LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)とは、太平洋を囲む国々の間で、貿易に掛かる関税を撤廃し、すべて自由化しようという協定のことである。
この協定への是非をめぐって、「民主党内でも意見の対立がある」との報道がなされているが、こんなものは(一応、農民のことも心配したんだぜ。検討してるんだぜ)というポーズに過ぎない。
結局は出来レースで、落としどころは最初から決まっている。
なぜかって、日本はアメリカの「属国」だから。
普天間基地代替施設移設問題と一緒で、アメリカさんに逆らう事はできないんだ。(っていうか、逆らう政治家がいないんだ。政治生命を抹殺されるから)


ところでこのTPPの何が問題なのか?
農業従事者は「自由化されたらこの先、生きて行けない」という。
もちろんその通りになる。
内閣府は、「TPPに日本が参加した場合、GDPが2.7兆円押し上げられる」と言ったが、勿論こんなものはデタラメ。


参考ビデオ:30分あって、ちょっと長いけど‥‥




「原子力発電所のエネルギーコストは他の発電方法と比べて最も安く、かつクリーン」と政府と御用学者が言っていたのと一緒で、数字なんて、結論に導くために、適当にいじって出しちゃう。
廃棄物処理コストも災害処理コストも入れずに試算して「最も安く」と言っていたことはもうみんなバレちゃったでしょ。
頭のいい小ズルい人々は、常にそういうことをやるので、全く信用できない。


さて、農業者の問題は、もちろん大問題なのだが、そこにだけスポットを当てると、問題の本質が解らなくなってしまう。
TPPの真の問題は、<大震災があろうとも、ユーロが破綻の危機に直面しようとも、アメリカで「We are the 99%」暴動が起ころうとも、新自由主義者どもに全く反省の色がなく、更なる強欲と貧乏人の締め上げに奔走している>ということにある。


ここで、私の経済学者の定義
世界を牛耳る一部の支配者層と結託し、その恩恵に預かるために、珍説をでっちあげ、学者の権威を借りて、それがさも正しいことであるかのように、メディアと連携して人々を洗脳し、支配者層が希望する経済状況に導く手先と堕した人々。


東大教授の伊藤元重は言う。「国を閉ざして繁栄した事例は過去にない」
同じく東大の本間正義は「農業を日本の成長産業とするためにも参加すべきだ」
さらに、住友化学専務の高尾剛正が「これ以上経済連携で後れをとれば、産業空洞化は避けられない」と言う。



左より、伊藤元重氏、本間正義氏、高尾剛正氏、竹中平蔵氏。
この顔をよーく記憶しておいてください。


まったくもって「珍説」としか言いようがない!
すでに日本は、
繁栄を終わっているし、
カロリーベースの食料自給率は40%を切っているし、
かつてないほど、産業はもうすっかり空洞化
している。
それが失業の原因であり、さらには長引く不況と財政悪化に歯止めが掛からない原因ではないか。


では、そうしたのは誰か? お前らではないか。
なんのために?
親分であるアメリカさんのお金持ちに、日本を売り渡すために。


伊藤元重と同じ売国奴、竹中平蔵はかつてこう言った。
「国民の全員が貧乏になるか、一部の金持ちに引っ張っていって貰うか、どっちかだ」
で、どうなった?
一部の金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になっただけじゃないか!
だから今、新自由主義の先進国、アメリカで「We are the 99%」暴動が起きているんじゃないか!


一部の金持ちが富むのはなぜか?
大衆から広く搾取するからじゃないか。
それを世界中に押し進めたのが、新自由主義でありグローバリズムではないか。


一部の金持ちが大衆に金を還元するわけがない。
それじゃあ鼠小僧次郎吉だ。社会主義になっちゃうし、その人は金持ちじゃなくなっちゃう。
まさに竹中平蔵の「ちんちん珍説」である。
オレのような無学な貧乏人の者の方が、よっぽど経済を解っていると思う。


経済同友会のホームページにはこう書いてある。
「経済成長戦略を実現していく上で、わが国の本交渉への参加は欠くことのできない重要なステップとなる。万が一、この機会を逃せば、わが国は国際的な事業環境の整備において諸外国から大きく後れをとり、ひいては世界の成長と繁栄から取り残されることになりかねない。 あわせて、農業の構造改革を推進するとともに真に必要な国内対策を総合的に講じ、TPP推進と農業の産業基盤強化との両立を図る必要がある。」


もう、頭のいい人たちって、なんてバカなんだろう。
「世界の成長と繁栄」って言い続けて、過去20年、おい、世界は繁栄したんかい?
うちの息子なんて、今26歳だけど、ずーーーーーーーーーっと不況しか知らないよ。


現実を見よ!
世界は、逆に経済崩壊に向かっているじゃないか!
貧困層が前よりも増えているじゃないか!
あのアメリカでさえ、今日の食事のない子供が1400万人もいる。
アフリカの農民は、穀物メジャーが入ってきたおかげで、食料を買わなければ生活出来なくなっている。
しかも環境は破壊し続けられている。
そうしたのは誰なんだ! みんなお前ら、頭のいいバカどもではないか!


競争に遅れる。競争に勝たなければならない。
経済学者も経済界も政治家も、みんなこの思想に洗脳されていて、それに微塵たりとも疑問を抱かない。
だけど、待てよ。
競争に「勝つ」ってことは、「負ける」国や人がいるってことなんだ。
「自分さえ、負けなければよい」それが、お前らの理想なのか?
これからの時代に、それでよいのか!


経済界も、経済学者も、政治家も、大きなことを言ってるようで、理想は実にちっぽけだ。
小粒な連中ばかり。
チェ・ゲバラの抱いた理想を考えよ!
世界から戦争と貧困がなくなるような、どでかい理想を考えて
みよ!

