LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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■オイラがマーケティング・コンサルになったわけ
マーケティング・コンサルの仕事を本年3月をもって辞め、引退することにいたしました。これまで、お仕事等で私を支えて下さった方々、また教えを下さった方々に深く御礼申し上げます。永い間、どうもありがとうございました。

私の父は54歳で当時勤めていた市役所を辞めましたが、私はそれよりも1年長く、引っ張ってしまいました。でも、この辺りが潮時だと思います。
マーケティングに関わるようになったのは20年ほど前ですが、ズルズルと移行して行ったので、それが本業であったという実感も実のところあまりありません。

私はマーケティングを、全くの独学で学びました。4Pだとかランチェスター戦略とかポートフォリオとか、一応お勉強はしましたが、う~ん、どうでしょう。ああいう古典が現場で使われているという話はあんまり聞いたことがありませんでした。マーケティングの世界も日進月歩で、流行がどんどん変わる。でもそれは「流行」で、本当のところは、なーんにも進歩なんかしていないのかも知れません。

私はそもそも「商売」に疎く、足し算も出来ず、物欲がまったくと言っていいほどなく、「流行」にもほとんど関心がありませんでした。冬などは、恥かしい話、ワンシーズン同じフリースの上下で過ごしています。でもそれじゃあんまりなので、お客さんのところへ行く時は、一応オシャレのようなことをして誤魔化していました。早い話が、最もマーケティング・コンサルという職業に向いていない!

そういう自分がなぜマーケティング・コンサルなんぞになっちゃったのか? それは、「真理」や「美」に対する探究心が人一倍強かったからです。例えば自分ではオシャレはしなかったけれども、ファッションはとても好きで、服飾史などは普通の人よりもずっと詳しかった。あるいは食の贅沢には興味はなかったけれども、料理が大好きで「味」も解っていました。またデザインに関しても、デザイナーよりもずっとよく知っていたし、やらせれば上手かった。芸術、科学、数学、宗教、職人を自分が好きなのは、表現こそ違え、これらがみんな「真理」と「美」の追究をしているからでした。

この「真理」と「美」の追究という興味が、ある期間、自分にとって最も苦手な「物が売れるということは一体どういうことか?」という点に向けられたわけです。苦手だからこそ、また知らないからこそ、探究心が湧いたということでしょうか。それと自分には、ある強みがありました。私が物心ついたころは、ご飯はまだ薪で炊いていました。それがガスになり電気釜になりIHになりと、その間の変化を全部見ている。

同じように自動車も走っていませんでした。テレビも洗濯機もなかった。インスタント食品もなかった。ファミレスもスーパーもコンビニもなかった。パソコンなんてあるわきゃない。とにかく、今の時代とはまったく様相が違っていました。その変化をずーーーっと実見してきたので、あらゆる分野のマーケティング史が、頭の中にスッポリ入ってるんです。それだけでなく、その変化の理由というものを分析的に、また関連付けて説明できる。まあ、一種の特技です。

そのせいもあって「流行」には興味はなかったけれど、今がどういう時代で、近い将来にどうなるのか、という「時代感覚」のキャッチに関しては、自分は絶対的な自信を持っていました。ですから、その「時代感覚」がズレたときが「この仕事を辞めるときだ」と、そう考えていました。

■見え過ぎちゃって困るの
昨年、ある機関から頼まれてワークショップの講師をしたときに、終了後のアンケートに、参加者から「古い」「ロジックがない」「データがない」と書かれ、その講師をクビになりました。このときに「引導を渡されたナ」と思いました。引退の潮時です。では自分の「時代を見る目」が、本当に腐ってしまったのでしょうか? それを自己判断すると、気分は<マスプロアンテナの広告>なんです。お若い方は知らないでしょうから、下に貼り付けときましたからね。観てちょうーだい。財津一郎。



