LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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熱風


27日、菅首相が福島県知事に対し「原発事故で汚染された土壌や瓦礫の中間貯蔵施設の設置」を要請した、との報道がなされた。
例によって、また、サラリと重要なことを話し、またメディアもサラリと流しているのである。


http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110828ddm041040065000c.html


僕は5月21日のブログにこう書いた。
<不謹慎ととられるかもしれないが、今度の福島原発の事故で密かに喜んでいる人もいるんだ。
それは、あの地帯は今後「立ち入り禁止区域」にせざるをえないから、そうすると、これ幸いと、懸案だった核廃棄物処理場問題にけりがつくんだよ。
ゴミ捨て場がないまま、原発を見切り発車で推進し、廃棄物処理場問題はずっと先送り、先送りで来ていたのに、その問題が片付くんだ。
これも、いま政府が発言したらえらいことになるけど、どうせまた小出し作戦、諦め誘導作戦でやっていくから。最後はそうなるから、見ていてごらんなさい。>
って。
http://tokyolifestyle148.blog79.fc2.com/blog-entry-79.html


ほらね。僕が言った通りになったでしょう。
そして、7月10日のブログにはこう書いた。
<菅直人は、「秘匿」→「小出し」→「はぐらかし」→「うやむや」の順で情報をコントロールするのが「有効」であることを、これまでで学習してしまった。
本当の危機管理はディスクロージャーから始まるのに、それとはまったく逆なんです。
その方針は変えるつもりがないらしい。中国漁船衝突事件のときからいささかも変わらない。>
ってね。
http://tokyolifestyle148.blog79.fc2.com/blog-entry-83.html


このときの突然の小出し情報が、今や「帰郷困難」という言葉で定着しているんだぜ。ひどいじゃないか?
菅直人および菅政権って、ずーーーーっと、このパターンなんだ。
騙されちゃいけないよ。
細野豪志さんも、カッコいいけど、もう信用できないな。


それで、佐藤福島県知事は「困惑している」って語ったそうだけど、この佐藤って人、実は相当なタヌキだからね。
困惑してたって、最後は受け入れるようになるんだから。
もう最初からそういうシナリオなんだから。


そんな中、25日に「シネマトゥデイ」が、スタジオジブリ宮崎駿さんの原発反対デモの様子を報じた。
実はこれ、6月11日に4人と犬1匹で行い、「目撃者がわずか6人という情けなさ(宮崎駿さん)」だったという。
しかしその時の目撃者がたった6人だったとしても、宮崎駿さんは世界的に影響力のある人だから、きっとインターネットの世界から、もっと多くの人にメッセージが届くと思うよ。


●シネマトゥデイの記事はこちら
http://www.cinematoday.jp/page/N0034889
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先日、恥ずかしい思いをした。
ある言葉を、長年勘違いしたまま使っていたのだ。
そういうことに気づいた瞬間って、ありません?


ある人が、僕にこう言った。
「○○さん、奥さんが亡くなって、その夜はゴウナキしたらしいよ」
これはすぐに解った。「号泣」だってことが。
しかし次は解らなかった。


「人間やっぱり、じどうな生活しなきゃいけないね」
えっ! じどうな生活?
しばらくして、「地道」な生活だってことが解った。
でもって、僕の思い込み。


「この人は、ちょっと世間ズレしたところがあるんです」
「世間ズレ」という言葉を、ずっと、世間からズレた人のことだと思い、使っていたのだ。
あたー。
しかし、正しい意味は全くの逆。
世間によく馴れた人のことを言う。
僕の方がズレてたんだネ。すみましぇーん。


僕が言いたかった意味は、「浮世離れ」と言うんだよと、その場でインテリゲンチャの人に教えて貰った。
そうか、「浮世離れ」か。
あー恥ずかしい。
もっとも、作家の林真理子さんも、
「ひとっこひとり居ない」を、「一人っ子ひとり居ない」と覚えていたそうで、誰にも恥ずかしい体験はありそうですな。
駒形どぜう

