LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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自分は工業高専を出た。幾何はまあまあだったが統計はサッパリだった。1回目の授業で「お呼びでない」と認識し、以後1回も出なかった。というわけで、申し訳程度にあった教養科目の『経済学』も、統計が解らないためにたった1回でご遠慮させていただいた。そんな自分が将来、統計データ解析などもこなすようになるとは、夢にも思わなかった。やろうと思えばやれるということか。

8年前、苦手な『経済学』を少し勉強しなくてはいけないと思い、一念発起して何冊かの本を集中的に読んだ。それで解ったことは、結局「『経済学』はサッパリ解らない」ということだった。ナサケナイ。

自分が知りたかったことは、端的に言えば「『経済学』がどういう役に立っているか」ということだった。『経済学』の歴史や理論を知識として知りたいわけでは全くなかった。しかしいくら本を読んでも、その問いに対する回答は得られなかったのである。

上っ面だけに過ぎないが、サーっと眺めてみて、自分に理解できたことは次のことくらいだった。
(1)『経済学』にも、家元制度のような「流派」があること。
(2)しかもその「流派」の主義主張は、お互いに真反対だったりすること。
(3)意外と統計データなどは活用しておらず、歴史にも学ぼうとはしていないこと。
(4)経済学者は自分の思い込みを最優先しており、それに沿って事実を都合よく解釈してしまうこと。
(5)経済学者を政治的ブレーンにしても、必ずしも経済の舵取りはうまくいかないこと。

自分は長年マーケティングをやってきたので<データや事象から何かを読み取る>といういわゆる帰納的なアプローチを中心にやってきた。ところが経済学はどうもそうではないらしい。特に今の「新自由主義」経済学者は、それを「よい」とする強固な思い込みがあって、その理論のために過去事象やデータを都合よく組み立ててしまう。これが、真に学問的態度と言えるのだろうか。

マーケティングの世界に、有名な『アフリカのサンダル』という寓話がある。あるビジネスマンが、アフリカにサンダルを売りに行った。現地に着いてみると、人々はみんな裸足だった。ビジネスマンはびっくりしてしまう。これを、「全く市場性がない」と考えるか、いや「大チャンスだ」と捉えるか、180度違うというお話である。データや事象というものは、常にそういう解釈の曖昧さを含んでいる。

『経済学』を勉強しようと思ったとき、最初に読んだ本は、忘れもしない『経済ってそういうことだったのか会議』(2000年)であった。学術書の類はどうせ理解できないと思ったので、試しに平易な入門編を読んでみようと思ったのだ。この本は、竹中平蔵さんとコマーシャル・ディレクターの佐藤雅彦さんとの対談形式をとった、異色の本であった。

内容は全く覚えていないが、「経済」を平たく説明しようとするその姿勢には、大変好感が持てた。竹中平蔵さんはこの本をきっかけにブレークしたと思う。小泉内閣に入る直前には、あのハマコーさんまで「経済を解りやすく話してくれる適任者がいる」と絶賛していたのだ。

竹中さんは、テレビに出るようになると、自分がなぜ経済学者になったかという点について、高校時代に恩師から「『人々を幸福にするような仕事をしなさい』と言われたことが強く心に残ったから」と幾度か答えていた。この点でも、自分は大いに期待感を持っていた。

それが、「どうも違う」と最初に思ったのは、ある民放の番組を見たときだった。その番組では、一般庶民が竹中大臣(記憶違いで、もしかしたらまだ大臣になっていなかったかもしれない)に素朴な質問を浴びせて、その疑問に答える、という余興をやっていた。その質問者の一人に八百屋のご主人がいて、この人が会話の途中でふと「ほうれんそう1把いくらか知っていますか?」と訊いたのだ。

例の「カップヌードルいくらか知っていますか?」と同じ類の質問である。
そのとき、竹中さんはなんと答えたか?
一瞬口をつぐんだ後、なんと、質問には答えずに、マクロ経済の話にすり替えたのである。
日々、100円、200円の商いをしている、八百屋の、オヤジに、向かって。
「市場において、価格はどう決まるか」という経済学の話をしたのである

「ほうれんそう1把いくらか知っていますか?」に対する答えは、次のどれかだ?
150円くらい。(と、自分が体験した値段を言う)
400円くらい?(と当てずっぽうを言う)
知らない。(と言う)
幾らなんですか?(と逆に質問する)

麻生さんがカップヌードルの値段を知らなかったときに、マスコミはそのことを揶揄したが「知っていたら庶民派」というのも、単純でおかしな話だ。誰だって全ての物の値段を知っているわけではない。インスタント食品は一切食べないという庶民だっている。自分も袋麺は食べるがカップヌードルは食べないし、スナック菓子の類も食べないので、値段を知らない。

