LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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甦る親鸞:浅野信著

ロータス・ステュディオの「出版プロジェクト」第一弾、『甦る親鸞』を、2月25日に発売した。
この出版不況時に「なんで?」という疑問符が付くのは当然のこと。
でも、作りたかったんだもん。

この『甦る親鸞』、親鸞聖人第750回御遠忌に際しての企画なのだが、いっぷう変わった本となった。
著者の浅野信氏は、「アカシック・リーディング」の第一人者であるが、『甦る親鸞』は丸々一冊、「アカシック・リーディング」によって書かれた本なのである。
スピリチュアル系に詳しい方ならご存知だと思うが、「アカシック・リーディング」とは、霊界の書庫であるアカシック・レコードに瞑想状態でアクセスし、これを読み解く秘儀のことを言う。

『甦る親鸞』は、親鸞研究者の間でも謎とされてきたことや、<もし親鸞が現代に生きていたら>という視点から、現代の諸問題に関して、親鸞にアドバイスを求めるということもしている。
どこまで信じるか、どう評価を下すかは読者しだいだが、現代の奇書であることは間違いあるまい。
一般書店には配本されないので、ご興味のある方は、どうぞこちらでお買い求め下さい。送料は無料。

仕様
書名:甦る親鸞
著者:浅野 信
出版社:ロータス・ステュディオ
単行本(ソフトカバー):256ページ
発売日:2011/2/20
寸法:18,8×13.0×1.6 cm
ISBN978-4-9905705-0-7
価格:1,575円(税込み)

内容
第1章:親鸞さんは、どんな人だったのか?
第2章:親鸞さんの「教え」って、どんな教え?
第3章:親鸞さんの深い世界へ【なぜ「教行信証」は書かれたか?】
第4章:親鸞さんが、人生のすべての悩みに答えます【名づけて、親鸞さんの「弥陀の人生Q&A」】

詳しいご案内はこちら→
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ニュージーランドの大地震があって、日本の報道のトップニュースは、みんなこれになってしまった。
しかしヨーロッパのメディアは、「リビア革命」がトップニュースなのである。

これは、
・地理的に近いこと
・在留邦人がけっこう居ること(脱出が問題となる)
・難民問題があること(難民が地中海を渡ってヨーロッパに押し寄せて来る)
といった、自分たちにとって無視出来ない、切実な問題であるということも、もちろんあるだろう。

しかし、ニュース報道の「ネタを取り上げる姿勢」というものが、日本とは決定的に違うと思うのだ。
ヨーロッパでは、「自国(およびそこで生活する国民)への影響度」といったものを、取り上げる際の評価基準にしているように見える。
しかし日本では、センセーショナリズムと、スキャンダルと、感動物語が、基準になっている。早い話が流行と視聴率だ。
「自分への影響度」という点で言えば、要するに【どうでもいいこと】ばかりを追いかけているのが、日本の報道機関だ。

相撲の八百長も、小向美奈子も、俺にはなんの関係もない。
そんなもの、どうでもいいこと。
ニュージーランドの地震も、新燃岳の噴火も、被災者の家族や関係者にとっては大変な関心事だろうが、その人たちにとって必要な「情報」や「情報ルート」は、テレビニュースではないと思うのだ。
外国で事件や事故に巻き込まれたのなら、そのコーディネーターや大使館が最も重要なチャンネルであろうし、またそのように機能しなければならない。
(こういうと語弊があるかも知れないが)それを、当事者ではない一般人にトップニュースで流し続けることの意味は、どこにあるのだろうか。
日本でも地震が差し迫っているとか、津波の心配があるとかなら解る。また、義援金が必要とか、特殊な技能を持っている人を緊急募集するとか、も解る。
しかし、感動物語を追いかけたり、菅さんのコメントを流したりすることに、どんな意味があるのだろうか?

