LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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BSのワールドニュースを見ていますと、毎日のように「ヨーロッパの信用不安」という文言をアナウンサーが発しています。
あまりに連発されるので、「信用不安」という一つの単語をあまり意識せずに受けとめてしまうのですが、でも「信用不安」って、一体どういうことを言っているのでしょうか?


「信用」が「不安」になっているわけですから、「ヨーロッパの信用不安」と言うときには、その前には「信用」というものがアプリオリに在るというのが前提になっています。
ではその「信用」とは、何だったのでしょうか?


あの人は「信用」できる、この人は「信用」できない、というときの「信用」は、簡単に言えば「嘘つき」かどうか、ということになるのではありませんか?
「約束を守らない」とか、「借りたものを返さない」とか、この中には、意に反して結果的に「嘘つき」になってしまったというものも含まれます。


では、最初から「約束を守らない」つもり、「借りたものを返さない」つもりになっていることを、世間では何と言っているでしょうか? 「詐欺」です。
「ヨーロッパの信用不安」と言うとき、これは意に反して「嘘つき」になりつつあるということなのでしょうか? それとも「詐欺」だったのでしょうか?


この線引きは曖昧です。そして、敢えて曖昧にするために、業界で「信用」という言葉を使っていると、私は思います。
「金融」というものは、最初から内部に「詐欺」的仕組みを内包したものだからです。
他ならぬ「貨幣」がそうです。


物の流通は、もともとは物々交換でした。でもそれでは不便ですので、その仲立ちをするものを人間が考え出した。それが「貨幣」です。
そして「貨幣」も、最初は仲立ちとしての役割を確実に持てるようにと、それ自体に価値がある稀少金属が当てられました。それがやがて「紙幣」になり、ついには、ネット上を行き来する「数字」に変わった。


つまり「紙切れ」を「価値」と思い込む、次に「数字」を「価値」と思い込む過程の中で「信用」というものが増大していったわけです。
仮にいま、古代人がニューヨーク証券取引所に現れて、電光掲示板の数字を見たとしたらどうでしょう? 彼はそれを「価値」と思うでしょうか? それよりも鮭の一尾でもあれば、そっちの方を有り難がるのではないでしょうか?


「信用不安」というのは、味方を変えれば、「紙幣」が「紙切れ」に過ぎないこと、「マネー」が「数字」に過ぎないことに、気が付かされるということなのです。
「金融」の世界の洗脳が、解かれるということなのです。


実際に金融というものは、さまざまな「信用」、つまり無いものを在ると思い込む仕組みの上に成り立っています。
貨幣を造ったこと以外にも、銀行取引の制度そのもの、銀行の貸出によって通貨供給量が増加してしまう仕組み(なんとこれを「信用創造」と言う!)、複利の発明、債券販売の発明、債券取引市場の発明、中央銀行制度の発明、等々「信用」の上に「信用」を重ねることで肥大化してきたものなのです。


これらが、どうも危うくなっている。
それが世界経済の危機の本質であり、「信用不安」というものの正体なのです。
要は、無いものを在ると思い込む巨大な仕組みが崩れそうになっている。バベルの塔の物語とは、バブルの塔の物語なのです。
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