LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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今を去ること40年前、10代後半の時に、原発がどういうシステムで動いているかを初めて調べました。
1960年代はまだ<原子力が希望に満ちた夢のエネルギー>とされていました。
原子力がこの世の生活上の問題をすべて解決してくれる、といった思想さえも蔓延していたのです。
手塚治虫さんが『鉄腕アトム』を描いたのは、こうした背景があってのことです。


その後、70年代に入ってヒッピームーブメントが起こり、世の中の風潮も少しずつ変化していきました。
もう無条件の原子力礼賛という時代ではなくなっていたときに、図書館で原発の仕組みを調べたのです。


そして原子力発電が、核分裂の際に発生する熱で水蒸気を起こしそれでタービンを回していることを知りました。
「なーんだ」と思いました。それまでは、なにか原子力のパワーそのものが巨大エネルギーを発生しているものだと勘違いしていました。
なぜって、アトムが自分の胸を開いても、蒸気タービンなんて見えませんもの。



それと、「一次冷却水」と「二次冷却水」という構造もこのとき知ったのですが、「こんなもので本当に大丈夫なのだろうか」と疑問を抱きました。
「一次冷却水」は、炉心に直接接している水で、これが蒸気になったり水に戻ったり、グルグル循環しながらタービンを回している。
この水は当然高濃度に汚染されているが、外に出ることはない。
一方の「二次冷却水」は、この「一次冷却水」に混じることなく外側から冷やす水である。


なるほど仕組みは解る。けっこう単純だ。
でも、配管なんてすぐに壊れるものなのに‥‥。
と、その時そう思ったのです。


ここで、こういう論争が持ち上がります。
「コントロールしていれば、原発は安全なんです」
「万が一、事故が起きたらどうするんだ」


これはどこまで言っても「水掛け論」で終わります。
「水掛け論」というのは、とりとめのない議論という意味ですが、福島第一原発の事故はとにかく「水を掛けなければならなかった」というのは、なにか皮肉な感じがいたします。


「コントロールしていれば安全」(当たり前です。コントロールできてるんですから)
でも、安全を疑問視する人たちは、
「そんなこと言っても、絶対なんてありえない。人間は必ずミスをするし、不測の事態はどうしても起こるもの」(コントロールできなくなることもあり得る)
と言う。


後者で言っていることが正しいのですが、前者の人々はそれを前提としていますから、後者がどのように言っても、次から次へと屁理屈を繰り出して来るだけなのです。
そうしてしまいには、
「そもそも人間は自然に生活しているだけでも放射線を浴びている」とか、
「少量の放射線はむしろ健康によい」とか、
プルトニウムを貯水池に投げ込んでも健康に悪影響はない」とか、
「広島・長崎で放射能を浴びた人も長く生存している」とか言う。


そして実際に(あり得る筈のない)事故が起きると、まずは隠蔽。
事故が発覚し、隠蔽がとうてい無理だとなると、「これを教訓にさらなる安全を目指す」とか、言うのです。


実はこれは、「支配者がよく使う手口」なのです。
永遠に結論を見出さない「二項対立」の形にもっていって、ムダな議論をさせて時間稼ぎをしつつ、裏では着々と思った通りのことを進める。
そしてこの「手口」にはあと二つ、とてもいい面があるのです。
それは、マスコミが「二項対立」の構図が大大大好きだということと、本当の問題がこれで隠されるという面です。


それが解ったうえで、今の政治をよ~く見てください。
米軍基地問題にせよ、TPPにせよ、消費税値上げにせよ、ぜーんぶ同じ「手口」ですから。
落としどころは最初から決まっているんです。政治家がよく言う「この問題はよ~く議論をして」なんてのは、大衆の怒りのガス抜きのためのポーズに過ぎないのです。
ですから、こうした「手口」に乗っかってはいけないのです。


「原発」のことで言えば、「安全」議論というのは、実はめくらましです。
「原発推進か、それとも江戸時代に逆戻りか」、といった「二項対立」も、「原発はCO2を排出しないからクリーン」という屁理屈も、(じゃあ放射能汚染は?)みんな本当の問題から目をそらすためのめくらましなのです。


ちなみに、「原発推進か、それとも江戸時代に逆戻りか」と迫られたら、僕なら「ハイ、喜んで江戸時代に逆戻りしまーす」と答えるネ。
なぜって、天下太平だもん。浮き世風呂だもん。テクノストレスもないし、通勤電車に揺られなくてもいいし、今よりずっと楽しそうじゃないか。なんかモテそうな気がするじゃないか。


話を戻して、原発の本当の問題は、「放射性廃棄物の処理問題」と、「原発で利益を得ている者はいったい誰か」ということなのです。これが、「安全」議論によってマスキングされている。
原発だけではありませんよ。政治的な問題には、必ずそこに、それで多額の利益を得ている人々が裏に居るんです。


マスコミは、視点をずらすことで、大衆の目がそっちに向かわないようにしている機関なのです。なぜかというと、電波は国の免許事業だし、新聞も雑誌もスポンサー収入で成り立っているからです。


だから、何か政治的問題が起きた時、「これで利益を得ている人はいったい誰なのか?」と考えること、そのクセをつけることが大切なのです。
マスコミは、必ずその核心からちょっとズレた話題を提供して、目くらましに一役買うことになっている。
だからそれに乗っかっちゃダメ。オセロの中島さんが激太りしたからって、それがあなたの生活となんの関係がある? それより放射能汚染の方が大問題でしょ?


現代の政治とは(というよりも、「パンとサーカス」というローマ帝国の言葉もあるくらいだから、政治とは本来そういうものなのかも知れないけれど)、「大衆の怒りのガス抜き」が表向きの最大の仕事になっている。
そして裏は、特定のグループへの利益誘導がお仕事。


知ってます? 「放射性廃棄物の処理問題」がどういうことになっているかって?
原発の放射性廃棄物って、使用済み核燃料棒だけじゃないのね。原発そのものが解体処理できないということ。これが大きな問題なの。
だから廃炉にしても建て替えは出来ないんですよ。それは、どんどん(人間が住める)国土が狭くなって行くってことなのね。
それが孫子の代まで延々と続くわけ。


原発推進論者はこのことをどう言ってるかというと、
「(今は解決できないけれど)この先も解決できないとは到底考えられない。未来の人たちが、必ずや新しい科学技術をもって解決してくれるであろう」
だもの。
そう言えてしまうメンタリ恥は、僕にはとうてい解らないよ。
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