(このCMを久々に観て、モデルさんの服がシースルーなのは、雷小僧にオシッコを掛けられたからだと知った。素晴らしいアイデアですねぇ。子供の頃は、シースルーばっかりに目を奪われて、ストーリーを理解していませんでした。ちなみに、この踊っている人は藤ミツ子さんと言い、歌は口パクなのね。CMソングを歌っているのは伊藤アイ子さん。いとう愛子という別名でカンツォーネなんかを歌っていた実力派の歌手なのよ。)

と、そんなことはどうでもいいんだけど、
「あんあ、見え過ぎちゃって、困るのー」
というのが、現在の自分にピッタリの心境なんです。

ああ、見え過ぎちゃって、困る ―― 。
今が時代の転換期だということは、皆さん感じておられるでしょう。アメリカでも日本でも政権が交代しましたし‥‥。
ところがこの転換期には、古いものと新しいものとのオーバーラップが起こるんです。ある日突然に変わるわけじゃない。古いものが徐々にフェードアウトして行き、新しいものが徐々にフェードインしてくる。その時に、古いシステムで利益を得ていたところは、その権益を持続させようとして頑張っちゃうんです。だからそういうポジションに居る人に、いくら「次の時代はこうだよ」と言っても、そんな考えは役に立たない。逆に、古い、ロジックがない、と見られてしまうんです。

■資本主義 ―― その「終わり」の最終章
先日も講演を頼まれ、オーディエンスは誰かとお聞きすると、外資のたばこ会社だというのでお断りしました。「たばこ」なんて、マスの権化のような産業です。自分は15年前から<マスに未来はない>ってハッキリ言っている。その私のところに「将来へのヒントを語ってくれ」って言ってこられてもねぇ。「話しても、どうせ役に立たないだろうし、きっとオーディエンスが怒り出すと思いますよ」と言ってお断りしたんです。

でもそれほど、マス産業は必死になっている。巨大金融機関が破綻する。保険会社が政府の救済を受ける。自動車会社が潰れる。航空産業が傾く。マスコミも大赤字。百貨店も青息吐息。これらを景気循環の下降局面だと思ったら大間違いです。これまでのような形のまま延命することは有り得ません。景気が上がれば立ち直るというものではないんです。これらはみな20世紀型産業の、もっと言えば資本主義の「終わり」の最終章を示しているんです。

でもこうした「真理」を、マスコミは伝えません。なぜならマスコミも、その名の通り「マス」だから。マス産業からの広告収入によって自分も成り立つという営業構造です。だから自分たちが生き残っていくためには、これまで同様20世紀型マス産業に頑張って貰うしかない。それで、「終わり行く産業」に味方し、応援するエスカレーションを繰り広げているんです。そうするしか、もう手がないんです。

自分はもう民放テレビは観ません。アホくさくて。すべてにおいて仕掛けられていることが透けて見えちゃう。新聞も止めます。ウソとデタラメで故意に大衆を誘導しようとしている。こんなものジャーナリズムじゃありませんよ。有識者と称してマスコミで発言している人々も、大部分は「真理」を追究しているのではなく、最初から自分の立ち位置を決め、自説の色眼鏡を通して、現実の事象を歪めて解説してるだけです。

■「経済学」がなぜ無力なのか?
この10年ほどは、マーケティングの上位概念である「経済」を勉強しようと思っていろいろ調べてきましたが、結果として解ったのは「経済学」など現実の役に立たないということです。もしも「経済学」が真に機能するなら、現実の世の中がもっとよくなっている筈です。でも実際は逆です。どんどん悪くなっている。経済学者とか経済アナリストと称する人々も、やはり自分のポジションから、大衆を誘導しようとデタラメを発言しているだけなんです。

「経済学」がなんで現実の「経済」をコントロールできないのか。これは実は、しごく簡単なことだったんです。経済学者は、「結果」を「原因」に履き違えているんですね。経済活動の結果は、マクロの数値として現れます。すると学者はそれを逆算し、原因をやはりマクロの数値として解き明かそうとします。その過程の因果関係を「発見」して、適当な説明を付け加えて煙に巻いているだけなんです。

