LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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この世の抑圧から逃れるにはどうしたらいいのか?
ドストエフスキーは「革命か、神か」ということを真剣に考えた。
(‥‥そうです。ス、スミマセン、一冊も読んでません。ひとから聞いた受け売りざんす)


僕はこの2年ほど「武装闘争は必要不可欠なんだろうか?」とずっと考えていた。
神に祈っても、この世は変わらない。
いや、神に祈るだけでは変わらない、と言うべきなのか‥‥。
現実を動かすのは、人間の意思と行動である。


前記の疑問を友人のKa氏に投げかけたところ、
「そりゃそうだよ。歴史を見れば、ずっとそうだったわけだから」
と言われた。
それで、フィデル・カストロのことが気になって本を読んだりした。


カストロはいつもオリーブ・グリーンの軍服を着て長時間の演説をするものだから、その映像だけが誇張されて流され、西側からはずーっと「けしからん独裁者」というレッテルを貼られていた。
先のユーロ危機における欧州議会でも、さる議員が「独裁者」ということを言いたいがために「フィデルのような~」という形容を使っていた。
それほど、フィデル・カストロは毛嫌いされ(髭もじゃだし)、僕らはその情報を刷り込まれて育ったのだった。


しかし、戸井十月さんの『カストロ 銅像なき権力者』を読んだり、スティーブン・ソダバーグの映画を観たり(名作ですよ。是非観てネ)、海堂尊さんがキューバの医療現場を取材したテレビ番組を観たりしていると、どうも違うという感じがしてきた。
「なんや、カストロってええ人やん。キューバってええ国やんか」


それどころか、そうしたプロパガンダをし続けてきたアメリカの非道、そしてそのアメリカの手のひらに乗っかっているだけの日本の政治権力者の非道の方が、よっぽどひどいものとして自分の中でクロースアップされてきたのだった。
それは僕だけじゃなく、多くの人々が、気づき始めているのだと思う。


さてそこで「武装闘争が必要なのか」という話に戻るのだが、「武装闘争」という考え自体が古くさいものであることを、最近になってようやく知ったのである。
浅学にして知らなかったのだが、今や世界の「革命の常識」は「非暴力闘争」だと言うのである。
その、拠り処となっているのがジーン・シャープ(Gene Sharp)が説く<非暴力革命のすすめ>『独裁から民主主義へ(From Dictatorship to Democracy)』なのだそうだ。


そして、2010年にチュニジアから始まった「アラブの春」も、2000年のセルビアにおける「ブルドーザー革命」も、2003年のグルジアの「バラ革命」も、2004年のウクライナの「オレンジ革命」も、みんなこのジーン・シャープの理論に則ったものだというのである。
知ってた?


この『独裁から民主主義へ』は、ジーン・シャープの知らないあいだに、勝手に世界中で30言語に翻訳され、今や非暴力革命のバイブルのようになっているという。
(ネットで調べてみたけど、日本語訳はないようなのね。遅っれてるぅ~)
「アラブの春」は、決してインターネットだけがもたらしたものではなかったのね。
ジーン・シャープの理論武装+インターネットによって為し得たものだったのである。


ああ、英語の得意な人、日本語訳作ってくれないかなー。
この中には、非暴力革命のための具体的な方法が、198通り書かれてあるのだそうだ。


色とシンボルの手法とか
戦略プランとか
英語のスローガンとか
市民的不服従とか
非暴力闘争の誓いとか


チュニジア革命では、暴れたい跳ねっ返りを抑えるために、デモの先頭を女性や老人に担わせる工夫までしたのだという。
なるほど、そういわれて見ると、「色とシンボルの手法」や「英語のスローガン」は頻繁に目にするようになった。


感心したのは、なぜ「非暴力」であるべきかと言うことに、ちゃんとした理論的根拠があることだった。
「暴力」に訴えた場合には、「暴力」対「暴力」の闘いになる。
そうなると、強大な武力装置を持つ国家権力の方が圧倒的に優位であり、しかもそれを行使する口実を与えてしまう。


しかし「非暴力」を貫いている中で、国家権力が「暴力」を行使した場合には、暴力装置の中で離反が始まり政権が瓦解してしまうのだという。
ジーン・シャープは言う。政権を倒そうとしてもダメなんだ、と。
政権を倒しても他の政権にとってかわられるだけで、政権を支えている柱を崩すのが重要である、と。
政権というものは、必ず何本かの柱に支えられている。その柱を崩せば、政権は自動的に倒れる。だから足下を狙え!


確かにそうだ。
政権を支えるものとは、軍や警察の武力装置、経済的援助者、政党組織、宗教界、インテリ層、マスコミ、信奉者といったところであろうか。
それを考えると、なぜシリアでは「革命」は成就せず、泥沼の内戦にはまり込んでいるのかがよく解る。
結局、スンニ派とシーア派の対立という構図があり、現アサド政権を支持するシーア派や、中ソといった「柱」が壊れていないからなのだ。


日本の政権は、自民も民主もお粗末で、国民もしらけ切っているのだが、それでも続いているのは、けっきょく政官業外電の癒着構造がガッチリ柱を作っているからなのだ。
2月29日現在、ネットで、日本語で『独裁から民主主義へ』を検索してみると、ジーン・シャープの本はまったくヒットしない。
世界の革命の常識が、日本においては、まったく知られていないようだ。
これって、なんなのだろう? 英語じゃないってこともあるんだろうけど‥‥。
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