったのである。常連客の方は、店の雰囲気も変わってしまうし、店主が心変わりをしたのかと思って、しだいに行くのが遠のく。

ところがしばらくすると、OLたちはサーっと潮が引くように居なくなり、かといって常連客も戻らず、店はそれで大打撃をこうむったのである。これは私が実際に、渋谷の焼き鳥店で当時、店主から聞いた話だ。
つまり、「知られる」ことが、逆に価値を破壊する場合もある、ということを言いたいのである。

メディア(media)には、ビークル(vehicle)としての価値とともに、コンテンツ(contents)としての価値もある。
ビークルとは乗り物という意味だが、一般にメディアという言い方はこのビークル機能のことだけを指していたり、ビークル+コンテンツのことを指していたりとあいまいなので、広告業界ではこれを区別して使っている。
つまり、

メディア=ビークル+コンテンツ

である。コンテンツとは商品であり、ビークルはその流通経路という位置づけである。
今のテレビ局は、自分のところでは商品(コンテンツ)をほとんど作っていない。商品は外注先が作っている。
つまり今のテレビ局は、「電波利権に守られた流通企業」なのである。
そして民放の場合、その利益構造は広告収入によって賄われているため、利益を上げるには、次の二つの方法を追求することになる。

それは、広告収入を吊り上げるか、コンテンツに掛かるコストを引き下げるか、である。
前者のためには、広告が価値あるものだということを示す必要がある。それが、「利権=希少性」と「伝播力=視聴率」になっていたのである。
また後者のためには、ひと山いくらで、有名人タレントを確保できる「お笑い系」が重宝されるようになったのだ。(この辺りの事情は、3年ほど前、ダンディ坂野さんと新宿で呑んだ時に、彼からお聞きした)

さらには、視聴率の喰い付きを良くするためには、人間の基本的な欲望を刺激した方が手っ取り早いので、喰いたい、痩せたい、戦いたい、貶(おとし)めたい、というコンテンツばかりになって来ているのである。
しかしこれでも不足と考えるテレビは、森達也さん言うところの「どんどんONにする」手法を繰り出して来る。

私は、昨年8月民放で放映された、池上彰さんの終戦特集のスペシャルを観て、ホトホト呆れたのである。池上彰さんという人は好きだが、構成・演出がヒドすぎた。アウシュビッツを取材に行くのに、かわい子チャンタレントを連れて行く。(なんで?)しかも現地でクイズ形式で番組を進行する。(なんで?)さらには途中で、グルメレポートも差し込むのである。(なんで?)いったい全体、何を見せたいのか?

スポーツでは、アナウンサーの絶叫に、さらに「ゴーーール!」などという文字を被せるのが当たり前になった。CMの前後では、同じ映像を繰り替えし流したり、バラエティではオムニバスの話題になると、肝心のところで別の話題に切り替えたりと、まー、引っ張ること、引っ張ること。
こんな曲芸が余りに過ぎるので、嫌気がさした視聴者はどんどん民放から逃げ出しているのである。実際、私の周囲では「NHKしか観ない」と語る人ばかりになってしまった。

一方NHKは、地上波2チャンネル、BS3チャンネルの計5チャンネルを持ち、教養番組から、「えっ、こんなのNHKでやっていいの?」と思うようなエロネタやバラエティまで、ものすごく幅広い品ぞろえとなった。こうして、コンテンツだけに目を向ければ、いまやNHKの独り勝ち、独走という状態になっているのである。

民放の劣化は、主として営業構造の環境激変(インターネットの登場と、番組の録画視聴の一般化)から来ている。だがNHKも含めて言えば、コンテンツの信用度の劣化という問題が大きいのである。しかしこれは視聴率のように数字で測るわけにはいかないので(やろうと思えばできるのだが)正式な議論として、出てこないだけの話なのである。

昨年暮れのある忘年会で、私の目の前に座った主婦がこう言った。
「もう、最近のテレビって本当にヒドイわよね。NHKまでもが、海老蔵だよ!」
自分も同感だった。海老蔵氏がどうしようと、私の生活とはなんの関係もない!
さらに言えば、小沢一郎氏の証人喚問問題だって、どうだっていい争点である。
そんなことよりも、政治では、いま早急に手をつけなければならぬ問題が山積しているではないか。

要するにこうした報道は、もっとも重要な点から国民の目を逸らすための、政官業外電(外電は、外資と電波)が結託した、意図的な情報操作なのである。
乱暴に言ってしまえば、「1%100万人」という価値は、大衆操作に使える(と思っている人々の)価値であって、ジャーナリズムの信用度の価値ではない。テレビ報道の信用度は、すでに崩壊しているのだ。

嘘だと思うのなら、こういう思考実験をしてみて欲しい。昔ならクーデターを起こした際には、政府機関掌握と同時に、必ず放送局を押さえた。しかし今それをしたとして、果たして意味があるだろうか? ない。なぜなら、個人メディアの方が、信用度がより高いように思える時代になったからだ(完全に高いとまでは言わないが‥‥)。なにしろ携帯電話で動画まで送ることができるんだよ。

小沢一郎氏は、検察審査会から「起訴相当」の議決を言い渡されたとき、その意見表明のメディアとして、インターネットの「ニコニコ生放送」を選んだ。このことは、故佐藤栄作元総理の「新聞は出て行け。私はテレビに話す!」と言った記者会見を思い出させた。このときの佐藤栄作総理は、信用度の点から、新聞ではなくテレビを選んだのである。そのテレビに、もはやかつての信用度はなく、小沢一郎氏はインターネットを選んだのだ。

年末に起きた二つの事件は、極めて象徴的だ。一つは尖閣諸島の中国漁船衝突事件、もう一つはウィキリークスの機密情報漏洩事件である。この両者とも、ニュースの発端はインターネットであった。テレビはそれを後追い報道した。しかも、私が解せないのは、その情報漏洩が法律的に是か非かという議論があるさなかで、NHKまでもが、同じ映像を何度も何度も繰り返し流し続けたことである。まるで(もう、流出しちゃったんだから、いいよね。他局に出し抜かれないようにしないとね)と言わんばかりである。

これって、根本的におかしいと思うのだ。報道するなら報道するで、自局の見解を表明すべきではないだろうか。ウィキリークスや海上保安庁職員の行動に賛同するのか、しないのか。ウィキリークスの代表は逮捕されたし、海上保安庁職員は職を失ったのである。では、そのまた流し(また聞きという言葉はあるが、また流しという言葉ははじめて使った)をしたテレビには、いったいどういう覚悟があったと言うのだろうか。

だから、テレビはもう信用できないのである。
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