私は、菅さんの「迅速に行動‥‥云々」のコメントを聞いて、寒くなった。
単なる点取り虫になってしまった。菅ではもうアカン!
今、一国の首相が真っ先にコメントすべき世界情勢は、間違いなく「リビア革命」についてである。
そのことの影響度は未知数で、それこそ、的確な予測と国家戦略が「迅速に」求められるべき事柄なのだ。
ところが、なーーーんにもない。(もしかしたら、あるのだが報道には載らないのかもしれない。ま、でも、ないんでしょうね)
日本では、政治家も、政府も、報道機関も、みんな childish だ。
それでメディアは、次の新ネタが見つかると、サーッとそっちに乗り換えて、フォローすらしない。

もう石油価格がじわじわ上がっている。
スーパーに行くと、食品の値段も上がっている。
昨年のトウモロコシ価格の高騰は、エタノール燃料の需要に投機筋が入り込んだためだ。
投機家は常にこういう変化の時を狙っている。
こういう動きを事前に防止するのが、国民生活を与る政府の務めじゃないか。
まったく、寒い。
丸善ホモソーセージ

いつも行くスーパーに、これまでとんと見かけなかった「丸善ホモソーセージ」が置いてあり、即購入した。
ああ、お懐かしや。
やっぱり魚肉ソーセージは「丸善」でなくっちゃネ。

「丸善」の魚肉ソーセージは、あんまり進化していないところがいい。
ソーセージの端は、いまだに金属で止めてあるし、皮(フィルム?)を剥がす時には肉がくっついて、きれいに剥けない。
他社のは、金属レスになっていたり、ツルッと簡単に剥けたり、カルシウムが入れられたりしていて、わしゃ好かんね。こういう進化は、して欲しくないな。

僕らの年代だと、「魚肉ソーセージ」には、特別な思い入れがある。遠足の時のおにぎりに、「魚肉ソーセージ」が添えられているか否かは、実に、金持ちと貧乏人とを分ける、大指標であった。
もちろん(当時も今も)貧乏人であったオイラは、「魚肉ソーセージ」丸々1本をおかずに持って来る金持ちどもを、よだれを垂らして、うらやましそうに眺めるだけであった。く、くやしー。

先日、友人のKさんが、酒の席で突如「魚肉ソーセージが好き」と告白したときには、ビックリした。
「えっ、君も?」
ってな感じだな。
「魚肉ソーセージが好きだ」と言うのには、相当勇気がいるんだ。なんとなく、気恥ずかしいんだ。
なぜかっていうと、赤く着色されたウィンナーソーセージが登場するまでは、「魚肉ソーセージ」こそが、ドイツ人も喰ってるソーセージだと、この世代はみんな思い込んでいたから。

赤いウィンナーソーセージが登場した時には、その赤い皮を剥くか剥かないかで、物議を醸したほどなのだ。
「魚肉ソーセージ」のこれまでの習慣からすれば、当然この皮は剥く。
ところが、ハイカラ(死語?)な人たちが、そもまま食べ出して、田舎者は「え! 皮も食べちゃうの? 野蛮人め!」とびっくり仰天したわけだ。
これと同じようなことは、他にもあったな。黄色いうどんこカレーにソースをかけるか醤油をかけるかとか、目玉焼きにソースか醤油かとか。いわゆる「ソースか醤油か論争」。食堂でも赤いキャップに入ったのは醤油、青いキャップに入ったのはソース、となんとなく決まっていた。
当時、ソースといえば、ウスターソースのことだと日本国中が思い込んでいて、洋食はソース、和食は醤油をかけるもんだってことに決まっていた。
だけど、目玉焼きとかカレーは、洋食なのか和食なのか、なんだかよく解らなかったんだ。

あと、洋食の付け合わせの定番だったケチャップ味の「スパゲティナポリタン」。ヒデとロザンナのロザンナさんが日本に来てこれを初めて見たとき、ショックを受けたそうだ。「そんなもの、ナポリにない!」
小学生のとき、ある夜、父が帰って来て、洋食のライスの食べ方を伝授すると言い出した。これが、例のフォークの背中にライスを載っけて口まで運ぶという曲芸。若い人は知らないだろうな。これも日本国中、まるで憲法のように伝播したんだぜ。オイラも一生懸命練習したもの。あー、恥ずかしー。
フランス料理に、炊きたてのごはん、付いて来ないってば。
われわれの世代は、そういう恥ずかしー食体験を重ねながら、味を覚えていったのさ。

この「魚肉ソーセージ」の、さらに上を行く、われら垂涎の的のおかずというか、おやつ?が、王者ハムカツであった。
ハムカツったって、ポークのハムじゃないよ。魚肉ハムのカツなんだ。
ポークのハムをカツにしたってうまくないんだな。
魚肉ハムは断面が円じゃなくて四角に成形してあって、これを斜めに半分に切ると三角になる。これに衣をつけて揚げて、確か1枚5円で売っていたような気がする。それを学校の帰りに、肉屋に行って買い食いするわけだ。いや、1枚5円はコロッケで、ハムカツは3枚10円だったかな?

