LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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福島原発事故の初動失敗の実態が、徐々にメディアに露出するようになってきた。それによれば、政府はかなり早い段階で、メルトダウンの可能性を把握していたということだ。
というのは、放射線の種類と量を常にモニタリングしている中で、圧力容器が破れた場合にしか検出されない放射線が、すでに検出されていたからだ。


このデータは、日本国民には知らされなかったが、IAEAには報告されていたのだという。ということは、アメリカ政府および軍は非常に早い段階から、今日の危険度を可能性として承知していたことになる。なるほど、これで、原発事故直後のアメリカ議会や軍の素早い動きも納得できる。


しかし、お粗末すぎるのは、日本政府と東京電力のその後の対応だ。
枝野さんは「ただちに人体に影響が出るというものではないが、住民に避難していただくのは、あくまで万が一のことを想定して」と言っていたが、じゃあ、一体あれは何だったのか?


東京電力が嘘をつかなければならなかった理由はどこにあったのか?
日本政府が、情報を秘匿した背景にはいったい何があったのか?
まだ、殆ど明らかにされていない。
相変わらずの小出し作戦である。


先日、知人と話をしていたとき、この人が「裁判をやらなきゃダメだ」と言ったのだ。
「なるほどね」と、僕は思った。
東電の役員と政府の首脳を、お白州に引き摺り出して、いったい何があったのか、すべてを明らかにさせなければならない。
ウヤムヤにさせちゃダメだ。


それと、現場の作業員さんがどんな人たちで、どのようにして集められ、どんな待遇を受けながら作業しているのかといったことも明らかになってきた。『週刊新潮』によれば、現在の処理業務はゼネコンが受注し、ゼネコンが手配師となって、日当1.5万円で人を送り込んでいるのだという。別途、危険手当というものもあるらしいが、まだそれは支払われていないということだ。


この現場の作業員と、東電社員、東電幹部、政府首脳、原子力非安全・不安院、学者先生たちとの、意識のギャップを感じざるを得ない。
我々がテレビで知る情報は、後者の人たちから出てくる情報なのだが、そんなの信用できるだろうか?
20日のニュースで「東電、今期1.2兆円の赤字」という報道がされたが、僕はこれも非常に怪しいと睨んでいる。会計処理のことはよくわからないが、今の段階でなんで廃炉の費用まで計上されているのか? まだ始まっていないのに‥‥


要するに、<債務超過ではないけど、大幅赤字だよ>という落とし所を設定して数字を出していると思うのだ。
それによって、配当をしなくていいとか、同情を買うとか、損害賠償額に手心を加えてもらうとか、きっとそんな意図があるに違いない。


僕は今度の事故報道を見ていて、記者クラブ制度ならびに大手メディアのしょうもなさをひしひしと感じた。
インターネットで情報をとっていた者には、福島原発の事故直後の状況は、大手メディアの情報よりもはるかによく解っていた。しかし問題は、インターネットの場合は探しにいかなくてはならないため、たどりつける人はわずかだということ。
僕の試算では、事故直後の政府発表の嘘を知っていた人は多くて2万人規模だと思う。うーん、そんなにいないかなぁ?
国民の大多数は、テレビのしょうもない情報を信じこまされていたのだ。
その意味で、日本はインターネット後進国だなぁと思わざるを得ない。


前々から疑問に思っていたんだけど、原発推進のロジックとして、
●二酸化炭素を出さないからクリーン
●発電コストが1キロワット当たり、5~6円と安い
ということになっていた。


「二酸化炭素を出さない」はいいけど、放射性物質と放射性廃棄物は出すわけで、今回「クリーン」どころが、超危険であったことが証明されてしまった。
一方のコストだけど、ここには廃棄処理コストと万が一の事故処理コストが入っていないわけでしょ。それに原子力発電所を造るのも壊すのも、石油エネルギーを使ってやるんだよね。福島原発の水蒸気爆発が、電源が落ちたためというのは、なんとも皮肉過ぎるよ。石油エネルギーがなくちゃ原子力発電所は動かせないんだ。
そうなると、「発電コストが安い」というのは、怪しいと言わざるを得ない。