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TPPを批准した後、GDPが2.7兆円上がらずに、逆に日本がさらに沈んだ後、上の顔の人たちがどう言い訳をするかをよ~くウォッチしておいてください。
中谷巌は「ごめんなさい。間違ってました」と転向したけど、竹中平蔵は「構造改革が中途半端に終わったからうまくいなかくなった」という屁理屈を言い続けている。
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ガリガリ20111020

流浪のサロン「ガリガリクラブ」の10月20日は、参加者3人だった。
人が行動するとき、何を優先するかで、その人の価値観が出る。
だから、「ガリガリクラブ」には魅力がないということである。
他のものを押しのけてまで「行くぞ」という、そういうものがない。
ま、それが「ガリガリクラブ」である。


気温が下がってきたので、おつまみを作って行った。
当分、このパターンで行こうと思う。
12月になったら、コンロを持ち込んで鍋でもしようかと思うが、マスター怒るかな?
参加者は、音楽関係者のKa氏と、人形作家のSS女史とあたし。
そこで、来年に向けて、ある作品を創ろうという話になった。
何かは秘密。


音楽関係者のKa氏が、「3.11以降、ポップスの曲作りが変わった」と言う。
で、僕が「それは、欽ちゃん的(萩本欽一)になったということ?」と訊くと、
「そうではない」と言う。「もっと真摯で、良いんだけど、良くないんだ」と、ワケのわからんことを言うので、
「それは、異論を認めないってこと?」と訊くと、
「そう」と言う。


たぶんそれは、よしりんが言っていた、「純粋まっすぐ君」が増殖しているということではないのかな?
そこから話が脱線し、あたしが『幸せなら手をたたこう』は大嫌い、という話をしたのであった。


世にもおぞましい歌、『幸せなら手をたたこう』。
これが大ヒットしたのが1964年。歌い手は坂本九ちゃんであった。
当時、ちょっとした集まりがあると、猫も杓子も、必ず最後は『幸せなら手をたたこう』を歌うという、おぞましい時代がそれからしばらく続いたのであった。

幸せなら

が、あたしは、頑としてこれを歌わなかった。
なぜかって言うと、意味が全然解らないから。


まず当時10歳だったあたしには、「幸せ」の定義が解らない。
幼少時から、3歳上の従兄弟にイジメられ続け、ヒステリーだった母親は50センチの竹尺でしょっちゅうあたしをバシバシ叩き、寝間着の紐でグルグル巻きにして押し入れに放り込んだ。
10歳の時に海で溺れて、溺死から蘇生したが、それが美談として全国キャンペーンのネタにされ、学校へ行くのも、生きているのも恥ずかしくて辛かった。
家を出る15歳まで、夜尿症が治らず、苦しんだ。
明石家さんまは「ポン酢しょうゆ」がある家が幸せだと結論づけていたが、我が家に「ポン酢しょうゆ」はなかったのである。


次に、「幸せなら」の「なら」の意味が解らない。
「なら」というのは、If you feel ということであろうか? それとも、You should という意味のどっちなんだろうか?
たぶん、この歌は、後者なんだろうと思う。


で、次の「手をたたこう」も解らない。
先ず手をたたく意味が解らない。
さらには、「幸せなら」と「手をたたこう」という因果関係も解らない。
なぜ「幸せ」なら、「手をたたか」なければならないのか? まったくもって意味不明、奇怪至極である。


さらに、腹立たしいのは、
「幸せなら態度で示そうよ」という呼びかけというか、強制である。
よしんば「幸せ」だと感じたとして、なぜそれを「態度で示さ」なければならないのか?
内に噛み締める、というのではダメなのか?
しみじみと、ほのぼのと「幸せ」を感じる、というのではダメなのか?

しかも「態度で示す」ということが、
なぜ「手をたたこう」「足ならそう」「ほっぺたたこう」「指ならそう」「泣きましょう」「笑いましょう」「手をつなごう」「とび上がろう」「相づち打とう」ということになるのか?
原節子を嫁にやって、家に一人ぼっちになって、リンゴの皮を静かに剥くという笠智衆ではダメなのか?


で、ダメ押しに「ほらみんなで手をたたこう」と言って、これを歌う先導者は、会場に居る全員を強制するのである。
ああ、おぞましい。こんなおぞましい歌があるであろうか?
これなら、まだ『インターナショナル』を歌う方がマシというものだ。


この歌が大好きな人は、イラクへ行って、アフガンへ行って、リビアへ行って、ギリシャへ行って、チベットへ行って、ソマリアへ行って、同じように歌えるのか? 歌えたら立派である。


ガリガリクラブ次回予定:11月24日(木)

『Armadillo』再放送
10月22日(土)23日(日)17時~17時50分 NHK BS1

Armadillo The Movie - Trailer - UK subs from Fridthjof Film on Vimeo.



10月12・13日にBS1「世界のドキュメンタリー」で放送されたデンマーク映画の『Armadillo』を観て圧倒された。
デンマークという国は馴染みが薄く、デンマーク軍がISAF(国際治安支援部隊)として、イギリス軍と共に対タリバンの前線基地で戦っていることを、これを観て初めて知った。
念のために地図を見ると、ドイツの北側の突端に在って、スカンジナビア半島が目と鼻の先なのね。言葉はドイツ語に似てる感じもするんだけどちょっと違う。デンマーク語だそうだ。国旗は赤地に白の十字。

デンマーク


で何に圧倒されたかというと、リアリズムに対して。
たぶんこんな戦場ドキュメンタリーは今までなかったんじゃないかな?
僕は観ながら、すぐにキャスリン・ビグロー(ジェームズ・キャメロンの元奥さんね。才人です。)の『The Hurt Locker』を思い出したんだ。
すごく似てるんだ。何がって、雰囲気が。
ニール・ブロムカンプの『第九地区』とも近い感じがある。

hurt locker

The Hurt Locker』と『第九地区』は、ドキュメンタリー風に創った劇映画だけど、『Armadillo』は劇映画風に編集されたドキュメンタリーで、もうその垣根はない感じなのだ。
どっちが劇映画で、どっちがドキュメンタリーか、こうなるともう解らない。
これはきっと、ハイビジョンの小型のデジタルカメラが登場したという技術革新の影響が非常に大きいんだと思う。


