LOTUS STUDIO BLOG
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『Armadillo』再放送
10月22日(土)23日(日)17時~17時50分 NHK BS1

Armadillo The Movie - Trailer - UK subs from Fridthjof Film on Vimeo.



10月12・13日にBS1「世界のドキュメンタリー」で放送されたデンマーク映画の『Armadillo』を観て圧倒された。
デンマークという国は馴染みが薄く、デンマーク軍がISAF(国際治安支援部隊)として、イギリス軍と共に対タリバンの前線基地で戦っていることを、これを観て初めて知った。
念のために地図を見ると、ドイツの北側の突端に在って、スカンジナビア半島が目と鼻の先なのね。言葉はドイツ語に似てる感じもするんだけどちょっと違う。デンマーク語だそうだ。国旗は赤地に白の十字。

デンマーク


で何に圧倒されたかというと、リアリズムに対して。
たぶんこんな戦場ドキュメンタリーは今までなかったんじゃないかな?
僕は観ながら、すぐにキャスリン・ビグロー(ジェームズ・キャメロンの元奥さんね。才人です。)の『The Hurt Locker』を思い出したんだ。
すごく似てるんだ。何がって、雰囲気が。
ニール・ブロムカンプの『第九地区』とも近い感じがある。

hurt locker

The Hurt Locker』と『第九地区』は、ドキュメンタリー風に創った劇映画だけど、『Armadillo』は劇映画風に編集されたドキュメンタリーで、もうその垣根はない感じなのだ。
どっちが劇映画で、どっちがドキュメンタリーか、こうなるともう解らない。
これはきっと、ハイビジョンの小型のデジタルカメラが登場したという技術革新の影響が非常に大きいんだと思う。


そのことは後でまた考察するとして、まずびっくりするのは、「よくこんなドキュメンタリーの撮影を、デンマークという国と軍が許可したな」ということだ。
その意図が見えないのだ。
と同時に、二番目にびっくりしたのは、監督の意図も見えないということ。
ほとんど9割型、自分の意思というものを殺して、ただ撮っているのだ。(もちろん、もの凄く計算してそうしているわけだが‥‥)これはけなしているのではなくて、大評価して言っているんだが。
たぶん一般の人は、カメラを意識することなく、見終わってしまうだろう。


NHKで放送された後編では、前編でのダイジェストに引き続いて、たぶんNHKが付け足したであろう「七ヶ月の前線勤務の中でしだいに普段の感覚を失って行く」とかなんとかいう<見所解説>がくっついていたんだけど、「余計なことをするな」と思った。
録画をしたけど、その部分はカットした。
作者が、それを意図して撮っていたようには僕には思えなかったし、基本的に、どう感じるかは観た人それぞれのものだから。こんな見所解説などいらないよ。


よく、戦争映画を、これは「戦争賛美映画」なのか「反戦映画」なのか、ということを問題にしたがる人たちがいる。
最近では、クリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』もその遡上に上げられた。バカバカしいったらありゃしない。
たしかに戦時中は「戦意昂揚映画」がたくさん創られたので、戦後はその反動として「反戦」でなければならないという価値観が育ったのは仕方がない。
ところが今は、戦争映画の描写が凄まじくなって、ハリウッドお得意の銃撃、爆発、炎上をドッカンドッカンやられると、これは果たして「好戦映画」なのか「反戦映画」なのか、判断がつきかねるという具合で、反戦サヨクの人たちも分別に困っているわけだ。


しかし、こういうときはどうするんだヨ。
「戦意昂揚映画」を観たら、厭戦気分が高まり、「反戦映画」を観たら暴力衝動が高まった、といった場合には。
そういう人間だっているだろうに。
他ならぬ自分がそう。「反戦映画」を観ると、スクリーンを燃やしたくなるもの。
きっと戦時中だって、「戦意昂揚映画」を観て「いやだなー」と思った人はいっぱいいたと思うんだ。


この『Armadillo』と『The Hurt Locker』は、それを規定していないというところで、今の時代の戦争ものになっている点が、僕は断然新しいと思うのだ。
提示しているのは、ただただ「リアル」。
前線基地の日常って、こんななのか。


結局つきつめると、軍隊の日常ってものが基本にあって、兵隊はやっていることに大義なんて感じてないし「ヴェトナム」の二の舞の感じがするけど、自分は上官の命令に従って、敵をやっつけるだけさ。
それで首尾よくいけば、達成感もあるし、誉められるとちょっと嬉しいな。
って、そんな感じなんだ。


要は、このブログで何度も書いているけど、今は敵がハッキリしない時代なんだ。
兵士たちも「こりゃヴェトナムの二の舞だよな」と思いながら、目の前のやるべきことを命令に従ってやっているだけなんだ。
じゃあ、「その大本の命令は誰が出しているのか?」ってことになるけど、ブッシュがGOサインを出したイラク戦争だって、結局「大量破壊兵器」っていう「大義」はなかったわけでしょう?
「限りなき経済成長を続けるにはエネルギーが必要で、そのためには原発が欠かせない」ってロジックだって、それが「大義」なの? って今じゃみんな思い始めている。
「自由のための戦い」とか「民主主義を世界に」だって、それが「大義」かどうか怪しい。