不謹慎ととられるかもしれないが、今度の福島原発の事故で密かに喜んでいる人もいるんだ。
それは、あの地帯は今後「立ち入り禁止区域」にせざるをえないから、そうすると、これ幸いと、懸案だった核廃棄物処理場問題にけりがつくんだよ。
ゴミ捨て場がないまま、原発を見切り発車で推進し、廃棄物処理場問題はずっと先送り、先送りで来ていたのに、その問題が片付くんだ。


これも、いま政府が発言したらえらいことになるけど、どうせまた小出し作戦、諦め誘導作戦でやっていくから。最後はそうなるから、見ていてごらんなさい。
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米軍の特殊部隊がオサマ・ビン・ラディンのアジトを急襲する際の映像を、固唾を飲んで見守るオバマ大統領とクリントン国務長官。
この写真を見て、ガッカリしたなぁ。
オバマさん。お前もかい?
ここに、アメリカの本質がある。


なぜ殺害する? 9.11の容疑者であるかどうかさえ解っていないのに。
単にブッシュがそう決めつけただけなんだぜ。
それを他国に行って人殺しをして、「アメリカの国内法では合法だ」って
なんだよそれ。メチャクチャじゃないか。
パキスタンは外国だ!っつうの。
これが結局、大国の論理なんだ。


ビン・ラディンの殺害も、顔を撃って殺してから水槽しちゃったっていうんだからさ。本人かどうかも解らない。
ビン・ラディンは既に死んでいるという説もあったし、裁判もせずに葬り去って、一件落着を狙ったんだ。
これでオバマは、昨年の中間選挙以来の劣勢を取り戻したんだ。結局、アメリカ人のメンタリティーってこういうことなんだよな。
アメリカはずーっと昔から砲艦外交。
ブッシュ率いる共和党にアンチで登場して喝采を浴びた筈のオバマなのに、メンタリティーは変わらないんだ。


ガッカリしちゃったな。
僕も見る目がなかったなぁ。
演説がうまかったんで騙されちゃった。反省。
結局、副島隆彦さんの言うことは正しかったんだな。オバマが大統領になることは、ロックフェラーによって最初から決まっていたということ。アメリカの人事権は、ロックフェラー財閥が握っているということ。
12日のニュースで、サラッと、ごくごくサラッと、福島原発1号機で、原子炉格納容器、原子炉圧力容器ともに穴が空き、メルトダウンが起きていることが報じられた。
そして、東京電力は記者会見で、例によって、他人事の様に「それほど深刻な事態にはなっていない」と語った。
どこが!


一ヵ月前は、貯水池の放射線量がちょっと上がっただけで大騒ぎして、ペットボトルの飲料水を緊急配布していたのに。
それよりは、遥かに、遥かに深刻な事態じゃないか。
もしも、もしもだよ。今日公表されたことが、一ヵ月前、二ヵ月前に報道されたとしたら、もの凄い「恐怖」を国民に与えていた筈だ。それなのに、このサラッと感はなんなの?


前にも書いたんだけど、福島原発事故のその後の対応を見ていると、「大本営」ってきっとこんなだったんだろうなーって思うんだよ。


1)ネガティブ情報の小出し作戦
2)小出し作戦のための御用マスコミの一元的利用
3)責任をとる者の不在


それで、情けないことに、これが功を奏しているのね。
もはやメルトダウンにも驚きはしないんだよね。
冷却水に浸かってないから、再臨界が起こる可能性も大なのに‥‥。
日本人は熱しやすく冷めやすいってよく言われるんだけど、本当にそうなんだなぁ。


それと今日の会見で、「メルトダウンとは、溶融した燃料が格納容器まで破って、チャイナシンドロームのような状態になることと捉えており、今のような状態はメルトダウンではない」という、メルトダウンに対する新しい定義も、東京電力から発表された。
僕は、「あれ? じゃあ、チャイナシンドロームはなんて言い換えるの?」と思ったけど、ま、細かいことは言わないことにする。
でも、原子力非安全・不安院は、4月18日の会見で、溶けた燃料棒が原子炉下部に落ちることをメルトダウンと定義して「メルトダウンは起こっていない」と言ってたんだけどなぁ。


今日の状況は、大前研一氏によれば、3月下旬の段階で全部予測がついていたことなんだよね。(4月1日のブログに動画貼ってあるから、よかったら見てね)
メルトダウンも、30キロ圏が封鎖になることも、発電所を最終的には石棺にするしかないことも、でもその仕事をスタートさせるまでに何年もかかることも。