8月18日の「ガリガリクラブ」は、渋谷の「駒形どぜう」さんへ。
ビールをがんがん飲みまくりました。
私が生まれた田舎では、夏は「どじょう」と「鯨汁」で乗り切るという感じなんです。
でも東京で食べる「どじょう鍋」も「鯨汁」も、ちと違うんだよね。ソフィスティケートされ過ぎていると思う。
やっぱり「どじょう」は、川魚臭さとワタの苦みがあってこそ「どじょう」だと思うんだ。
「鯨汁」も鯨の脂身のギトッとしたところが魅力なんで。これに夏野菜をたっぷり入れて具だくさん汁に仕上げるというのがうちのやり方。
僕は、ふだんは「具だくさん汁」は好まないんだけど、「どじょう汁」「けんちん汁」「鮭の粕汁」なんかは、具だくさんにする。
結局これらは、野菜をいっぱい摂取するためのもの。汁の入ったおかずなんだよね。
次回、ガリガリクラブは、9月22日(木曜)の予定。
8月14日(日曜)NHK ETV特集『アメリカから見た福島原発事故』は、福島第一原発一号機、GE製、通称「Mark 1」が欠陥商品であったことを暴露するレポートだった。
番組自体はよく取材されていて高く評価するが、惜しむらくはタイトルだ。
これでは、期待値に対して誤解を与えてしまう。もっと内容に直接切り込むようなタイトルにすべきだった。

mark1

さて、この番組によれば、アメリカでは1981年の段階で既に「全交流電源喪失」になった場合には「Mark 1」で水素爆発と炉心溶融事故発生が発生することがシミュレーションされ、ちゃんと報告書として提出されていた。
しかしそれは、確率からいえば非常に低いとの楽観論から、無視されてしまった。
結局、日本でもアメリカでも中国でも、支配層にある人々というのは、先ず自分たちの欲求実現ありきであって、そのために情報や状況を都合よく書き換えたり、組み立て直してしまうものなのだ。


一時期、ニュースで盛んに言われた「ベント」というものも、この「Mark 1」の基本的な欠陥を認識した上での非常用として、後から付けられたものであった。
それは、本来、放射能を外に漏らさないための圧力容器の破壊を防ぐために、放射性物質が含んだ高圧の蒸気を外に逃がして回避するという、矛盾した解決策であった。
つまり、重大な放射能汚染を引き起こすのよりは、軽度の放射能汚染の方がまだいいだろうという、妥協の産物であった。


ところが福島第一原発の事故では、配管中にある2箇所のベントのうちの一箇所が、すぐには開かなかった。(そりゃそうだ。想定外ということで、たぶんいじった事もなかったんでしょう)
それで、結局、重大な放射能汚染事故が発生してしまったというオソマツだったのだ。
要するに言われたような「想定外」ではなく、「想定」はされていたが「無視」されてしまったのだ。


福島第一原発で事故が発生した直後、日本での報道よりもずっと早く、アメリカ議会で事故の成り行きが憂慮されていたことを、僕は不思議に思っていた。
しかしこの謎が解けた。
アメリカは、「全交流電源喪失」になった場合の、水素爆発と炉心溶融事故発生を当然予測していた。
そして非常に早い段階から、無人偵察機のグローバルホークや、空中の放射線量を測る飛行機を飛ばして、実際にメルトダウンが起きていることを掴んでいたのである。

globalhawk

知らぬは、日本国民ばかりナリ。
この間、東電と政府は、うそ情報を流し続けたわけである。
「なぜか」ということは、既に多くの国民が知るところとなった。
それは政治と、東電と、マスコミとの癒着の構造である。


