LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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さる科学技術者の方にお会いした。
そこで、原発事故の話しになったので、僕はこう切り出した。
「放射能を無害化するバクテリアとか、そういうものが発見できないんでしょうかねぇ」
するとその科学技術者がニベもなくこう言った。
「あ、そりゃ無理。放射性物質ってのはそれぞれ半減期ってのが決まっていて、時間が経過しないと弱くなっていかない。放射能を取り除くことは不可能。確か、高校の時に習ったはず。集めることは出来るよ。集めることはできるけど、無害化はできない」


ま、解るよ、解るけど、それでも何かないかって、科学者の盲点をつく発見があるんじゃないかって、訊いているんじゃないか!(あのー僕、実は高校へは進学していない。ガチョーン!)


次いで、その人は言った。
「放射線の影響なんて、実はあんまりよく解ってないし、多少ガンが増えるリスクはあるけど、それで人類が決定的ダメージを受けるなんてことはない。影響があったとしてもほんの数パーセントで、殆どの人はそれでも生き残っていくんだから。広島原爆の後、100年は植物は育たないって言われてたのにすぐに生えたし、今は人も住んでいる。今騒いでいる汚染も、しょうがないから、適当に放射線被曝の基準値を決めているだけ」


ま、解るよ、解るけどさ。
いやだなぁ、そういう科学技術者的「達観」の仕方って。


いま食品に含まれる放射能を測定する動きが広がっている。
子供を持つ主婦は「基準値より下回っていると言っても、1ベクレルだって嫌ですね。大人は仕方ないけど、子供にはそんなものは食べさせられないです」って言う。
そこには、熱しやすく冷めやすい日本人特有の反応があるとしても、それを科学技術者的「達観」で嗤えないんじゃないかな。
確かに、放射能に限らず全く汚染されていないものなんてない。空気だって、水だって。
みんな、ある基準より下ってだけだ。だからその習いに従えば、「放射線だって同じ」というのは、<その通り!>って言うしかない。


僕だって、ドキュメンタリーを見続けて、チェルノブイリ事故の後地が、いま動物たちのサンクチュアリになっていることも知っている。
仰ってることが<その通り>だってことも解る。
だけどね。


その発想は、「原発は科学技術者的コントロール下にきちんと置いておけば、安全性になんら問題はない」というのと、土壌は同じなんだ。
ドジョウが出て来てこんにちは、だ。


科学技術者的「達観」と、僕の気分と、いったい何が違うかっていうと、「理想社会のあり方」だと思うんだ。


知ってる? 手塚治虫は、『鉄腕アトム』を代表作といわれることに、晩年もの凄く抵抗があったんだよ。
主人公の名前はアトムで、妹がウラン、お兄さんがコバルトでしょ。
アトムの10万馬力は、原子力で動いている。
つまり、『鉄腕アトム』は、原子力が希望の灯であった時代の、それを礼賛した産物だったのね。
そのことに、後になって手塚治虫は、ジクジクたる(あ、間違えた。じくじくは水虫だ。治虫は)ジクジたる思いがあったらしいよ。


小学生の時分の僕は、完全な科学少年で、学研の『科学』を定期購読していたのはもちろん、図書館にあった科学関係の本は次から次へと読み漁った。
将来はトヨタ自動車に入りたいと思っていた。フォードの時代から、レイモンド・ローウィの流線型理論、そしてモータースポーツの世界へと興味が膨らんだ。


しかし‥‥、今は、クルマになんか、なーーーーんも興味なし。
デザインがかっこいいと思うのはやっぱり70年代までのクルマで、それ以降は、もう変質してしまったと思うのだ。
不思議だね。『マタンゴ』と同じで、「いいな」と思う感覚が、その時代にワープしてしまうんだ。
当時と今と、いったい何が違うのかというと、そのデザインを支えていた「時代の価値観」が変質してしまったと思う。
その当時は、原子力が憧れであったのと同じく、クルマも馬力やスピードや流線型が憧れであった。
だけど今はどうだ。ガソリン大食いで排気ガスまき散らし暴走するクルマなど、犯罪的ですらある!


ユーミンの旦那さんの松任谷正隆さんが『CAR GRAPHIC TV』というのをやっておられるのだけれど、(それは趣味だからとやかくいうこともないのかもしれないが)僕個人的には「未だにこんなものやってるのか」という違和感を拭いきれない。
今のクルマを評価するという、その「評価」の方向性が、僕にはさっぱり解らない。
時代の断層を超えて、共通した評価基準なんてあるのだろうか? 価値観がまるっきり変わってきているのに‥‥。
エンスーって、まだいるのだろうか‥‥?


何を言いたいかっていうと、「科学を無条件に信用する時代はとっくに終わった」って言いたいわけ。
だから、科学技術者的「達観」も、それは実は達観じゃなくて、今の時代性を感受できていない「科学技術村の村人思考」に過ぎないと思うわけ。
それよりは、「1ベクレルだって嫌」っていう主婦の方が、認識は間違っていたとしても、時代性は掴んでいるんじゃないかと、僕は思うわけ。


作家の開高健さんが生前こう言っていた。(正確じゃないかも知れないが、概ねこんな感じ)
北斎のポルノと西洋人のポルノを比べると、北斎の方が実におおらかだ。それは、西洋のものはポルノだって言っても、教会への反抗とかそういう理屈が常について回る。それに対して北斎にはそれがない。結局、それは一神教とアニミズム(汎霊説)との違いだ。しかし、一神教の場合は科学の発達に対して神への怖れというものがあるのに対し、アニミズムには科学への怖れは生じない。だから日本が、科学万能で突き進むのが心配だ」


これについては、前半はその通りだと思うけど、後半は当たってないと僕は思う。
イスラム教は、宗教と法律と科学が分離しなかった。しかしキリスト教はこれを分離した。
中世のある時期まで、イスラム教の科学は非常に発達していて、キリスト教がそれを後追いする形だったが、その後、キリスト教は宗教と法律と科学を分離したので、宗教の制約を受けることなく、法律と科学が発達(と言っていいかどうか解らないが)したのだ。


キリスト教の原理主義派が、たとえば「ダーウィンの進化論を認めない」と言ったりしていることは、「神への怖れ」ではないと思う。
そうではなくて、「支配権が奪われることへの怖れ」に過ぎないと思う。
結局のところ、原理主義派もそうでない派も、キリスト教文化圏は「人間主義」で、人間が自然をコントロールするという思想からは離れられないのだと思う。
それよりは、アニミズムの方にこそ「科学への怖れ」が根源的にあるのではないだろうか。
福島原発事故以降、人々の意識が大きく変わったのは、そこだと僕は思う。


※便宜上、西洋と日本、キリスト教とアニミズムのような書き方をしましたが、西洋人にもアニミズムはありますし、日本人にも西洋的マキャベリズムの人は大勢います。
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