僕なんかは、避難所生活をしている人に、「もう戻れないんだよ」とできるだけ早く伝えるべきだと思うんだが、そうじゃないんだね。
政治的には、それはよくないんだね。
政治的には出来るだけ小出しにして、「希望」を持たせながら、徐々に「絶望」を納得させるというやり方をすべきなんだね。
若い政治家の皆さん、勉強になったね。


それにしても、この「東京電力調」というか「他人事モード」というか、言葉は丁寧なんだが肝心な事や深刻さが全然伝わらない、というのは、なんなんざんしょ。これが東電の「お家芸」だとしたら、その演技力は大したものだ。
ポイントは「確認しております」「示しております」「思っております」「考えております」の「おります」の使い方だね。
これを、語尾に順番に付けながら使い回して行くと、見事に「東京電力調」になる。
言葉遣いは丁寧だが、どこか他人事、という責任回避話法の完成だ。
大企業の責任ある地位の皆さん、勉強になったね。
記者さんも、毎回、こういう発表に長時間付き合って、大変だなぁ。



の子神聖かまってちゃん」のことを、オジさん(やや初老)は知らなかったのだが、NHKのドキュメンタリーで初めて知った。
の子」はネット世代のカリスマということになっているらしが、噂に違わぬ、強烈な表現者であった。
ちょっと、「いっちゃってる」という感じもある。


そこから、オジさんはどうしても、「尾崎豊」を思わずにはいられなかった。
尾崎豊」も、私と同世代というわけではなく、一世代ヤング(死語かな?)で、だから「の子神聖かまってちゃん」は二世代ヤングということになる。


の子」がネット世代のカリスマというわけは、ネットライブで火がついたことによる。カメラとマイクをセットしたパソコンの前でライブ演奏をし、ニコ動の、生の書き込みを見ながらトークをするというスタイルだ。ホールではないのだが、双方向にメッセージが行き交うことで、それとほぼ同じことを実現してしまう。そこに、ネットの向こう側にいるオーディエンスと強い一体感が生じる。


社会にプロテストするメッセージソングは、いつの時代にもあって、それが、時代時代でスタイルを変えながら、時々、強烈な表現者を生み出して行く。「の子」は、そこで、模倣ではない新しいスタイルを生み出したのだ。Youtube のプロモーションビデオも、見方によっては「ド素人」で片付けられてしまうかもしれないが、オジさんたちが70年代くらいに見た(いわゆるフラワーチルドレンの)感じがあって、懐かしいような、新鮮さがある。


ついでにいうと、プロテスト・ソングは、「ロック系」と「やさしさ系」があるのよね。
これが、時代変化の中で交互に出て来る。
でも「ロック系」は、大メジャーにはなれないのよね。(やっぱりロックだからさ、不良だからさ)
大衆ウケするのは、いつも「やさしさ系」なんだよね。
でもオジさんは、「やさしさ系」は嫌いだね。生理的に。


「やさしさ系」というのは、反抗なんかしても、この世の腐った仕組みを変えるのはどだい不可能なんだから、自分たちの「やさしい愛」の世界で生きようよ、ってことなんだけど、オジさんはイヤだね。
まあ尾崎豊も、結局そっちに行っちゃったんだけど‥‥。尾崎豊は、両方にまたがっているのかな?
たまに下北沢にインディーズのライブを聴きに行く(どこへ行っても自分がいちばん年寄りで恥ずかしい)んですが、「つまんないなー」と思うのは、若い人が歌っている世界の大きさが、半径3メートルくらいしかないのね。


自分ちのおじいさんとおばあさんがどうしたこうしたとか、日記にこういうこと書いたとか、空を見上げて雲の形がどうだったとか、ホットケーキのシロップが甘くてすてきだったとか。
それもいいんだけど、先ずは「反抗」しなくちゃ。
「バカヤロー」って拳を振り上げなくっちゃ。
世界では、若者たちが「反抗」で盛り上がっているのに、日本の若者の、この去勢のされ方って、異常な感じがするんだ。