そのことは後でまた考察するとして、まずびっくりするのは、「よくこんなドキュメンタリーの撮影を、デンマークという国と軍が許可したな」ということだ。
その意図が見えないのだ。
と同時に、二番目にびっくりしたのは、監督の意図も見えないということ。
ほとんど9割型、自分の意思というものを殺して、ただ撮っているのだ。(もちろん、もの凄く計算してそうしているわけだが‥‥)これはけなしているのではなくて、大評価して言っているんだが。
たぶん一般の人は、カメラを意識することなく、見終わってしまうだろう。


NHKで放送された後編では、前編でのダイジェストに引き続いて、たぶんNHKが付け足したであろう「七ヶ月の前線勤務の中でしだいに普段の感覚を失って行く」とかなんとかいう<見所解説>がくっついていたんだけど、「余計なことをするな」と思った。
録画をしたけど、その部分はカットした。
作者が、それを意図して撮っていたようには僕には思えなかったし、基本的に、どう感じるかは観た人それぞれのものだから。こんな見所解説などいらないよ。


よく、戦争映画を、これは「戦争賛美映画」なのか「反戦映画」なのか、ということを問題にしたがる人たちがいる。
最近では、クリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』もその遡上に上げられた。バカバカしいったらありゃしない。
たしかに戦時中は「戦意昂揚映画」がたくさん創られたので、戦後はその反動として「反戦」でなければならないという価値観が育ったのは仕方がない。
ところが今は、戦争映画の描写が凄まじくなって、ハリウッドお得意の銃撃、爆発、炎上をドッカンドッカンやられると、これは果たして「好戦映画」なのか「反戦映画」なのか、判断がつきかねるという具合で、反戦サヨクの人たちも分別に困っているわけだ。


しかし、こういうときはどうするんだヨ。
「戦意昂揚映画」を観たら、厭戦気分が高まり、「反戦映画」を観たら暴力衝動が高まった、といった場合には。
そういう人間だっているだろうに。
他ならぬ自分がそう。「反戦映画」を観ると、スクリーンを燃やしたくなるもの。
きっと戦時中だって、「戦意昂揚映画」を観て「いやだなー」と思った人はいっぱいいたと思うんだ。


この『Armadillo』と『The Hurt Locker』は、それを規定していないというところで、今の時代の戦争ものになっている点が、僕は断然新しいと思うのだ。
提示しているのは、ただただ「リアル」。
前線基地の日常って、こんななのか。


結局つきつめると、軍隊の日常ってものが基本にあって、兵隊はやっていることに大義なんて感じてないし「ヴェトナム」の二の舞の感じがするけど、自分は上官の命令に従って、敵をやっつけるだけさ。
それで首尾よくいけば、達成感もあるし、誉められるとちょっと嬉しいな。
って、そんな感じなんだ。


要は、このブログで何度も書いているけど、今は敵がハッキリしない時代なんだ。
兵士たちも「こりゃヴェトナムの二の舞だよな」と思いながら、目の前のやるべきことを命令に従ってやっているだけなんだ。
じゃあ、「その大本の命令は誰が出しているのか?」ってことになるけど、ブッシュがGOサインを出したイラク戦争だって、結局「大量破壊兵器」っていう「大義」はなかったわけでしょう?
「限りなき経済成長を続けるにはエネルギーが必要で、そのためには原発が欠かせない」ってロジックだって、それが「大義」なの? って今じゃみんな思い始めている。
「自由のための戦い」とか「民主主義を世界に」だって、それが「大義」かどうか怪しい。


怪しいのに、怪しい命令を下す人たちに付き従って右往左往するというのが庶民。
それが、今の時代のリアルなんだと僕は思う。
そういう意味で、『Armadillo』も『The Hurt Locker』も『第九地区』も、僕は現代のリアルを感じたんだ。


●『Armadillo』の撮影技術的な話
続きを読む
僕が最近いちばん気に入っているテレビ番組、BSプレミアムの『Amazing Voice』。
最初は「ゆるいなー」と思ってチラ見していたんだけど、だんだんハマってしまった。
先月の特集はキューバで、以前からキューバにはもの凄く関心があったから、番組を見てますますその魅力に惹き付けられた。


キューバって凄いなぁ。ライブハウスで有名な『トローバの家(La Casa de la Troba)』は国営で無料なんだぜ。それで午前10時から深夜1時までやっているの。
街でヤカンを持ってコーヒー売りをしているナイス・ギャルも、国営事業だってんだから、驚くね。
国営の行商だ。
すると、このお姉ちゃんたちは国家公務員ってことになるかな?


僕が子供のころは「キューバ危機」(ソ連がキューバにミサイル基地を建設したことをめぐって、米ソがあわや核戦争寸前というところまでいった国際危機)もあって、社会主義、共産主義の国家は極悪非道ということになっていた。
ニュースで流されるソ連の映像は軍事パレードばっかりで、軍服が野暮ったくて、何をする国か解らんという怖さがあった。(特にブレジネフの眉毛は怖かった。人形劇みたいで)

ブレジネフ

しかし、この10年くらいで映像の環境が大きく変わり、世界中の映像を見続けて僕が感じたのは、「結局、庶民はみんな同じ」ということだった。
違うように見せている、あるいは感じさせているのは「国家」であった。
「国家」というのは「枠組み」で、頭のいい人たちは「枠組み」を作るのが大好きで、それをコントロールすることに情熱を傾けている。
それで、壁が出来ちゃうんだな。
そしてその「壁(difference)」を強調するために、情報統制をいろいろ仕掛けているわけだ。
なぜか? その方が国家意識が高まり、統治しやすくなるから。そして一部の人に利益が転がり込むから。


北朝鮮は失敗したけど、映像を見ている限り、キューバの社会主義は人々がハッピーに見える。
歌って踊って酒呑んでという国民性が下地にあったから、社会主義が根付いたのか?
それとも社会主義の理想とリーダーシップがうまく機能したから、歌って踊って酒呑んでいられるのか?
隠された暗部はないのか?
ああ、キューバに行ってみたい。でも金がない。
仕方がないから、『世界ふれあい街歩き』を見て行ったつもりになるしかないが‥‥。
これを「キューバしのぎ」という。