これはもう「未必の故意」(放っておけばそうなるかもしれないなーと知っていながら、なんもせんまま結果として起こっちゃった事故、事件)の犯罪だと思うのだ。
太平洋戦争で、180万人(推定)もの兵隊さんを餓死させた当時の指導者と、メンタリ恥ーはまったく同じだ。
「福島の県民がどうなろうと、わしゃ知らん」というスタンスなのだ。


僕は、この事故を「犯罪」として、当時の関係者を法廷に引き摺り出す必要があると思うのだ。
そうして、実際に何があったのかを、国民の前に明らかにしないと、次に進んではいけないと思うのだ。


太平洋戦争の時は、極東国際軍事裁判で、戦勝国が日本の指導層を裁いた。
しかしあれは、良くなかった。将来に禍根を残した。


戦争行為そのものは、国際法の上では、認められた外交手段の一つだった。
だから、日本の指導層を裁くことができなかったので、極東国際軍事裁判では、それまでの国際法廷にはなかった「平和に対する罪」という犯罪を急遽でっち上げて、それに抵触する人を「A級戦犯」として裁いた。
でもそれなら日本の民間人を大量殺戮したアメリカだって、もっとひどい「人道に体する罪」を犯しているってことになる。


そうじゃなくて、日本の指導層は、日本人が裁くべきだったのだ。
なぜ、負けると解っていた戦争をおっぱじめ、同胞を餓死や特攻作戦に追い込んだのか? いったいそれは誰が画策したのか? 背景にどういうメカニズムがあったのか?
それを明らかにしないまま、「A級戦犯」で決着したから、靖国神社への合祀がどうのこうのという議論にすり替わり、指導層の国民に対する責任というものがついに追及されなかったし、戦後も同じ体質が生き残ったのだ。


だから、3度目の原爆が落ちた(日本の指導層がアメリカの技術を借りて落とした)この際に、裁判を起こして、日本の指導層の犯罪を、日本人がきっちりと裁く必要があると、僕は思う。


●関連記事/映像
http://www.youtube.com/watch?v=UglFBcwlhao
http://musubu2.sblo.jp/article/47374904.html
http://orange.ap.teacup.com/tabibito1961/1416.html
https://spaceglow.wordpress.com/2011/05/13/
パソコンをやっていたら何やら膝の外側に違和感。
テーブルの下から足を出してみると、体長6センチほどのゴキブリが乗っかっている。
「ギエーーッ」
慌てて振りほどこうとすると、チクッと痛みが。
その後、パタパタと飛びながら床に落ちたゴキブリを、近くに在った雑誌で、
「コノヤロ、コノヤロ」
と、ぶったたいた。


四日後、その後に水泡が出来てる。
殺生の祟りか?
水泡を手で潰すと汁がダラーっと。
痛えーなー。まだヒリヒリする。
ゴキブリ様、侮れませんな。


ゴキブリに齧られた
イギリスで起きた暴動には、度肝を抜かれた人も多かったのではないだろうか?
「えっ! あのイギリスが?」
礼節を重んじる国のように感じていたが、襲撃、略奪、放火をなんら悪びれた様子もなく繰り返す若者たちには唖然とした。
「暴動の背景にはモラルの崩壊がある」と言うキャメロン首相。
それはそうなんだろうが、いったいなぜそうなってしまったのか?


イギリスはもともとが階級社会。産業革命以前は貴族が威張り、産業革命後は資本家が威張りちらした。
イギリスへ留学したことがある人の話を聞くと、どの人に聞いても「アジア系というだけで蔑視された経験がある」と言う。
今回の暴動の中心となったティーンエイジャーのギャングたちも、下層としての不満が鬱積していたのだと思う。


今は若者に「未来への希望」がない時代なのだ。
これはイギリスだけの話ではない。日本もまったく同じだ。
年越し派遣村が注目されたときは、一時マスコミもこの問題を取り上げていたが、今はほとんど話題にすら登らない。
では問題は解決したのか? まったくそのようなことはない。
もっと大きな問題のスキマの中に、隠れてしまっただけだ。


