LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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『おそ松くん』で育った僕は、赤塚不二夫さんという人物にずっと興味を抱き続けてきた。
昨夜、二人の奥さんをめぐるドキュメンタリードラマがあったので、それを見ながら、改めて赤塚不二夫さんの死というものを考えた。


実は僕の赤塚不二夫体験は『おそ松くん』でストップしたままで、『天才バカボン』以降はほとんど読んでいない。
僕の興味は赤塚不二夫さんが生み出す作品を離れて、赤塚不二夫という人物そのもの、アルコール依存症であったことや、ハチャメチャな私生活、甘えん坊将軍であったこと、氏の交遊関係の広さ、フジオプロのトップとしてのユニークな運営方法、同業者や後輩に愛されたこと、手塚治虫さんを尊敬し続けていたこと、などにあった。
つまり、赤塚不二夫さんという人物そのものが、神様のユニークな「作品」なのであった。


子供時代の赤塚不二夫さんは同級生の中でも目立たない大人しい子であったという。
また、最初の夫人、登茂子さんと結婚する前は、女性と話も出来ないようなシャイな人だったと言う。
赤塚不二夫さんの本質はここにあって、基本的には、素直で謙虚で真面目な努力家なのだ。


人はギャグのところにばかり注目して(もちろん、フジオプロにとってはそれが商売だから、それでよいわけなのだが)いるけれど、赤塚不二夫さんという人は、どこまでも追究してしまう人だったんだろうな、と思う。
その点で、僕の中では、『I Love Lucy』のルシル・ボールと、生き方がダブってしまうのだけれど‥‥。(ルシル・ボールはテレビコメディで成功して大金持ちとなり、撮影スタジオまで購入してしまった)


晩年、アルコール依存症になっていたとき、赤塚不二夫さんは「つまんない、つまんない」を連発していた。
僕は、本当につまんなかったんだろうなぁと思う。いったい何がそんなにつまんなかったのか?
ここからは僕の推論になるのだが、赤塚不二夫さんは、自分を熱狂させるようなチャレンジングな次のテーマを、もはや見つけられなかったのだと思う。


赤塚不二夫さんは生前、自身のギャグの進化をこう語っていた。
『おそ松くん』でユーモアやり、『天才バカボン』でナンセンスに進み、『レッツラ.ゴン』でシュールになった。
そしてこの中では、『レッツラ.ゴン』のシュールがいちばん好きだと言っていた。
ところが、『レッツラ.ゴン』はウケなかったのである。大衆は、シュールを理解しなかったのだ。


赤塚不二夫さんにとっては、ユーモア→ナンセンス→シュールと進んだことは、当然の帰結であった。
なぜなら、ギャグを追究する人は、二度同じギャグを使えないし、使うのがイヤなのである。
大泉実成著『消えたマンガ家―アッパー系の巻』には、その辺りのギャグ漫画家の宿命が詳しく書かれている)


しかしそれを追究し続けていったら、自分自身は疲弊するし、苦労して生み出した作品も、やがて大衆とは遊離していってしまう。
赤塚不二夫さんは、『レッツラ.ゴン』で、そのことを思い知ったに違いない。
この破滅を防ぐには、『こち亀』とか『寅さん』のような、偉大なるマンネリをやるしかない。
しかし、赤塚不二夫さんにはそれができなかったのだ。元来が、素直で謙虚で真面目な努力家だったから。


その後は、他者に面白みを見出そうとした時期もあったけれど(その発掘品の代表格がタモリであり、タモリ自身「自分は赤塚さんの作品だ」と語っている)いっときは面白くても、所詮それは自分が生み出したものではなかった。
タモリが大衆の欲するものに合わせられる能力を持っていたのに対し、赤塚不二夫さんにはそれが出来なかった。そうすることがイヤだったのだ。なぜなら、自分自身の中ではそれは「後退」しか意味しないから。


酔っぱらいになってから、たまにテレビに出た赤塚不二夫さんは、いつも同じことばかり言っていた。
「ナンセンスとは何か?」「ジョン・フォードの『駅馬車』の凄さ」「偉大なる手塚治虫先生の教え」
赤塚不二夫さんの中では、これらはいずれも「自分も目標にしたいが、超えられない凄いもの」として君臨し続けていたのだと思う。
自分の思いはいつもそこに在って、それを超える方法を生涯模索しようとしていたのだと思う。
きっと「お前ら、ナンセンスを学べ!『駅馬車』をよく見てみろ!手塚先生の『ロストワールド』を見ろ!」と叫びたかったことだろうと思う。


ところが、それらの作品をたとえ今見ることは可能だとしても、当時それらを観た赤塚不二夫青年の興奮や高揚感にまでは、我々はタッチすることは出来ないのだ。それは、時代性に貼り付いたものだから。


『笑っていいとも』に出演した赤塚不二夫さんが、尊敬する手塚治虫先生についてこう語ったことがある。
「あの人は、嘘つき!」
その発言には、僕も虚をつかれたのだが、手塚治虫さんという人は、あまりに多忙だったためにちょっとした時間をやりくりするための「嘘」をしょっちゅうついていたらしい。たとえば待ち合わせの約束などに関して。
少年の恋心で手塚治虫先生を見ていた赤塚青年は、その「嘘」に何度も裏切られたことがあったのだろう。
しかし逆に言えば、赤塚不二夫さんは「嘘」をつけなかった人ということだ。他者にも、自分にも。


最後に、いまもシュールを追究している「しりあがり寿」さんは、立派だ。
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