キューバは金銭的な比較では貧しい国だと思うけど、でも生活はゆったりしていて楽しそうだな。
教育費も医療費もタダだと言うし。農業の近代化に力を入れている。
医療保険がなくて、大きな手術でもしたら家まで取られるアメリカと、どっちがいいんだろ?
オバマは医療保険改革に着手したけど、民間保険会社と保守層が「なんで貧乏人の病気や怪我の費用を、ちゃんと働いている人間が負担しなきゃならないんだ。あいつらは努力しないから貧乏なんだ」って言う。


資本主義だって、決して理想がなかったわけじゃない。
最初は理想があったんだ。理想の出発点は、案外、資本主義も社会主義も変わらないんだよね。
どうしたらハッピーな社会と生活が築けるかってことだから。
その過程で、やっぱりある程度の経済的豊かさが必要になってくる。
人間どうしたって、家が在って、働けて、メシが喰えて、安全と健康が保たれるというのは必須だから。
その基盤がないと、心がすさんで、暴力的になっていってしまうから。


資本主義は、その最低限の基盤を作るために、最初は非常によく機能した。
その成果が「中間大衆」の勃興だった。
でもその後がダメ。
テレビのニュースで真っ先に言う「株価の値動き」。あそこにはどんな「理想」があるのだろうか?
それに携わっている方々は、どんな「社会の理想」を持っておられるのだろうか?


僕らは、社会主義、共産主義の国家は極悪非道だって刷り込まれたんだけど、「でもそうでもねーじゃん、資本主義の方がひでぇじゃん」って感じだな。
資本主義と民主主義の総本山であるアメリカの若者たちも、それに気づき始めたんだな。
キューバ建国の「理想」を見たければ、次の映画がおすすめ。
モーターサイクル・ダイアリーズ
チェ 28歳の革命(2008)
チェ 39歳別れの手紙(2008)


えーと何の話しをしてたんだっけ? あ、そうだ、『Amazing Voice』だ。
今までこんな番組なかったんだけど、時代は、こういうのを求めているんだと思う。
本当は、音楽ってもっとも直截的な感情表現で、それは年齢ごとの味わいがあるものだと思うのね。
世界の音楽を聴くと、特にキューバはそうだけど、どこの国もお爺さんお婆さんがけっこう頑張っているんだ。
やっぱりその年代だからできる、様々な人生経験をしたからこそ可能、という味わいがあるのよね。
だけど、日本や韓国、台湾、香港などのアジア圏はジャリタレばっかりだもんね。
音楽産業とメディアが結託して、そういう市場を作っちゃったんだ。
でも少なくとも、僕はもうけっこう。そういうものになんにも魅力感じない。
マーケティングの香りしかしないもの。


振り返ってみると、民放のテレビ番組をまったく観なくなって1年以上経つ。
音楽産業も、今のようなことを続けていたら見捨てられると思うな。
どの業界でもそうだけど、業界人ってプロ連中は、実はもっともアマチュアなんだ。
生活のプロ、観客のプロ、視聴者のプロ、使用者のプロのどれにもなれない。


僕、以前仕事していた時(前は働いていた)、
ビール会社の会議に出て担当者に言ったの。
「あなた方は、ビールの話ばっかりしているが、一日中ビールのことばかり考えているユーザーなんていないよ」
って。
もちろんヒンシュク買いました。
こういうことばっかり言ってるからクビになるんだな。
それで、ヒンシュク財政に陥ったと。まあ、こうなるわけでげすな。


3週間前、ニューヨークから始まった「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」という運動が、全米に拡大している。
「ウォール街を占拠せよ」と聴いて、マイケル・ムーアを思い出した人も居るだろう。
2009年の映画『キャピタリズム』で、マイケル・ムーアは映画スタッフ数人とウォール街に突入し、ビル街にテープを貼って封鎖すると、ハンドマイクで「市民逮捕に来たぞ!」と叫んだ。

キャピタリズム

あれから3年。ついにそれは、市民運動の大きなうねりに発展したのである。
運動の標語は、
“We are the 99 percent”
これは、全米人口のたった1パーセントの富裕層が、アメリカ資産の37.1パーセントを所有しているという極端な貧富格差状況を皮肉ったものである。
「俺たちは99%だ」と言うことで、1%の側に居る者に刃を突き付けているわけだ。


僕はこの運動の行方に非常に注目している。
一つにはこの運動が、アラブの民主革命と同様、SNSやインターネットのライブ映像を駆使することで広がっているという点だ。
これは前にも書いたが、革命やクーデターの際には放送局や新聞社を占拠するというのが、これまでの重要な戦略ポイントであった。
しかし今はその必要がないのだ。
既成のメディアにはもはや信用度がない。そんなものを奪い取っても仕方がなく、今はわざわざ奪い取らなくてもそれを凌駕するインターネット・メディアがあるのである。これは、銃よりも怖い武器になりうる。
僕にはこの武器を背景に、全世界的に「革命」のエネルギーが伝播していっているように感じる。
それが、インターネット発祥の地、アメリカにも逆伝播して来たのである。


二つには、今回のデモの理由だ。
アメリカは世界に冠たる「民主主義国」ということになっており、おせっかいにも他国に「民主主義」を輸出することに非常に熱心な国だった。
だから、「We are the 99 percent」の運動は、アラブの民主化革命とは関係ない、全く違う次元の話と思うかも知れない。が、僕は根っこは同じだと思う。
それは、<なんだかよく解らない支配構造への怒り>なのだと思う。
そういう意味では、「韓流ごりおし反対」デモが起きた日本も、同じだ。


今は「敵」が見えにくい時代なのである。支配構造が複雑で、支配者がステルスになっているのだ。
そうした中で、
サダトとか、ウォールストリートとか、韓流とかは、「仮の」目標になっているに過ぎないと思う。
本当は、よくは見えない本丸に迫りたいのだ。