では、いったいどこに根本的な問題があるのか?
これはもう何度も書いてきたことなのだが、
竹中平蔵は、小泉改革の時に、
「日本の行く末は、全員が貧乏になるか、一部の金持ちに引っ張っていってもらうか、どっちかだ」
という、乱暴な二者択一を国民に提示し、「一部の金持ちが引っ張って行く」しかないことを強調したのだが、それで実際どうなったか?
確かに一部の(多くはアメリカの投資家)は金持ちになったが、その人たちは日本人の手を引っ張っていってはくれなかったのである。むしろ足を引っ張って、奈落の底に突き落としたのである。


諸悪の根源は、アメリカが金科玉条に唱える「自由貿易主義」と「金融資本主義」にある。
そのメカニズムはこうだ。


1950年代、アメリカがまだ輝いていた時代、製造業は世界のトップクラスにあった。
ところが、「自由貿易主義」を建前とするアメリカは、70年代くらいから外国の輸入製品に市場を奪われ、国内の製造業がどんどん衰退して行く。
日本はこれによって貿易立国となり、うなぎ上りの成長を続けて行った。(今そのポジションは中国が担っている)
本当は、この時期にアメリカは自国の製造業をもっと保護するべきであったのだ。
ところがそれを野放しにしたために、製造業は衰退し、失業者が増大してしまった。


するとどうなるのか?
消費経済を支えていた「中間大衆」が没落していったのである。
これはフォード・システムがどのように機能して行ったのか、ということの逆を考えてみればよく解る。
フォードは、ご承知のように「T型フォード」という大衆車をベルトコンベアーの流れ作業で生産することによって生産効率を上げ、価格を下げることに成功した。

ford_system

このとき、フォード社が支払う賃金が労働者に冨をもたらし、やがて労働者もクルマが買えるようになっていった。
こうして、生産、労働、賃金、消費の輪が回転し、しだいに作られて行ったのが「中間大衆」である。
そして「中間大衆」はやがて消費の受け皿となっていく。
60年代くらいまでのアメリカの豊かさとは、要するに「中間大衆」の勃興であったのだ。


ところが、
国内の製造業が、製造をやめるとどうなるのか?
労働者は賃金を貰えなくなり、失業者が増大する。
すると、消費の受け皿であった「中間大衆」が縮小し、消費も縮小して行き、経済はマイナスのスパイラルに陥るのである。


ところがアメリカは、国内製造業が壊滅的になっても消費は縮小しなかった。
なぜか?
賃金のない分を「借金」で埋めたからである。
アメリカ人は「借金」が当たり前の感覚になってしまった。
その「借金」の原資を提供していたのが日本や中国である。
日本が貿易黒字で儲けた金が、アメリカ国債を買うという形で、アメリカに還流し、アメリカ人は相変わらず派手な消費生活を続けていたのだ。


アメリカ大衆はそのことの危うさには気がついていなかった。
しかし、指導者層、支配層は、その「借金」をチャラにし、あやよくばもっと儲ける方法を考えた。
製造業が壊滅したのなら、製造しないで、儲ける方法。
早い話が、マネーを右から左に動かすだけで儲ければよい。それがいちばん手っ取り早い。
これがアメリカが考えた「戦略」であり、その手先になっていたのが竹中平蔵である。
日本は、そのカモにされたのである。


90年代に入って「日本式経営は古い!」というムードがなんとなく作られ(実際にはアメリカの戦略に日本の政官業とマスコミが嵌められたのだが)、会社の運営は、それまで一体感のあったものが、


「テーマ」と(何をやるかということ)
「経営者」と(マネジメントをする人)
「投資家」と(マネジメントを監視し儲けを横取りする人)
に分離されたのだ。


投資家にとっては「テーマ」など、どうでもいいのである。思い入れなど全然ない。
自分たちを儲けさせてくれる会社がいい会社である。
「経営者」はそのための小間使いみたいなもの。
投資家を儲けさせる経営がよい経営で、損を出させる経営はダメな経営なのだ。