さて、この「丸善ホモソーセージ」。うま過ぎないのがいい。
他社の「魚肉ソーセージ」は、今どきの加工食品にありがちな、たっぷり味付けされたやつばかりで、自分などはこういうのを食べると吐き気がしてくる。だけどそれがなくていい。
それと、「丸善ホモソーセージ」は、ゼラチンが多いのか、弾力があって噛み応えがある。
惜しむらくは、昔あった脂肪の固まりがないこと。あれ、良かったのになぁ。サラミソーセージみたいで。断面に白い脂肪の固まりがあると、宝くじに当たったような嬉しさがあったもんだが‥‥。

ところで、テレビで万引きGメンの話、時々やってるでしょ。あれ見ていると、中高年の男性が万引きする品は、なぜか「魚肉ソーセージ」が多いんだよ。
これって、なんでかな?
万引きしやすいのか。それともやっぱり郷愁があるのか。食べ慣れているのか。
腐らないし、器は要らないし、そのまま食べられるし、酒の肴にもなるからなのか。
でも、店員さんが万引き人を追いかけていって、商品出せって言った後、ポケットから「魚肉ソーセージ」がポロッと出て来ると、オイラはなんか、わびしさに襲われるね。「頼むからそれだけは盗まないで」って。「お願いだから、もっと高いものを盗んで」って。

そうは言ってても、漁業資源の乱獲で、そのうち「魚肉ソーセージ」も庶民には喰えなくなるかも知れない。
赤く着色された、クジラのベーコンのように。

注釈:ウスターソースだけど、実はこれも日本人の発明品で、だしと醤油が入っているんだぜ。
醤油のキャップが赤いというのは、キッコーマンが1961年に発売した「キッコーマンしょうゆ卓上びん」が日本中に普及して、刷り込まれたんだ。これはGKのデザインで、いまじゃ世界中に普及しているから凄いもんだ。
タリーラーラー、タリーラーでのんびり始まるNHKBSの『世界ふれあい街あるき』。
2月4日の放映は、なんと「リビアのトリポリ」であった。
また、昨年の12月17日は、「チュニジアのスース」であった。
撮影時期がいつであったかは知らねども、なんたる変わりようであろうか。
リビアの国家元首カダフィ大佐は、アメリカが一時期、暗殺を企てたほどの人物であった。
それが、こんな形で、終わろうとは。
(22日現在では、まだ革命は成就していないが、たぶん追われることになるだろう)
恐るべし、インターネット。

今日、産経新聞の本社筋から家に電話があって、「以前、購読していただいていたが、またどうですか?」と女性が言うので、「新聞は必要ない。全部やめた」と答えた。
きっと読者数が激減して、新聞社も焦っているのだろう。
しかし、こういう電話オペレーターと話していて空しいのは、会話が成立しないことだ。
彼女たちのミッションは、かつて購読者であった人にアプローチし、再契約に持ち込むこと。

しかしこちらが新聞購読を止めたのには、それなりの理由がある。
●新聞人が、インテリぶって、エラそうにふるまっていること。(これは、かつて取材を受けた経験のある人は、みんな言ってるネ)
●当社の「一貫した姿勢」は聞こえがいいが、要するに偏見に過ぎないこと。
●例の記者クラブ問題。
●自分が欲しい情報は得られず、必要ない、どうでもいい情報ばっかりなこと。
●スピードが遅いこと。
●金が掛かること。
新聞で重宝したのは、魚を捌くときに下に敷いて、ワタをくるんでポイとやる時に都合がよかったくらいだ。それだって、まだストックが結構あるから、これ以上はいらない。

そういった事を伝えたいと思っても、彼女たちのミッションとは違うわけだから、少し話すと「ふん、ふん」と相づちを打ってはいるものの(めんどくさい人だなぁ)と思っているのが、ビンビン伝わって来る。
ハイハイ、その通り、めんどくさい人間ですよーだ。
僕は思うんだけど、こういうことは、オペレーターの人たちにやらせるんじゃなくて、部長級以上の役員(もちろん社長も)がやるべきだと思う。

以前、家に東京ガスからリサーチを装った女性が来た。たぶんこの人も、社員ではなくてパート労働だと思う。
僕はこういう時は、逆リサーチに持ち込んで、相手の本音を引き摺り出す。これが大得意である。
なぜこういう芸当が出来るかというと、自分が本音で話すからだ。その本音と本気に、相手が崩れて、仮面が剥がれていく。
「こんなこと、あなたにやらせているようじゃダメだよね」「会社の上司は、命令するだけで、何にもお客さんのこと解ってないんでしょう?」とでも言えば、すぐに素になって、本音が聞き出せる。この女性だって、辛いミッションなのだ。
しかし、電話でこれをやるのは難しい。ゆえに、話していても空しい。