ニュースを見ていたらアメリカ人の「政治評論家」のような人が、「We are the 99 percent」は、参加者の主張もバラバラで組織化もされておらず、共和党支持の「ティーパーティー」のような勢力にはならないだろう、といった発言をしていた。
しかしそれを聴いて、僕は(ああ、どこの国でも、従来視点から離れられず、的外れなことを言う人は居るものだなぁ)と思ったのである。


同じ時期、日本のマスコミは小沢一郎氏の「政治資金規正法違反(虚偽記載) 」問題を型通り流していて、裁判経過を説明した後で、型通り与野党の幹部のコメントを大きい党から順番に流し、それぞれの政党の幹部はこれまた型通りのコメントをしているのであった。
こんなものを、今どき関心をもって見る人などいるのだろうか?
与野党幹部へのインタビューが、サラリーマンネタの際の、新橋ガード下取材と同じになっているのだ。
バカバカしいったらありゃしない。
政治もメディアも、歌舞伎の型というか、伝統芸能化しちゃっている。
ジャーナリストよ、どこへ行ったのか?


アメリカ人の政治評論家も、「共和党VS民主党」という図式のフィルターを掛けて解説するというパターンから一歩も抜け出られない。
だから、「We are the 99 percent」は「方向性もまとまりも組織力もない」なんてコメントになってしまう。
でも、「方向性もまとまりも組織力もない」のが今の時代の「革命」の特徴なんだってことに、気がついていないのではないだろうか。
僕の驚きはむしろ、大統領選挙の時の、アメリカ人特有の熱狂的な「政治ショー」とは異質の感じを今回のデモから受けたことなのである。
それは、もしかしたら70年代のヒッピーカルチャーに通じるところがあるのかも知れない。べトナム戦争反対のときの。


そして三点めに、このデモの矛先がどこに向かっているかだ。
ニュースでは、今度のデモの扇動者はオバマ大統領の誕生を応援したリベラル派の若者たちであると解説し、やっぱり「共和党VS民主党」の図式に当てはめようとするのだが、これも違う。
かつて、<オバマ大統領の誕生には非常に期待をもっていたが、その後ガッカリした若者たち>が、今回の主役なのである。
つまり、共和党でアメリカがひどい国になったから、民主党のオバマを選んで期待を持ったけれど、それにもガッカリした。
だからといって共和党支持には寝返らない、という人たちなのである。


これは今の日本でも、そっくり同じだ。
「民主党に政権を担ってもらったけどさ、ガッカリだよね。でも今さら自民党はあり得ないよね」
そんな気分が蔓延し、それで、もう誰が首相になろうが「期待感などない」感覚に、国民はなっているのである。
「与党VS野党」の図式など、国民には関係ないし、もうどうでもよくなっているのである。
「どっちでもいいから、政治家はちゃんと政治をしてくれ」と言いたいのである。
ところが、政治村と報道村は、その感覚を掴むことが出来ていない。
それで、ニュース報道が伝統芸能化しているのである。


さてそこで、アメリカのこの若者たちの矛先は一体どこに向かうのか?
もしかしたら、これはこの先、どえりゃーことになるのではないかと、僕は予感している。
「共和党VS民主党」の対立軸ではなく、そうした構造そのものをぶっ壊すことになるのではないだろうか。


この先、2012年に掛けて、アメリカ帝国の歴史が終わる。
ドルは基軸通過としての地位を失い、覇権は中国とロシアに移って行く。
そして資本主義崩壊の最終章に突入し、世界は大混乱に陥る。
その仕上げをするのが、「We are the 99 percent」運動にあるような気がするのだ。


今回のデモ騒動に対するオバマ大統領のコメントは、非常に歯切れが悪かった。
一応、デモの背景に理解を示しつつも、雇用対策が進まないのは共和党のせいだと、オバマさんは言った。
その曇った顔を見たとき、僕は直感した。
「あ、本音を言っていない」
そして、「アメリカの大統領は実はウォール街が選んでいる」「ロックフェラー家が、ブッシュの次の大統領はオバマと決めていた」という話を、今まで半信半疑だったのだが、「たぶんその通りなんだろう」と思うようになった。


これは「闇の権力者」といった形で語られることが多いのだが、副島隆彦さんなんかは「闇じゃなくて、れっきとした表なんだ」と言う。
要するに、世界はヨーロッパ系のロスチャイルド金融財閥と、アメリカ系のロックフェラー石油帝国に支配されているという説だ。
そして、「共和党VS民主党」といった対立軸も、民衆の不満をそらすために意図的に創られ、適当にスイッチすることでガス抜きを行っているというのである。
この問題に首を突っ込むと、そのまた裏があり、さらにはその先の裏までありと、信じ難いことになっていくのだが、ここではこれ以上書かないことにする。皆さん独自でお調べ下さい。


で、何を言いたいかというと、オバマさんの顔の曇りは、「あ、真実がバレそう」という感じに見えたのだった。
“CHANGE”で登場したときは、「共和党VS民主党」の対立軸を背負っていたのであれほど颯爽としていたのに、今は見る影もない。
今の状況は、そういう「演出」が効かなくなっているのだ。
今度の「We are the 99 percent」デモは、闇の権力者にとって、その支配構造の化けの皮が剥がれる非常に重大な危機に映っているのかも知れない。
だからこそ、御用政治評論家が、ムリヤリ「共和党VS民主党」の従来の図式に引きずり戻そうと焦っているのであろう。
しかしその試みは成功しないであろう。
アメリカの衰退は既定路線であり、二大財閥の世界支配も、終わりを告げることになるのであろう。


◉参考
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-10-07
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-10-04
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18
スティーブ・ジョブス

昨日、Apple の Steve Jobs氏が亡くなった。僕よりも1歳若い56歳ということだった。
僕が一番最初に手にしたパソコンは、NECの98であったが、その後すぐに Apple にチェンジした。その当時のApple は40万円以上もしたが、超カッコよかった。
僕は単純で、ものごとの判断基準が<カッコいいか、カッコ悪いか>だけだったが、Apple は断然カッコよかったのだ。