では経営者はどうやって儲けを出すのか?
手っ取り早い方法は二つ。
地域の拡大(すなわちグローバリズム)と、
コストのカット(すなわち正規労働者の縮小)
であった。


そして、この「考え方」は、今もって変わってはいない。
それは、テレビ報道が、ますます株価の話ばかりになっているのを見れば一目瞭然だ。
しかし繰り返しになってしまうが、賃金を抑え込もうとする政策は、短期的には利益を生み出せても、長期的には購買者を減少させるので、経済はますます落ち込んでいってしまう。
これが、いま世界中で発生している「世界同時不況」の正体なのである。
工業製品の生産性が向上しても、それに見合う消費がないのだ。世界的に中間大衆が没落しているからである。


そこでグローバル企業は、次の大量消費の受け皿を求めて、触手を伸ばす。
それが、中国であり、インドやアフリカのBOP(bottom of the pyramid=最下層)ターゲットのビジネスなのである。
このようにして、強欲なグローバル企業は、目先の利益だけを考えて、世界中を駆け巡り、焼け野原のようにしていくのである。
それを、政官業外電の癒着した機構が、人々を洗脳しつつ、そちらに嵌まり込むように誘導しているのである。


大震災と福島第一原発の事故で、国民の間には、今までの生活を見直そうという気運が高まっていて、
さんざん聞かされてきた「原発がなければエネルギーが足りない」という話も嘘だったことがバレて(けっこうみんな省エネ生活をちゃんとやっているし、使用量も75%とかそんな数字になっているじゃないですか)、
意識が変わってきているのに、


指導層、支配層の意識や、やり方は、なーんも変わらないのだ。
あんな災害と事故を経験しても、まだ懲りないのだ。
産業が儲かれば人々の生活は豊かになるという、竹中平蔵が語っていたのと同じ騙しのテクニックを今でも使おうとする。
そんなロジックが通用する時代はとっくに終わっているし、それが嘘であることが次々と証明されて来ているというのに。
しかし、いずれ転換せざるを得ない、と思い知る時が来る。
問題は、それまでに、世界が持つかどうかだ。
太平洋戦争の検証番組を見て。


毎年この時期になると、NHKでは太平洋戦争に関する検証番組が多く放送される。
近年、これまで極秘とされていたり、人知れず眠っていた文書や映像が新たに発掘され、これまでの歴史認識を大きく変えつつある。


8月13日放送のハイビジョン特集『ヒロシマの黒い太陽』は、原爆製造に至るアメリカ政府の深い闇と、そして使用にまで突き進む政治的駆け引きを描いていて、興味深かった。
アメリカはこれまで、人類初の原爆使用を「太平洋戦争を集結させることに貢献した」と自己正当化し、アメリカ国民もそれを信じ込まされてきたのだが、実態はそんなものではなかったというのだ。


当初はナチが最初に原爆を製造することに怖れを抱き、それに勝ろうとして原爆製造に着手するも、その行動はルーズベルトの次の大統領、トルーマンさえも知らなかった議会に内緒の核開発であった。
しかし、巨額の使途不明金の存在が明るみになるにつれ、その「成果」を示す必要から、すでに戦局は終了に向かっていた日本をターゲットに、大急ぎで使用実験に踏み切ったというのが真相らしい。


しかもウランやプルトニウムの製造には多くの人間が携わっていたが、人体への放射線の影響を調べるために、患者には内緒でプルトニウム溶液を注射する人体実験も行っていたというのだ。
この患者たちは後に死亡し、プルトニウムの高い毒性が検証されたが、アメリカ政府は人体実験の事実と補償問題が起こるのを警戒し、この事実を隠蔽してしまう。
恐るべし。アメリカ帝国。この残虐非道。


続いてNHKスペシャル『日本人はなぜ戦争へと向かったのか?』。
太平洋戦争での日本軍の死者はおよそ300万人と言われている。
しかしこれらの死者の6割以上は、実は戦闘で亡くなったのではなく、「餓死」によるものであったという事実。
つまり180万人くらいは、日本国の政治的リーダーの不作為によって殺されたのだ。
ひどい!