今年は、「ソーシャル・ネットワーク元年」と言い切っていい年になったと思う。
もう古いメディアの生き残りを模索している時代ではない。
頭を切り替えて、ソーシャル・ネットワークの側から古いメディアのあり方を眺めてみなければ、旧メディアの新しい位置づけすらも難しい。
そのことを、メディア関係者は肝に銘ずるべきだ。
延命を図ろうとしてはダメなのだ。

ところでこのアラブ諸国の革命を、意外にもイスラエルは「歓迎している」と言う。和平への新しい対話が、これをきっかけに拓かれるのではないか、というのだ。まあ民主化革命だから、常識的に考えればそうなるのだが、僕はそんなに単純なことでは済まないと思う。

中国でも大規模デモの呼びかけがあったが不発に終わったようだ。僕は中国では、アラブに起こったような民主化革命は起こらないと思う。
なぜなら、第一に不満の矛先が個人ではないことだ。共産党の一党独裁ではあるが、指導者に世襲はない。
第二に、中国はいま目覚ましい経済発展をしている。格差はあるだろうが、富裕層は政治的支配層ではなく、商売に成功した人たちなので、「頑張れば自分も」という可能性がある。
第三に、インターネット情報が規制されている。したがって伝播力が弱い。
第四に、天安門事件の記憶がある。
中国は、いろいろ問題はあるだろうが、なんとかそれをかわしてアメリカに変わる次の大国へと成長して行くだろう。

そして島国根性の抜けきれない日本は、ますます取り残され、世界の孤児となっていくことだろう。
1月のガリガリクラブ

2月17日の『ガリガリクラブ』スタートは僕と大学生のMくんと2人だけやった。さびしー。
その日の午後から直前まで一緒だったK氏にも「今日はちょっと」と逃げられた。
魅力ないねんな。なにせ無目的やからな。
9時過ぎに、Sくんがやってきて、やっと3人。Sくんとは半年ぶり。少し救われた。ありがとうな。
前回は、謎の美女が居たんやけど(写真)、やっぱ美女で釣らんとあかんかな?

次回は3月24日(木)でっせ。よろしく~。
「景気をなんとかしろ」とみんな言う。
政治家も「景気回復最優先」と言う。
そう言い続けて、いったい何年になるんかいな? 画に書いた餅どころの話じゃあらへんよ。

ならば問う。「景気」ってなんやねん。
そしてもう一つ。「景気」がようなると、何がええねん。
「景気」が良すぎることを、「バブル」っちゅうたのと、違うんかいな。
てことは、みんな「バブル」になりたいんかいな。

結局、みんな、よう解らんまま、使うてんねんな。「景気」っちゅう言葉を。

だーれも言わんことがある。
「景気」がようなる、っちゅうのは、「需要」が拡大する、っちゅうことやねん。
政治家に「景気対策しろ!」言うても、別に「景気」が空から降って来るわけやないんや。

「需要」が拡大せんことには、「景気」は上昇せんのや。

それを誰も言わん。

1「需要」があるから、2「販売」が成立して、3「景気」が上昇するんや。

日本のこの、超長期不況は、「需要」不足が真因やねん。ここポイントやで。
中国、インドが好景気や、言うんは「需要」が旺盛やからねん。

じゃあなんで、「需要」不足が起こっているんか?

1)物を買いたくなくなった。
物がピカピカに見えた時代は終わったんやね。少なくとも日本では。
自動車や家電が、もう憧れの品でなくなったんや。
ファッションかて、ユニクロと古着で充分なんや。ブランドの化けの皮が剥がれたんや。

2)可処分所得の低下。
賃金カットと、非正規雇用の増加で、要は、使える金が無くなったんや。
実はこれ、ごっつう重要な問題なんやで。かつてのアメリカ経済が上昇気流に乗ったのは「フォードシステム」からなんや。
要するに国内に生産性の高い製造業が勃興して、労働者に賃金が支払われて豊かになり、その労働者が、需要の受け皿となる中間大衆を形成して行ったからなんや。

