LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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今日は、政党のネーミングというものを考察してみたい。たぶん日本中で、こんなことをやってるのは私だけでしょうが‥‥。

先日、こんなことがあったのだ。得意先である某会社が新しいブランドを出すというので、最初のネーミング案を私が提出した。しかしそれはすぐに却下され(トホホ)、得意先が出してきた案に決まった(クライアント様には逆ラエマセン!)。でも、そのネーミングには危惧する部分があった。音で数えると、10音と長かったのである。

こういう場合は、呼びにくいので、自然と「略称」が出来上がるものなのである。ところがそのネーミングは、略称にしたときにあまりいいイメージの言葉をつくらなかった。だからその点で(いいのかなー)と内心思っていたのである。しばらくたってその会社へ行くと、なんと社内の人間が、私が危惧した略称を使って会話していたのである。(ああ、やっぱりネ)と思ったがもう遅い。

ネーミングは通常、意味や字面ばかり重視される傾向があるが、それよりも大事なのは、実は「音」の数なのである。このことを知っていただきたい。これが記憶と、伝播に重大な作用を及ぼすのだ。極端な話、意味などどうでもいい。あなたは『ポカリスエット』の意味が解りますか? (どういう意味だろう?)と考えたことがありますか? 解らなくても使っているでしょう。そんなものなのですよ。

それでは解説しましょう。抑揚で読ませていく英語とは違って、日本語には抑揚があまりない。ところが、日本人は、どうしても五・七に収まりのよさを感じてしまうのである。俳句や短歌で、刷り込まれていることもあるだろうし、日本語そのものが、五・七調となった時の心地よさを、言葉に内包しているのかも知れません。まとにかく、五・七が心地よい。だから、「音」で五か、七の数にネーミングを設計するのが鉄則なのだ。

ここで「音」の数というのは、母音の数と考えていただきたい。たとえば「ありがとう」は、a_ri_ga_to_uであるから5音となる。「ありがとう」と話してみると、そこに心地よいリズムを感じないだろうか? 基本はこのように数えるが、長音は臨機応変で、1音に数えたり数えなかったりする。たとえば「ありがとう」も、a_ri_ga_tohと読むと4音となる。これでも悪くはないのだが、a_ri_ga_to_uと5音で読ませるようにした方がよりしっくり感じるのが解るだろう。

また、「ん」は、通常1音で数えるが、前の語と連続して数えた方がしっくりくる場合は、そのようにする。たとえば「キャンキャン」はkya_n_kya_nでもよいが、kyan_kyanと2音で数えた方がより自然であろう。この辺りは臨機応変にする。

さて、音がしっくりくる数は、5と7が最右翼となるのであるが、では4以下、8以上はどうであろうか?
4・3・2音は、基本的にすべてOKである。1音というのはリズムがないから、ネーミングとしてはやめた方がいいだろう。字面で一語であっても、音では2とか3で読ませる言葉にするべきだ。たとえば、サに∧を被せて「ヤマサ」と読ませるなど。

一方8音以上はどうであろうか。8音以上になると、なんとなくしっくりこないので、人はそれを縮めた「略称」で呼ぶようになる。これは放っておいても自然とそうなってしまう。だから、ネーミングの設計に当たっては、8音以上となった場合は、「略称」をあらかじめ充分検討しておく。そして「略称」が、2・3・4・5音になるように何度も確かめてみる。
では6音はどうか。6音はしっくりこないので避けるべきだろう。

と、ここまでを前提として、各党のネーミングを見てみよう。

自民党 ji_mi_n_to_u 5音
民主党 mi_n_shu_to_u 5音
社民党 sha_mi_n_to_u 5音
この3つは、すんなり5音で読めるのでよい。

公明党 koh_me_i_to_u 5音
共産党 kyoh_sa_n_to_u 5音
この2つは、最初の音を長音として読ませると、5音となって耳障りがよくなる。だから意識してそう発音するとよい。

国民新党 ko_ku_min_si_n_to_u 7音  又はko_ku_min_sin_toh 5音
新党日本 si_n_to_u_ni_ppo_n 7音  又はsin_toh_ni_ppo_n 5音
この2つは、7音でも、5音でも読めるから、これもよい。
読ませるときは、国民新党の場合はsin、新党日本の場合は、ni_ppoにアクセント置くようにするとなおよい。