ところで、オジさんが気になったのは、このNHKの、ドキュメンタリーの捉え方であった。
<ひきこもり生活だった、ネット世代のカリスマロックシンガーが、メジャーになっていく過程で、いかに社会と折り合いをつけていくか>というのが、作品の主題になっている。
しかしオジさんは、「違うだろうがぁ!」と、腹立たしく思ったのだ。


それはあまりにも紋切り型であって、「ひきこもりの代表」である「の子」が、「どう社会に入っていくか」という視点で作品を描いてしまったら、表現者としての「の子」のキャラクターに、「無礼」だと思うのだ。
(早い話が、「の子」の表現部分については、あんまり関心がないんだよ、と言っているも同然だ)
「ひきこもり」というのは、単なる時代の言葉であって、昔っから、表現したい若者は、時代と折り合いが付けられなかったのだ。
だから、「ひきこもりの代表が、どう社会とコミットしていくか」という切り口は、民放的というか、ウケ狙いというか、底が浅いと言わざるを得ない。


表現者としての「の子」の苦悩というのは、「どう社会とコミットしていくか」ではなく、「自己の成長」にあると、オジさんは思う。
ネットの中で「共感」を得て、「の子と神聖かまってちゃん」がファンに受け入れられていった場合、「の子」がその世界から「成長」したときには、多くのファンにとってそれが「裏切り」に感じられてしまう。
そしてこれは、「表現者」と「ファン」の関係においては、いつの時代でも、誰にでも、必ず起こることなのだ。


80年代はアイドルの時代だったが、アイドル量産の時代には、他者と区別するために、そのアイドルに新キャラクターを付与する。歌だけではなく、衣装や髪型までも計算して。それで一旦ファンを獲得したら、ファンはそのイメージをどこまでも求めるし、アイドルの方もそのイメージを守ろうとする。
しかし、そうはいかない。時は流れて、アイドルもファンも、歳をとっていってしまうからだ。こうして、一つのアイドルが消費されて終わる。


結論を言えば、「表現者」と「ファン」の関係においては、「表現者」は「ファン」を裏切り続け、一歩先を行く「成長」を見せ続けていくしかないのだ。
プロレスを見習え! と言いたい。
そして、それが出来た「表現者」のみが、長続きする。
「の子」の正念場は、「そ子」にあると思う。(すみません。ダジャレです)


しかし、最近NHKのドキュメンタリーを見ていて思うのは、ディレクターが未熟だということ。
この「の子と神聖かまってちゃん」のドキュメンタリーも、たぶん、年齢が近いからという理由で、若いお姉ちゃんにやらせたと思うのだが、ドキュメンタリーってものを全然解ってないと思う。
ただ、面白そうな素材を見つけて、インタビューして、それをつなげればドキュメンタリーが完成すると思っていやしないだろうか。


先日も、韓国に渡ったプロ野球人のドキュメンタリーがあって見ていたら、ディレクターが「あなたにとって○○とはなんですか?」を連発するので、テレビに向かって思わず「バカヤロー、いい加減にしろ!」と叫んだのであった。そんな聞き方をすれば、相手は「全てです」と答えるのは決まっているし、だいいち、それを引き出すためにドキュメンタリーを撮っているのではないか。まったく何も解っていない、未熟なディレクターだと思う。


ドキュメンタリーとは、素材を通して、「自分を語る」ことだ。その「自分」がないものに、ドキュメンタリーは撮れない。
案の定、「の子」に「バカ!」と、このお姉ちゃんは罵られてしまうのだが、オジさんも見ていて、「なんてバカな質問しているんだろう」と思ったね。
「作曲しているところを撮らせてもらえませんか?」
ドキュメンタリーは現実を切り取るものじゃないんだ。カメラが入ったとたん、現実は変容してしまうんだ。それを前提として、対象と対決するのがドキュメンタリー。早い話が、筋書きのない劇映画。
もし、このお姉ちゃんディレクターがこのブログを読んだら、激しく傷つくと思うけど、まあ「愛の無知」、間違えました「愛の鞭」だと思ってください。


番組プロデューサーは、切り口も、ディレクターの起用も間違えているとオジさんは思うね。
もしオジさんがプロデューサーだったら、76歳の若松孝二に「の子」を撮らせるね。
それで、対決させるね。
それが、ドキュメンタリーってもんでしょうが。

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Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

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