LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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新橋でイベントがあり、お付き合いで参加した。一次会が終わり帰ろうとすると、Nさんが「白いばらへ行こう」と僕を誘った。白いばら? ウワサに聞く銀座の老舗キャバレーで、一度行ってみたいとかねがね思っていた場所ではあるのだが‥‥。

貧乏に転落した僕には金がない。それでなくても、一次会で7,000円も使ってしまったのだ。これは痛い。食事代3,500円という話だったのに、ブランド日本酒をガンガン頼むものだから、割り勘にしたら結局当初予算の倍になってしもうたがやー。あいたたた。一日の生活費は1,000円以内に納めると決めているので、一週間分が吹き飛んでしまった格好だ。

「行きたいけど、お金がないので、行けないです」と言ったら、Nさんが「奢るよ」と言ってくれた。Nさんは東京生まれの東京育ち。親の代から裕福で、芸者遊びからキャバレーまで、なんでもござれの粋人だ。蟻が鯛なら芋虫くじら。へい旦那、ごちそうになりまっせ。

入店したら、10時のショータイムがちょうど始まったところだった。2階席に案内されてしまったので、よくは見えなかったのだけれど、ショーはとても洗練されていて、ワクワクした。「あー、オイラが最も好きなものは、やっぱりレビューなんだ」と、改めて実感した。道を誤ったなー。レビューの演出家になりたかったなー。仕方ないね、来世にとっておくか。

小学2年生くらいのころ。僕は、いくつかの映画に出会い衝撃を受けた。その後の価値観までもが、このころに観た映画によって教育されたと言ってもいい。『ガス人間第1号』では恐怖、『キングコング』で哀切、『ビルマの竪琴』で慈愛、『無法松の一生』で男気、『接吻泥棒』で諧謔、そしてMGM『水着の女王』で華麗さを知った。以来、レビューが何より好きになったのだ。理屈じゃなく、もうワクワクするんだな。

今を去ること36年。20歳で東京に出てきた僕は、銀座の『日劇ミュージックホール』に足繁く通うようになる。これは『楢山節考』を書いた深沢七郎が好きだったので、七郎がギター弾きをしていたという『日劇ミュージックホール』とはどんなところなのか、と偵察に行き、以来病み付きになってしまったのだ。

観劇の料金は決して安くはなかったが(本体の日劇よりも倍くらい高い)、それでも金をひねり出しては観にいった。だから、日劇が取り壊され、『日劇ミュージックホール』もなくなってしまったのは、すごく悲しかった。
ホールの入り口は日劇正面の真裏にひっそりとあって、そこから鉄格子の開閉装置が付いた古いエレベーターに乗り4階まで上っていくと、そこには別世界が広がっているのであった。あゝ、あの古めかしい感じが懐かしい。

この『日劇ミュージックホール』、ウリはパリのムーランルージュを真似たトップレスのダンスショーで、さながら紳士の社交場とでも言うべきか。そこにハタチの青二才が通っていたんだからねぇ。
さほど大きくはない劇場の舞台をダンサーが往来すると、客席にふわーっと香水のかおりが流れてきて、もうそれだけでうっとりした気分になっちゃうのよね。ちなみに当時のトップスターは、舞悦子であった。舞悦子様、今はどうされておるのでしょう。

実はこのころ僕は、『日劇ミュージックホール』の振り付けもやっていたという振付師の樋口四郎さんのバレエ教室に出ていたのね。バレエは結局1回だけしか授業を受けなかったけれど、なぜか横浜のご自宅までうかがって一緒に酒を呑んだりした。このとき、ジプシーローズの旦那さんだった正邦乙彦さんにお会いしたのである。なんかギリギリの昭和史って感じだなぁ。

で、『白いばら』。
いいんだよな、これが。
そしてやっぱり昭和の香りが残っているんだよ。
そこにいる女の子は、みんな平成だけれどね。
ぜひまた行きたいなぁ。

白いばら
↑名刺の掲載、許可とってありまーす。みくちゃん、みさちゃん、あみちゃん、メロンちゃん、ありがとう。

白いばら』の記事と写真はこれ↓
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090124/trd0901241730007-n1.htm
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