ところが、そのアメリカが、何をとち狂ったか70年代から製造業を徐々にやめていったために、国内に失業者が溢れ、中間大衆が没落して行ったんや。なおかつ、自由貿易を推進したために、外国の物を借金して買う、借金まみれ体質になっていったんや。日本の政治家と経済界はそれをそっくり真似したため、日本も同じ苦しみに突入したっちゅうわけなんやで。まったくアホやがな。

3)需要と供給のミスマッチ
欲しい物はない。けど、社会には、問題山積やねん。
医者はおらん、保育園もない、介護師かて足らん、食料自給率は低い、林業従事者が育たん、‥‥etc.
つまり、ニーズがあるところには、逆に供給が不足しているんや。
要するに、需要と供給との著しいミスマッチが起こっているんやね。

これらは結局、経済に関する「国家戦略」がないことの、シワ寄せなんや。
頭が古いんやねん。

今テレビで、「地デジ」導入後は「アナログテレビが見られなくなるぞ」と盛んに脅しを掛けとるやろ。あれは国家ぐるみの陰謀やねん。
ほとんどの人は、あれで「テレビを買い替えなくっちゃ」って思わされてる。
だけど、デジタルチューナーさえ用意したら、テレビはそのまま使えるのに、そう言わん。
「テレビが使えなくなる」「使えなくなる」ばっかり、言うてんねん。
まったく、詐欺ですがな。NHKもその片棒担いどる。ドーモくんも、ななみちゃんもグルやねん。

エコカー減税だって、結局、物買わせようっちゅう発想なんや。
全然、時代の変化を読めてないねん。
物はもうエエっちゅうんや。クルマもいらんし、テレビも欲しないわ。
これはな、何度も言うようやけど、政官業外電の癒着構造による陰謀やねん。
政官業外電はグルやねん。

マスコミでは円高になると決まって「大変や、大変や」って報道ばかりしてるやろ。それで、政府と日銀も、必ずそのことに関するコメントをする(株価に影響するんで)。オカシイ思わへんか?
円高で、得する人もいるんやで。外国製品は安う買えるし、外国旅行もしやすくなるんやで。
それなのに、なんで「大変や、大変や」っちゅう報道ばっかりするねん。

わてな、GDPに対する円高の影響を試算してみたことあるんや。せいぜい1%くらいなもんやった。なんでか言うたら、GDPを構成している6割以上は国内需要やからやねん。つまり、(景気判断の指数を、GDPだとするならば⇒わて、本当はこの考え好きやないんやけど、ま、仮に)国内需要を上げる努力をした方が、景気に与える影響度は高いっちゅうことなんや。

それを、なんで「輸出産業に大打撃」っちゅう報道ばっかりするねん?
簡単や。輸出産業が、マスコミのスポンサーやからねん。
その輸出産業の「株」握ってるのは誰や。外国人の投資家やないか。その連中が損するのを避けるために、また逃げ出すのを避けるために、首相や日銀が円高になるたびに、市場を安定化させるいうコメントを流すんやで。

日本も、革命起こさなあかんな。
エジプトでも革命が起こり、さらにはイランなどにも革命の火の粉が飛び火するに及んで、日本のメディアもやっとニュースに取り上げるようになって来た。

遅い!
報道センスがまるでない!

日本の政治家もしかり。
国会など、アホらしくて見ていられない。
争点がくだらなさ過ぎる。

政治家はよく「政争の具にするな!」とは言うが、
いざ野党になったときに、国民にとってどうでもいいような事を、政治家が「政争の具」にしなかったためしはない!

『facebook』で革命が起きちゃう時代だってことを、解ってんのかな?

与野党の論戦なんて、もうどうだっていいんだよ。
そんなもの、カードゲームみたいなもので、それこそ税金のムダ遣い。
政治家がカードゲームに興じて、それをマスメディアが報じることで、
いま本当に必要なこと、大事なことから、目を背けさせようという作戦なんだな。
そんなもの、いつまで通用するかってんだ。税金ドロボーめ。

これから心配なことは2つある。
一つは石油の利権。
もう一つはイスラエルの行方だ。

日本は、アメリカ追随で来たために、エネルギー政策についても、北欧のような大胆な転換作を国家が打ち出さなかった。「代替エネルギーの技術はある」とは言われているものの、国家ビジョンがまったく見えない。だから、石油依存の影響は、とても大きいと思う。