バブル時代、高級マンションに住み、フェラーリに乗るといったライフスタイルがみんなの羨望として取り上げられた時期があったが、それは僕にとっては最も<カッコ悪い>ことであった。
その後、ヨウジ・ヤマモトさんがこう言っていることを知り、「なるほど」と膝を叩いた。
「カッコいい服を着ればカッコいいんじゃないんです。カッコいい人が、カッコいい服を着るから、カッコいいんです」
僕は単純だから、これがその後の、座右の銘になった。


Steve Jobs氏は、ジーンズとタートルネックのシャツという姿で壇上に立ち、Apple の新機種のプレゼンテーションを自ら行った。
白州次郎は日本でいちばん最初にジーンズとTシャツを着た男ということになっているらしいが、それは彼にとっては野良着で、やっぱり断然カッコよかった。
要は、カッコいい人は、なんでもカッコよく着こなしてしまうのであった。


Steve Jobs氏 がしてきたことを自分は無条件に評価することはできないのだが(世の中がだんだんと『マイノリティ・リポート』のようになっていくことに、個人的には危惧がある)Steve Jobs氏その人は、ものすごくカッコよかった。きっとコンピュータの世界にいなくても、すばらしいことを為し遂げただろう。


Apple のカッコよさは、その「デザイン思想」にあった。
Apple の製品ラインナップは驚くほど少ない。それで世界を席巻したのは、こういう理想像を創りたいというコンセプトが、際だって明確だったからだ。
そしてそれは、Steve Jobs氏の思想そのものであった。つまり、
「カッコいい人が、カッコいい物を創ったから、カッコいい」のであった。


しかるに日本や韓国のメーカーはどうであろうか?
革新的コンセプトはちゃっかり横取りし、それに改善・改良の付け足しをすることと、ラインナップを増やすことで、あらゆるニーズを拾おうとするのである。
それは、僕にとって、ものすごく<カッコ悪い>ことである。
トヨタ車が<カッコ悪い>のは、
「カッコ悪い人が、カッコいい物を創ろうとしても、カッコ悪い」
ものしか出来ないという証明である。


トヨタ車を見ると、自分の目には、マーケティングが透けて見える。
シェイプやラインの隅々に至るまで。
そこには、マーケティングしかなく、何が理想なのかという「デザイン思想」がない。
ああ、カッコ悪いなー。でも売れるんだろうなー。
さる科学技術者の方にお会いした。
そこで、原発事故の話しになったので、僕はこう切り出した。
「放射能を無害化するバクテリアとか、そういうものが発見できないんでしょうかねぇ」
するとその科学技術者がニベもなくこう言った。
「あ、そりゃ無理。放射性物質ってのはそれぞれ半減期ってのが決まっていて、時間が経過しないと弱くなっていかない。放射能を取り除くことは不可能。確か、高校の時に習ったはず。集めることは出来るよ。集めることはできるけど、無害化はできない」


ま、解るよ、解るけど、それでも何かないかって、科学者の盲点をつく発見があるんじゃないかって、訊いているんじゃないか!(あのー僕、実は高校へは進学していない。ガチョーン!)


次いで、その人は言った。
「放射線の影響なんて、実はあんまりよく解ってないし、多少ガンが増えるリスクはあるけど、それで人類が決定的ダメージを受けるなんてことはない。影響があったとしてもほんの数パーセントで、殆どの人はそれでも生き残っていくんだから。広島原爆の後、100年は植物は育たないって言われてたのにすぐに生えたし、今は人も住んでいる。今騒いでいる汚染も、しょうがないから、適当に放射線被曝の基準値を決めているだけ」


ま、解るよ、解るけどさ。
いやだなぁ、そういう科学技術者的「達観」の仕方って。


いま食品に含まれる放射能を測定する動きが広がっている。
子供を持つ主婦は「基準値より下回っていると言っても、1ベクレルだって嫌ですね。大人は仕方ないけど、子供にはそんなものは食べさせられないです」って言う。
そこには、熱しやすく冷めやすい日本人特有の反応があるとしても、それを科学技術者的「達観」で嗤えないんじゃないかな。
確かに、放射能に限らず全く汚染されていないものなんてない。空気だって、水だって。
みんな、ある基準より下ってだけだ。だからその習いに従えば、「放射線だって同じ」というのは、<その通り!>って言うしかない。


僕だって、ドキュメンタリーを見続けて、チェルノブイリ事故の後地が、いま動物たちのサンクチュアリになっていることも知っている。
仰ってることが<その通り>だってことも解る。
だけどね。


その発想は、「原発は科学技術者的コントロール下にきちんと置いておけば、安全性になんら問題はない」というのと、土壌は同じなんだ。
ドジョウが出て来てこんにちは、だ。


科学技術者的「達観」と、僕の気分と、いったい何が違うかっていうと、「理想社会のあり方」だと思うんだ。


知ってる? 手塚治虫は、『鉄腕アトム』を代表作といわれることに、晩年もの凄く抵抗があったんだよ。
主人公の名前はアトムで、妹がウラン、お兄さんがコバルトでしょ。
アトムの10万馬力は、原子力で動いている。
つまり、『鉄腕アトム』は、原子力が希望の灯であった時代の、それを礼賛した産物だったのね。
そのことに、後になって手塚治虫は、ジクジクたる(あ、間違えた。じくじくは水虫だ。治虫は)ジクジたる思いがあったらしいよ。


小学生の時分の僕は、完全な科学少年で、学研の『科学』を定期購読していたのはもちろん、図書館にあった科学関係の本は次から次へと読み漁った。
将来はトヨタ自動車に入りたいと思っていた。フォードの時代から、レイモンド・ローウィの流線型理論、そしてモータースポーツの世界へと興味が膨らんだ。


しかし‥‥、今は、クルマになんか、なーーーーんも興味なし。
デザインがかっこいいと思うのはやっぱり70年代までのクルマで、それ以降は、もう変質してしまったと思うのだ。
不思議だね。『マタンゴ』と同じで、「いいな」と思う感覚が、その時代にワープしてしまうんだ。
当時と今と、いったい何が違うのかというと、そのデザインを支えていた「時代の価値観」が変質してしまったと思う。
その当時は、原子力が憧れであったのと同じく、クルマも馬力やスピードや流線型が憧れであった。
だけど今はどうだ。ガソリン大食いで排気ガスまき散らし暴走するクルマなど、犯罪的ですらある!