怪しいのに、怪しい命令を下す人たちに付き従って右往左往するというのが庶民。
それが、今の時代のリアルなんだと僕は思う。
そういう意味で、『Armadillo』も『The Hurt Locker』も『第九地区』も、僕は現代のリアルを感じたんだ。


●『Armadillo』の撮影技術的な話
どうやって撮ったんだろう? 三番目にびっくりした点はそこだった。
ショットを見ると、フルショット(全身)は殆どなく、ロングか、クロースアップである。しかも顔の上下がはみ出しているビッグクロースアップがけっこうある。
全部手持ちの筈だから、小型のハイビジョンカメラで、ロング担当と、クロースアップ担当にカメラを分担して撮っているに違いない。
二人の会話も別々にクロースアップで撮って、切り返しでスムースに繋がっているから、最低3台は常に同時に回していると思う。
でも、音はどうやって録ったんだろう。ほとんどノイズがないのだ。超指向性のマイクか、仕込んでいるのか?


最初っからビッグクロースアップで狙うというのは、一つの手だ。
NHKエンタープライズのヘタなディレクターの作品を見てると、インタビュー相手がここで泣きそうだな、と思うと、ズームインして目の辺りのビッグクロースアップを狙うバカが居るんだ。(しかもその多いこと)
ドキュメンタリーは予測がつかないから、これで相手が泣かないと、その意図が空振りに終わることになる。
そのとき、ズームをまた戻すわけにはいかない。なんか出戻りの嫁みたいになってしまうし‥‥


涙の画が、人を感動させると思っているんだ。
ハッキリ言って、そんな監督は三流だ。
人を感動させるのはモンタージュ(編集)の力だ。
涙なんてなくたっていい。


『Armadillo』の監督が凄いなと思うのは、そういうバカな意図が見えないんだ。
ところが、空の色とか、風景とか、もの凄く叙情的なショットを選んでモンタージュしている。
きっと、膨大な量を捨てて、「画」を選んでいると思う。そして色調も揃えてある。
セリフの選び方も、意表をつく適切さで、ほとほと感心した。
デンマーク、あなどれない。世界には凄い人がいるもんだ。
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ドキュメンタリー?映画?
私もこのドキュメンタリーをBS1で見ました。それなりに興味深かったです。
しかしよく考えると不思議な点がいくつかありました。
ご覧になったからご存知と思いますが、デンマーク兵士が重傷のタリバン兵を
射殺したという話が出てきます。そして兵士たちが「これ(タリバン射殺)が公になると
裁判沙汰になるので、これ以上この話はしないでおこう」と口裏を合わせをする
シーンも登場します。
もしもこのシーンが本物なら十分な証拠となって、兵士たちは訴追されると思いますよ。
しかしそれどころか、二名の兵士は勲章まで貰っています。
????
おそらくこの作品は、ドキュメンタリータッチの映画(ドラマ)だと思いますよ。
実際の映像もあるでしょうが、創作もかなりあり兵士たちも役者さんでしょう。
[2012/03/07 17:08] URL | (^0^)v #SFo5/nok [ 編集 ]
コメントありがとう。
うん、そういう見解も確かにあるね。
というか、そう考えた方が納得がいくね。気分的に治まりがいい。
でも「解らない」としか言いようがないんだ。

これは「ドキュメンタリーとは何か?」って話になってしまうんだけど、現場にカメラが入ったとたん、それはカメラが捉えた映像ということになってしまって、もうすでに本来の現実ではない。

そうなったときに、監督は、どう絡むかという方法論の問題が出てくる。
マイケル・ムーアなどは自分が登場して仕切っていくわけだけど、じゃあこれがドキュメンタリーじゃないか、というとそうとは言えない。

また、森達也さんとか、田原総一郎さんなんかも、フェイク・ドキュメンタリーをけっこう撮っている。
田原総一郎さんが若い頃撮った、『バリケードの中のジャズ』なんて、山下洋輔さんを肺病を患った音楽家として描いているんだけど、これが全部ヤラセ。見事に騙される。

じゃあ価値がないのか、っていうと、僕はそんなことはないと思うわけ。
結局、時代をどう切り取るかということが作家性だから、そこに何かあれば、方法論はどうでもいい、というのが僕の考えです。

ただし、「どうでもいい」といっても、森達也さんは「隠し撮りは絶対しない」と言っている。
僕は、その部分には共感します。
[2012/03/07 17:51] URL | 匿名 #- [ 編集 ]
ご回答ありがとうございます。
おっしゃるようにドキュメンタリーとは何か?
ドキュメンタリーは、どこまで演出や脚色が許されるのか?
そういう問題に行きつくと思います。
なかなか難しい問題です。
ちなみに、この作品は山形ドキュメンタリー映画祭に参加しています。
たまたまその事務局の方とお話したのですが
映画祭への応募は自己申告で100%演出や脚色があっても
ドキュメンタリーとしての応募なら、ドキュメンタリーとして扱います。
調査は致しませんとのことでした。
[2012/03/08 14:17] URL | (^0^)v #SFo5/nok [ 編集 ]














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