イスラエルの行方については、ふつうの日本人にはピンと来ないだろうけれど、深刻な問題だ。今度の中東革命のドミノ現象は、アメリカの、この地域への影響力の低下を表している。
そうなれば、イスラエルは孤立してしまう。小国イスラエルの周囲を、革命後のアラブの国々が取り囲む格好になってしまうのだ。

そうなると、イスラエルという国家が、成立できなくなる可能性がある。
おそらくイスラエルは、そうなる前に、(たぶんイランの核施設に)先制攻撃を仕掛けるだろう。そうなれば、全面戦争に突入し、そこで核が使用される公算が高い。と僕は思う。
とても恐ろしい。
チュニジアに始まった北アフリカの民主化が、予想通り周辺国にも波及し、エジプトが国を2分する騒ぎになっている。これは、もの凄いことだと思う。
イスラムの世界では、長らく政治と法律と宗教が一体だった。それが、この先崩れて行くかも知れない。そうなったら、宗教対立の構造も変わるかも知れない。
またもう一方で、「石油」利権をめぐって、新たな動きが始まるに違いない。

ヨーロッパや中東のメディアのトップニュースは、みんなこのエジプト情勢を伝えている。ところが、やっぱりアメリカと日本は、国内ニュースがトップなのである。
アメリカは、大雪の話題。日本に至っては、大相撲の八百長問題がトップニュースだ。
メディアの人間は、感度が鈍いのではないだろうか。何が、ニュースを見る人にとって重要なのか、という点を、まったく履き違えている。

大相撲の八百長問題の前は、霧島連山の噴火の話題がトップニュースだった。しかし、そこにどんな意味があるのだろうか。新燃岳の近くの住民にとっては、時々刻々変化する火山の状況を、リアルタイムで知ることが大事であって、それは編集された7時のニュースではないだろう。
では7時のニュースで、当事者でない一般国民にそれを知らせることにどんな意味があるのか? もし支援や義援金が必要ならば、そう言えばよい。それを、噴火した映像と、火山灰が積もって営業出来なくなった温泉宿や商店街を映して「こうです」と言ったところで、それがなんだと言うのだ。わけがわからない。

それよりも、中東情勢の方が、日本国民全体にとっても、この先の生活にずっと影響が大きい筈だ。
それを、対岸の火事のようにしか見られない。
ああ、この鈍感さ。

そればかりじゃない。
この民主化の動きは、「メディア」と「行動」という面でも、今後を占う重要なモデルを提示している。それは、いまだかつて無かった動きだ。
先ず、この革命の波が、インターネットのFacebookTwitterを媒介として起きたということ。これは単に、伝達メディアの主力が移行したということではなく、インターネット・メディアが、「もう隠し事は出来ないぜ」という、政治にとっての新たな圧力となった、ということを示している。

加えてインターネット・メディアの即時性と、同時性が、革命にうってつけであったということだ。
レジスタンスを行うのに、もう武器は必要ないのかも知れない。
携帯電話とTwitterがあれば。
携帯電話とTwitterが、銃に変わる「暴力装置」として機能する可能性が出て来たのだ。
北朝鮮だって、あの国を変えるには、空から携帯電話をバラまいた方が、手っ取り早いのかも知れない。(あ、電力がなかったね。ほんじゃ電池も一緒にしてさ。あ、中継局がないか?)

前のブログで、思考実験として「クーデターで放送局を占拠しても現代では意味がない」と書いたが、エジプト政府は、インターネットのプロバイダ・サービスに介入するという作戦をとった。つまりインターネットが繋がらないようにしたのである。
「やっぱり、そう来たか!」と僕は思ったが、皮肉なことに、インターネットで連絡が取れなくなった民衆が街頭に繰り出し、その結果、大規模デモになってしまったのである。
これは、僕も予想だにしなかった。なるほどね。

こうなると、次は「軍」と「警察」がどう動くか、という点に興味が絞られる。

日本では、菅政権も「対岸の火事」としてしか見ていないようだが、中国政府は、きっと戦々恐々として、この民主化ドミノの事態を見守っていることだろう。
チュニジアやエジプトで起きていることのモデルは、そのまま中国にも当て嵌まる可能性があるからだ。(だから、中国政府は最初からインターネットに規制をかけていた。先見の明があったということだ。しかしそれも、いつか破られることになるだろう)

中国人の心の内には、文化大革命で被った痛手から「政府の言うことは信用できない」という燻った思いがある。それに火がついたとき、中国にも、大変な激動が起こることになるだろう。もしそうなったら、日本もさすがに「対岸の火事」とは言っていられなくなるでしょうね。

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