問題は、知らなければ「知らない」と言えば済む話なのに、こともあろうにマクロ経済の話にすり替えたことだった。自分はその時、この人は本当に「経済を解りやすく語る人」なんだろうかと、最初の疑問を持ったのだ。そしてあの衆議院選挙のときの熱狂。選挙カーの上で絶叫する姿を見て、どうも信用できないという気がしてきた。

その後は、発言や行動を注意深く見てきたが、悉く自分には違和感を感じることばかりだった。いまインターネットでTさんの名前を引くと、「売○○」というあんまり有り難くないワードが4万件くらい引っかかってくる。普通「売○○」というのは、政治的に他国側に立った言動をする人のことを言うのだが、Tさんの場合は違う。本当に日本国内の資産を外国に売り飛ばすように導いていったのだ。

別に個人攻撃しようというつもりは毛頭ないのだが、責任ある役職についていた方なので、その真意を知りたいと、切に願っているのだ。

さて、前回の問い、

(2)だとすれば、なぜ日本政府トップが、そういう売○○的人物で占められているのか?

についてだが、これまでいろいろと考えを巡らせてきた。

「金」とか「地位」のため、ということなら話は分かりやすい。田中金脈とロッキード事件は、(真相は分らないが)少なくとも表面的には納得できるところに話が落ちた。(本当のところは分らない。『リクルート事件』も国策捜査だったという話もあるしね)しかし今の時代で、日本では「金」といっても高が知れているし、「地位」というものも多少はあったとしても、それが決定的な背景とは考えられない。

そこで次に自分が考えたのはアメリカの「スパイ説」である。アメリカ留学組にアメリカ被れが多いのは、留学中に洗脳されてスパイになったからだ、というものである。ややトンデモ話的ではあるが、スパイとは言えないまでも、価値観の面で洗脳されてしまうということは、実際によくあるようだ。特に学者・研究者にとっては、アメリカこそが権威であり、権威の流れに乗りたいというのは当然だとも言える。だからあり得ない話ではない。

では政治家はどうだろう。例の「アメリカさんを怒らせてはいけない」という意識が作用しているのだろうか。それも確かにあるであろう。しかしアメリカ国内では、ブッシュ政権を堂々と批判する映画や、ドキュメンタリーや、ルポが発表されていて、日本以上に過激だ。日本の基準で見れば「殺されるのではないか」と思えるようなことまで行われているのだから、これも決定的とは言えない。

次に「核を持っていないから」ということを考えてみた。現時点では、これがいちばん合理的に納得できる答えのように思える。日本が何事もアメリカ追従なのは、結局のところ「核を持っていないから」だ。そこで、核武装論が生まれる。

しかし日本は、今後も核武装をしないであろう。核武装するということは、真の独立国家になる、ということを意味している。しかし日本はその勇気を持たないであろう。
先ごろ物故したサミュエル・ハンチントン教授は、<日本は、属国根性の染み付いた国で、もしアメリカが衰退したら、今度は中国に付くであろう>と語っている。

だとすると、「核を持っていないから」は単なる言い訳に過ぎなくて、本当は「属国であることが好きだから」というのが答えなのかも知れない。しかし、それで国を売るだろうか?

結局のところ答えが見いだせなくて、最後にたどり着いたのが「それがいいことだと、心底、信じ込んでいる」というものだった。
ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏は、名作『灰とダイヤモンド』に関して、「本当に恐ろしいのは、善と悪との戦いではありません。善と善との戦いなのです」という言葉を残している。

「新自由主義者」は、本当にそれが善と信じ込んでいるのだと思う。悪気はないのだと思う。しかし、反「新自由主義者」も、逆の観点から善を語っているわけで、そのことで言えば、どっこいどっこい、いくら話し合っても水掛け論になってしまうであろう。
けれども、「何にとって」善なのかの視点は、大いに違うように思える。

会社にとって善。
経営者にとって善。
株主にとって善。
投資家にとって善。
政府にとって善。
政党にとって善。
官僚にとって善。
金融機関にとって善。
労働者にとって善。
派遣にとって善。
組合にとって善。
一般生活者にとって善。
学生にとって善。

もはや、高度成長期のときのような、誰にとっても「善」であるようなことは起こりえないのである。
政府も経済界も「景気対策が最優先」と言う。もっとものように聴こえるが、それが誰にとっての善なのかをよく見極める必要がある。
「景気対策がいちばん」という背景には、<景気が上昇すれば、雇用が増える>というロジックがあるのだが‥‥ならば問う。

いざなぎを超えたといわれた好景気のときに、労働者の生活が果たして良くなったか? ますます酷くなっていったではないか。すでに労働者にとって、一般生活者にとって、「善」ではなかったことが証明されている。
こんな人たちが、国を、経済界を動かしているのである。それは一体なぜなのか? 自分にはますます解らなくなってしまうのだ。

【年次改革要望書】に関する映像は、以下をご覧下さい。
http://jp.youtube.com/watch?v=MqCpI8ml-P8&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=lUqZIo3IEqY&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=WJcE1l3zp1o&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=_YNyipq2gFA&feature=related
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