財政出動とか金利や貨幣量の操作に全く意味がない、とは言いません。でもそういう操作があんまり効かなくなっている。それは経済活動の元、真の原因が違うところにあるからなんです。
それは、人間の「欲望」、「欲得」です。
物を買いたい、リッチになりたい、オシャレをしたい、旨いものを喰いたい、いい家に住みたい。そういう「欲望」が経済のもう一つの、重要な出発点になっているんです。
でも今の「経済学」は、そこに切り込めない。

新自由主義者から転向した中谷巌氏は、「人と人とがお互いに接触し、お互いを信頼し、喜怒哀楽を共にする、そういう小さな社会の体系を経済学は全く議論していないし、できない」と述べています。ここでは「小さな社会体系」の出発点を「信頼」とか「喜怒哀楽」という、どちらかというと「善意」に置いているのですが、これをひっくり返すと「欲望」という面が顔を出すんですね。いやむしろそちらの方が、経済を動かす力としてはずっと強い。その意味で、イトーヨーカドーの鈴木敏文氏が「商売は経済学ではなく心理学だ」と言ったのは全く正しいです。(氏の経営理念を自分は支持しませんが)

要するに「経済学」は、貨幣や金利をいじくることはできても、「人間の欲望」をコントロールすることはできないんです。サブプライムローン問題を契機に、「強欲」(英語ではgreed)という言葉が流行りましたが、現在のような転換期で、欲望のエスカレーションが起きているのは、謂わば電球のフィラメントが切れる前の一瞬の輝きに過ぎないんです。ところが人間はバカだから、それが解らないんですね。

2009年の業績不振から、今期F1撤退を表明したトヨタ自動車の2008年3月期の連結経常利益が、過去最高の2兆4千億円というとてつもないものだったことを、思い出してみて下さい。過去最高で喜んでいちゃダメだということです。それは危険信号なんです。歪みのエネルギーが過去最高に溜まったということなんですよ。ドバイではまさにバベルの塔が造られていたのを思い出して下さい。バベルとはバブルのことだったのです。

■オイラの理想の仕事感
自分には、理想の仕事感というものがあります。
それは、
「自分のやりたいことが行なえて」
「他の人の役に立ち、喜ばれ」
「それでいくばくかの報酬を得て、生活が成り立たせてもらえる」
という、3つの要素の和として捉えるものです。

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さらにこれを拡大したものが、企業活動であり、産業であるべきだ、という視点です。

ところが、過去15年、greedが幅を利かせるようになって、世の「仕事感」は次のようになってしまいました。
「金持ちの成功者を目指し」
「そのためには、金のあるところを狙って奪い」
「他を追い落として、生き残りの競争に勝て」

kinnennosigotokan

この「思想」に大衆を感化させるために、自民党や経団連や経済学者や株屋やマスコミがこぞって、大衆扇動に動いたんです。ホリエモンをスターにする一方で、派遣労働者やパート労働者を増やしていったんです。
なぜ? 損をさせる人を増やすために。

お砂場で山を作って遊びましょう。山を作るには、周囲から砂を掻き集めなければなりません。真ん中に山ができたとき、目立たないけれど、周囲の高さは元の高さよりちょっと減っています。山を高くするには、周囲を深く掘ればいいんですが、それでは穴ぼこが目立ってしまいます。つまり気づかれちゃう。そこでどうするか。お砂場の大きさを広げるんです。掻き集める場を拡大する。これがグローバリスムです。薄く広く、気づかれないように損をさせるのがグローバリスム経済。