ユーミンの旦那さんの松任谷正隆さんが『CAR GRAPHIC TV』というのをやっておられるのだけれど、(それは趣味だからとやかくいうこともないのかもしれないが)僕個人的には「未だにこんなものやってるのか」という違和感を拭いきれない。
今のクルマを評価するという、その「評価」の方向性が、僕にはさっぱり解らない。
時代の断層を超えて、共通した評価基準なんてあるのだろうか? 価値観がまるっきり変わってきているのに‥‥。
エンスーって、まだいるのだろうか‥‥?


何を言いたいかっていうと、「科学を無条件に信用する時代はとっくに終わった」って言いたいわけ。
だから、科学技術者的「達観」も、それは実は達観じゃなくて、今の時代性を感受できていない「科学技術村の村人思考」に過ぎないと思うわけ。
それよりは、「1ベクレルだって嫌」っていう主婦の方が、認識は間違っていたとしても、時代性は掴んでいるんじゃないかと、僕は思うわけ。


作家の開高健さんが生前こう言っていた。(正確じゃないかも知れないが、概ねこんな感じ)
北斎のポルノと西洋人のポルノを比べると、北斎の方が実におおらかだ。それは、西洋のものはポルノだって言っても、教会への反抗とかそういう理屈が常について回る。それに対して北斎にはそれがない。結局、それは一神教とアニミズム(汎霊説)との違いだ。しかし、一神教の場合は科学の発達に対して神への怖れというものがあるのに対し、アニミズムには科学への怖れは生じない。だから日本が、科学万能で突き進むのが心配だ」


これについては、前半はその通りだと思うけど、後半は当たってないと僕は思う。
イスラム教は、宗教と法律と科学が分離しなかった。しかしキリスト教はこれを分離した。
中世のある時期まで、イスラム教の科学は非常に発達していて、キリスト教がそれを後追いする形だったが、その後、キリスト教は宗教と法律と科学を分離したので、宗教の制約を受けることなく、法律と科学が発達(と言っていいかどうか解らないが)したのだ。


キリスト教の原理主義派が、たとえば「ダーウィンの進化論を認めない」と言ったりしていることは、「神への怖れ」ではないと思う。
そうではなくて、「支配権が奪われることへの怖れ」に過ぎないと思う。
結局のところ、原理主義派もそうでない派も、キリスト教文化圏は「人間主義」で、人間が自然をコントロールするという思想からは離れられないのだと思う。
それよりは、アニミズムの方にこそ「科学への怖れ」が根源的にあるのではないだろうか。
福島原発事故以降、人々の意識が大きく変わったのは、そこだと僕は思う。


※便宜上、西洋と日本、キリスト教とアニミズムのような書き方をしましたが、西洋人にもアニミズムはありますし、日本人にも西洋的マキャベリズムの人は大勢います。
JR新宿のホームで中央線を待っていたんだ。
その時流れて来たアナウンス。
「ただ今のお時間、先頭車両は女性専用となっていただいております」


だって。


ハハー(平伏)、先頭車両さまぁ。おんらぁ。よーく解りましただよ。
先頭車両さまには、逆らえねーでがす。
先日、田舎に帰った折りのこと。
駅のホームを出て、キャスター付きのバッグをコロコロ転がしたその刹那、すーっと2台のマウンテンバイクが走りよってきて、たちまち挟み撃ちにされてしまった。
それは、モルモン教の宣教師であった。
(えっ、こんな田舎にも、モルモン教の宣教師がいるのか?)と僕は、びっくりした。
同じことは、僕の地元、聖蹟桜ヶ丘でもやられていたので、内実はすでに解っていた。


こんな時、僕は、けっして邪見にはしない。むしろ、徹底的に相手になってあげるのだ。
それは論争しようというようなことではなくて、僕の関心事は、「洗脳が溶ける瞬間を見たい」という、ただそれだけの興味である。
人は様々なことで「洗脳」されている。自分が「まとも」だと思い、「洗脳された者」をワラっている人だって、なにがしかに、実は「洗脳」されているということは否定出来ない(もちろん小生だって)
例えば、資本主義も、民主主義も、自由主義経済も、実はみんな巧妙な、かつ強力な「洗脳」プログラムなのである。


1年ほど前、家のドアをノックする人がいるから、顔を出してみると、はたして「ものみの塔」の人たちであった。
この人たちとは「偶像崇拝」ということに関して、話をした。
気がつくと1時間が経過していて、部屋の中にはなにやら焦げ臭い匂いが漂っている。
調理中で鍋を火にかけていたことを、僕はすっかり忘れていた。
「あ、いけない」と慌てて台所に戻ったが時すでに遅し。
愛用の柳宗理の片手鍋は、取っ手まで丸焦げであった。あたー。
(この柳宗理の片手鍋なんですが、すぐれものなんです。お勧めします。どう優れているかは使えば解る!)
ということで、小生は「ものみの塔」の人だちに強く言いたい!


ひとの煮込みを襲うな!