いったいなぜこんなことが起こったのか?
番組では4つの問題点を上げる。
すなわち、


(1)外交戦略のなさ
(2)硬直化した官僚組織(軍)
(3)メディアの体質
(4)決断力なきリーダー


の4点である。
外交に関しては、情報収集力もしたたかさもなく、世界は「こんなものだろう」という島国発想。
当時、最大の官僚組織であった陸軍内部に起こった派閥抗争と事なかれ主義。
報道自主規制の中で、事実を伝えず、大本営発表垂れ流しで熱狂を作って行くメディア。
そして、その場しのぎの対応に終われ右往左往するリーダー。


なんのことはない。
福島第一原発事故のときの政府対応と、ソックリではないか!
戦後66年も経っているのに、その間、まったく進歩がなかったのか?
66年といえば、2世代が交代している筈。
ああ、それなのに。


これが日本人の体質なのか?
ドルの崩壊が近づいてきた。
ドルの崩壊とは、アメリカの覇権の崩壊でもある。
パックス・アメリカーナ」の時代が、いよいよ終わるのだ。


金融工学を考え出し、お金でお金を産み出すという、資本主義の暴走に突き進んだアメリカ。
マネーを弄んだから、マネーに潰される時が来たのだ。
因果応報である。


しかしその因果応報は、世界中を駆け巡る。
世界中が、アメリカの誘い水に乗ったからだ。
グローバル経済という名のもとに。
みな因果応報である。


それでもなお、政治は、反省しようとはしない。
日本政府はコメ先物の試験上場を認可し、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を推進しようとしている。
どこまでアメリカさんの言いなりになるつもりなのか?
ドルが崩壊したら、日本がアメリカに貸し付けた800兆円はパーになる。
世界経済の2割超がアメリカだと言っても、それは日本や中国その他が貸してあげたお金だ。
早い話が、アメリカさんはキャッシングをし過ぎた「多重債務者」なのである。
その「多重債務者」が、破産するかどうか(弁済をチャラにする)というところに来ているのだ。


NHKのBS1を見ていると、まったく「狂っている」と思うのである。
「株価」の情報ばっかり流している。
ニュースのトップでも「株価」を報じるのが当たり前になってしまった。
みんな、これが今はフツーのことのように思わされているのだが、それは、「原子力は安全」というのと同じ「洗脳」のプログラムなのだ。


いつの間にか、経済の状態を「株価」で測るという考え方が蔓延してしまった。
しかしこれって、ものすごーくヘンなことなのだ。
茶の間で、男がテレビを見ながらご飯を食べていたとする。
その男と、目の前の「株価」のニュースと、なんの関係がある?
その男が「株」をやっていたのなら、もちろん関係がある。
しかし株をやっていない人間には、直接には関係がない。
要するに「株価」のニュースで関係があるのは「投資家」だけなのだ。


にもかかわらず、「株価」情報ばかりをテレビで流しているというのは、とりもなおさず、経済というものが、現代では「投資家」中心に考えられているということを物語っている。


しかし、経済の状態を測る別の指標が、ちゃんとある!
それは、「雇用の量と質」である。
まず失業者がどの程度で抑えられているのか、そして労働の対価や働き具合が健全であるかどうかということ。
茶の間で、テレビを見ながらご飯を食べている男にとって(オレのことだがね)、「株価」のニュースと、「雇用の量と質」のニュースと、どっちが関係あるねん?