マネーの世界は所詮ゼロサム(どこかが上がると、どこかが引っ込む)なのに、あたかも参加者はみんな儲かるようなことを言って騙し、損をするための人材を、国家が先導して扇動し、引き摺り込んでいたわけです。(小泉政権の時のTさんは、「国民みんなが貧乏になるか、それとも一部の金持ちに引っ張っていって貰うのを選ぶか、どっちかだ」って言ったんですよ。悪魔的詐欺師ですよ。)

■「真理」探究の空しさ ―― でもオイラは続けるよ
20年間やってきて、自分がつくづく感じることは、大多数の人々は「真理」探究になど興味がないということです。人々の関心事は「流行」。次の「流行り物」だけが関心事であって「真理」などではない。「真理」じゃ金にならない。「流行」を作って市場を動かし、あっという間に陳腐化させる。そこにみんなが精を出して働いている。他ならぬマーケティングも。だからある意味、「流行」を求めたい大衆と、それを動かす詐欺師とが、需要と供給の関係でバランスがとれちゃってるんですね。皮肉な現象ですけど。

ココ・シャネルはこう言いました。「私は流行を創っているわけじゃないの。スタイルを創っているのよ」。VANジャケットの石津謙介さんも流行を創ろうとしたわけじゃなかった。アイビールックとYoung at Heartのライフスタイルを創ろうとしたんです。でもVANが儲かり始めたら、「流行」にしたい人たちが周囲にいっぱい居て量産に走り、結局は倒産させてしまった。悲しいけど、そんなもんなんだよなー。

マーケティング業界の近年の流行り言葉に「囲い込み戦略」なるものがある。自分はこれがどうしても言えなかった。これまで一度たりとも、それを提案した事はないです。それは、<自分が嫌だと思うことは他者に対してもしない>という自分なりの不文律があったから。自分は囲い込まれたくない。だからそれを他者に対してもしない。まあマーケティング・コンサルとしては甘いというか、失格なんざんしょうね。ということで、辞めることにしたざんすよ。やっぱりそれを言っていかないと、今は商売にはならないから。

自分の居場所は、もうマーケティングの世界じゃない、と思いました。自分が感じる「時代感覚」とか「時代性」、「真理」「理想」を言うのには、今のマーケティングじゃダメ!ダメ! ここには自分の居場所なんかない。そこで、これからは自称「映像作家」で行くことにしました。作家にならないと、もう表現しきれない。

■『One マーケティング』の提唱へ
マーケティングに関しては、(仕事は辞めますが)これから『One マーケティング』というものを提唱するつもりです。この「One」はナンバーワンのワンではなくて、全体で一つという意味の「One」です。それが意味するところのコアは3つあり、
「利他」‥‥ 他者に役立つことを第一義に、
「知足」‥‥必要以上に欲張らないで、
「善循環」‥‥ 関係するものが皆分かち合い、生活が成り立つようにする。

を目指すマーケティングです。

これは、現在の
「利己」‥‥ 自分の利益追求を第一義とし、
「拡大」‥‥ あくなき成長を求め、
「競争」‥‥ 他者を蹴落とし勝者となって、自分だけが生き残る。

を当然と考えるマーケティングのあり方の、対極を為すものです。

この『One マーケティング』の考え方そのものは、実は3年前から自分の中にあったんですが、いつも自分は早過ぎるので、寝かしておったのです。三年寝太郎です。というのはウソで、本当は今まで言う勇気がなかったんですな。今は「なに寝ぼけたこと言うてんねん」と思われるかもしれませんが、10年後にはこの考えが、かなり浸透している筈です。また、そうでないと、この世はもちまへん!

そこで、近くこの考えを普及させるための「One マーケティング研究会」を立ち上げます。呼びかけはこのブログでしますので、ご関心ある方は参加してくださいね。志に共感して下さる方であれば、国籍年齢性別資格等一切関係なしです。ただの飲み会になってしまうかもしれませんが、『One マーケティング』のテーマに沿って話し合いを持ちましょう。

それでは、よき未来の構築を目指して、これからもお互いに努力して参りましょう。
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