なべ

それはさておき、「洗脳が溶ける瞬間を見たい」という願望は、要は「裸になった人物が見たい」ということである。
その人物を「裸にしてやりたい」ということなのである。


今を去ること十数年前、こんなことがあった。
渋谷の西武百貨店の中二階にお客様相談コーナーのようなところがあって、僕は当時「友の会」の積み立てをしていた件でそこへ相談に行った。
すると開店直後に、そのフロアの従業員が全員そろって、
「いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。ありがとうございます。ありがとうございます。」という、例の流通企業がみんなやるしょーもない「ご唱和」をやっていたのである。
それが終わるまで、5分くらい待たされたのだが、終わって目の前に坐った女性に僕は聞いてみた。
「これは、なんのためにやっているんですか?」
「お客様に、気持ちよくお買い物をしていただくためです」
「気持ちよくったって、いまこうして5分くらい待たされて、僕は気持ちよくないですよ。それよりは、すでに開店しているわけだし、目の前で待っているお客さんにすぐに接するということの方が重要ではないの?」
すると、その女性は、微笑みを浮かべて、
「お客様のためでございます」
と同じことを言った。
「そんな、ご唱和なんて、客には関係のないことだし、それは<お客様のために>というより、傍から見ていて、単なる企業論理に過ぎないと思うけど、あなたはそうは思わないの?」
すると、その女性は、また微笑んで、
「お客様のためでございます」
と言ったのである。
もの凄く、強力な「洗脳」である。


と思えば、つい1ヶ月前に、こんな電話が掛かって来た。
女優のナントカさん(僕の知らない人)という人が、あなたをインタビューして、その取材記事を雑誌に載せたいので応じてくれませんか? 突然ですが取材日は明後日なんです。
このテは2回目だったので僕は言った。
「ああ個人医院なんかに置いてあるっていう雑誌ね。取材って言ったって、金をとるんでしょ? 要は広告でしょう」
「うーん、まあ、正直そうです」
「僕は、もうそういうビジネスモデルがすでに意味がないと思うんだ。雑誌広告なんて崩壊しているし、女優が取材とか言ったって、そんなものに価値を感じないね」
すると、この営業のお兄ちゃんが、喰いついてきた。
で、僕は聞いた。
「あなたは、自分で今やっていることをどう思うの? 意義を感じているの?」
「もちろんです。自分が誇りに思えないような仕事はやっぱり出来ませんよ」
「へえー。立派な心掛けだね」
その後、理想の仕事論について1時間半も講義をすることになった。
そしてどうやらこのお兄ちゃんの年齢が32歳というところまでは聞き出せた。
お兄ちゃんは、しきりと僕の話に感心し、
「すばらしい。いま仰られた事をどうですか、誌面にぶつけてみませんか?」と言った。
「だからそれは最初に言ったとおり、そんなものに金を出す気はないって。それよりあなたは、今の仕事をしていて何が理想なの? そこを聞きたい!」
田原総一朗が自分に乗り移った。
するとお兄ちゃんは答えた。
「それは今すぐ、お客さまが契約してくれる事です!」
はー、気が抜けた。ガックリして、僕は言った。
「あのね、僕はぜんぜん金がないの。貯金通帳に5万くらいしかないんだよ」
すると、途端にお兄ちゃんの態度がジャガーチェンジ(豹変)した。
「あ、わかりました」ガチャン!


僕は、田原総一朗ではなかった。
あの「すばらしい!」とか「尊敬します」とか「そんな考え初めて伺いました」とか、あれはいったい何だったのだろうか‥‥。
平気でウソをつく人間が考えている「仕事の誇り」とは何なのか? と考え込んでしまった。
あ、そうか。「仕事の誇り」ってのもウソなんだ。


こんな人間を、僕は魅力に感じないし、とうてい信じる気になれない。
ま、逆に言えば、インタビュアーとしての自分が「未熟」ってことなんですけど。
ハイ、すみません。
優秀なインタビュアーとは、相手を裸に出来る人なのである。
人は、みんな、いっぱいいっぱいペルソナ(仮面)を被っている。
それをひっぺがして、スの人間を引き摺り出してやるのが優秀なインタビュアーだ。
そういうことでは、自分は、相手を裸にする強引さと、テクニックがまだまだ足りない! 反省。


話しを元に戻して、このモルモン教のお兄ちゃんたち(20代前半で一人はアメリカ人)が言うには、
「モルモン書には<真実>が書いてあるので、これを皆さんにも読んで貰いたい」
と。で、僕は言った。
「どうして、それが<真実>だってことが解るの? 他に<真実>が書かれたものはないの?」
「他のものは読んでいないので解りませんが、ここには間違いなく<真実>が書かれているので、他のものはお勧め出来ませんが、これは自信をもってお勧め出来ます」
「他のものを検討してしていないのになぜモルモン書だけが<真実>だって言えるの? 僕は仏教を多少齧ったけど、お釈迦様だって結構いいこと言ってるよ」
「それは知りませんが、モルモン書には<真実>が書いてあります」
「あのね。あなたたちがキリスト教を日本に布教しようとしていること自体が、もう時代錯誤だと思うんだ。むしろキリスト教徒が東洋的考えを勉強しなければならない時代じゃないの?」
「それは解りませんが、モルモン書が<真実>だということは言えます」
「何が真実だよ。世界中の紛争は、みんなキリスト教徒、なかんずくアメリカ人が起こしているじゃないか? 日本にモルモン教を布教しようとする前に、アメリカをなんとかしてくれよ」
「アメリカ人にもいい人と悪い人はいます。日本だって、パールハーバーでだまし討ちにしたでしょ」
僕は、パールハーバーの裏事情を説明しようかと思ったが、長くなるし、肝心なことになるとこのアメリカ人は、「ワカラナーイ」を連発するのでやめた。
代わりに、今のアメリカがいかにひどい状況であるかを話し始めたのだが、なんかおかしい。
去年の中間選挙でとか、ティーパーティーとか、福音派がとか、オバマがビンラディン殺害の時に興奮してとか、何を話してもポカンとしている。
途中で、なんで自分がアメリカ人相手にアメリカの政治状況の解説をせにゃならんのか、とバカバカしくなったが、訊いてみて驚いた。
なんとモルモン教ではニュースに接することを禁じられているというのである。
なぜなら、ウソばっかりだから。
「ウソばっかり」ってのは、半分認めるよ。その通りだよ。
だからって、「モルモン書だけが<真実>」ってことにならないだろ。


まったくぅ、「終えりゃ洗脳」。


【註】えーこのギャグは、長門勇さんの‥‥って解説しないと、わからないかな? グスン。
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