その国の経済がよい状態とは、「株価」が高いことではない!
(そんなもの、投機によって上がったり下がったりする)
何よりも「雇用の量と質」が健全であるということだ。
ところが、今では、世界中で「株価」ばっかり言うようになり、それを誰もヘンだとすら思わなくなっている。
これも、政官業外電が結託した「洗脳」のプログラムであることに、気がついて欲しい。


本当は、民衆にとっては「雇用」問題がいちばん重要であるのに、そこには眼を向けさせないようにし、あたかも経済にとっては「株価」こそが最重要問題であるかのように「洗脳」して行っているのである。
なぜか?
答えは簡単である。
民衆から金を奪うためである。


「投資家」が儲けるためには、同額の損を被る人が絶対に必要なのだ。
そのエサに喰いつく人を集めるために、経済状態は「株価」で測るもんなんだ是という、とんでもない考え方を、マスコミを使って「当たり前」にしようとしているのだ。


サブプライムローン破綻で、終わったのではない。
もう一回、世界経済は弾け飛ぶ。
その時限爆弾のスイッチがもう入っている。
反逆のメロディー

原田芳雄さんが19日に亡くなった。享年71歳だったそうだ。
ずっと若々しくステキだったので、トシをとらない人かと思っていたのだが、自分自身の年齢を考えると「あ、そうなのか」と改めて思った。


僕にとって、原田芳雄さんは単なる役者じゃなかった。
僕が原田芳雄さんという役者を知ったのは、日活映画『反逆のメロディー (1970)』が一番最初で、それから『新宿アウトローぶっ飛ばせ (1970)』『野良猫ロック暴走集団’71 (1971)』、そして『赤い鳥逃げた? (1973)』へと続くのであった。
これで僕は、今日に続く「反逆」という<生き方>に完全に染まってしまったのであった。
早い話が、原田芳雄さんは僕にとって「先生」であった。


いま57歳になって、それが良かったかどうかというと、やっぱり世間的価値からすれば「幸福」とは言えない。
金はないし、家族だっていない。でも、ま、こんなもんかな。(今の時代状況を考えれば、若い人に「自信を持って勧める」なんてことは、到底できないな)
しかしその当時、まだ10代後半だった僕は、<これこそがカッコいい生き方だ!>と、もの凄く興奮していたのだ。


コンセプトは「反逆」だけれど、いったい何に「反逆」していたかというと、僕の場合は「既成概念」とか「不正」だった。
『反逆のメロディー』が公開された1970年は、一方で「万博」があり、もう一方で「安保」改定があった。
学生運動はまだ続いていたけれど、僕は、「万博」という流行にも、「安保」という流行にも乗らなかった。
僕にとって、流行に乗ることはカッコ悪いことであった。
そうじゃなくて、権力を操っている奴ら(それは時に政治家、時に企業経営者、時に教師、時にオヤジだったりするけど)に「反逆」するぞ、という「精神構造」が作られたのであった。


しかし今思えば『赤い鳥逃げた? (1973)』における原田芳雄さんの役は、「反逆者」のその後を象徴していたのかも知れない。この映画で原田芳雄さんはインポになった流れ者の男という役どころで登場するのだ。
これで、役柄と原田芳雄という役者の、僕の中の混同は終わったのかも知れない。
その後、原田芳雄さんは、キャラクターを活かした「味のある上手い役者」に変身していく。
これは、やっぱり『赤い鳥逃げた?』に出演していた、桃井かおりさんなども同じ。
桃井かおりさん自身が語っているのだが、どこかで「桃井さんちのかおりちゃん」を辞めなきゃ、あるいは辞めたい、と思う時期が来るんだね。


亡くなる少し前、原田芳雄さんは車椅子に乗って痩せた体を舞台上で見せたけど、あれは役者魂だったと思う。
「味のある上手い役者」から、「原田芳雄という役者」に戻った瞬間だったんだな。
どこまでもカッコいい人であった。

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imanari munekazu

Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

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