改革クラブ ka_i_ka_ku_ku_ra_bu 7音
これは7音にしか読めない。音の数としては良いが、カ行が4つもあり、早口言葉のような難しさがあるのが気がかりだ。逆に言えば面白いとも言えるが、改↑革↓クラ↑ブ↓と、上下の抑揚を意識するとよいだろう。

みんなの党 mi_n_na_no_toh 5音  又はmin_na_no_to_u 5音
読ませ方としては、このどちらかである。そうでないと、6音になってしまう。しかしあんまりいいネーミングではないなぁ。コンセプトが不明だから。みんなの党は選挙後の政界再編を語っているが、ネーミングメソッドからみても、いずれ消えてしまうネーミングだと思う。

幸福実現党 ko_u_hu_ku_ji_tu_ge_n_to_u 10音
これは、このままでは10音である。また字面を見ると漢字で5文字もあるので、略称が欲しくなるネーミングではある。その場合は、「幸実党」か、「幸福党」と呼ばれることになるだろう。どっちにしても、あんまりよいネーミングとは言えないね。
だから、
koh_hu_ku_ji_tu_gen_tohと、7音を意識してリズミックに読ませないと、難しい。

と、まあ今回は音の数だけをみてきたのですが、ネーミングメソッドには、まだ
終音の治め方
破裂音と濁音の活用法
男性型と女性型
などがある。

これらについては、また機会があればお教えしたいと思います。ではでは。
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衆議院選挙の投票まで一週間を切った。
先日テレビを観ていたら、ある有識者がこんなことを言っていた。「小泉さんの郵政民営化選挙時の『改革』に対する盛り上がりから、こんなに早く、国民の『改革』の意思が萎んでしまうなんて、思いもしなかった」と。

これだから、有識者というのは困るのである。ある特定のパーティー(この場合自民党)の側から見た見解を、さも客観的な評価として語っているだ。
識っているというのは恐ろしいものである。識っていることで、逆に近視眼になっている。経済のことを識っている、金融のことを識っている、政治のことを識っている、政党のことを識っている。でも、庶民感覚からはズレている。これでは仕方ないではないか。

また自民党議員からよく語られるフレーズに、「あの時、多くの方々から郵政民営化に関して賛同をいただいたのであるから‥‥云々」というものがある。確かに形の上ではそうだが、国民は「郵政民営化」がどういうものかなど、殆ど知らなかったのである。単に「改革」のムードに期待しただけなのだ。

若者たちだって、「規制緩和」の結果が自分たちの未来を閉ざし、首を絞めるとは、露ほども思っていなかったのだ。ただ、「この閉塞感を何とかしてくれ」「改革せよ」と思っていただけなのだ。その意味では、「改革」の意思が萎んだのではなく、今回も、世間はまったく同じ気分どころか、さらなる「改革」期待が膨らんでいるのである。ただ「改革」のキーワードが、「政権交代」に代わっただけなのだ。

因果応報とはこのことを言う。小泉さんの「改革」は「小泉劇場」と呼ばれたが、その度過ぎた劇的作用が、今回は民主党側に振り子が戻すように逆ぶれしてしまったのだ。しかもさらに加速をつけて。

都議選では、自分は共産党の候補者に一票を投じたのだが、その候補者はあえなく最下位で落選した。最初は民主党に投票しようと思っていたのだが、投票日直前になって「国政と都政は違う」という自民党候補者のアピールを聞き(それもそうだな)と思って、共産党に入れたのである。なぜかというと、民主党の候補者は見たこともなかったが、共産党の候補者は駅前で演説している姿を目撃し、話も聴いたからであった。

いま、マニフェストということがいちばんに言われているのであるが、自分が考えるに、選挙は「一にムード、二にルックス、三四がなくて、五にマニフェスト」あたりが正直なところではないだろうか。日本のマスコミはルックスのことをあまり言わないが、実際は相当大きな要素を占めていると思う。アメリカでは、ルックスの評価をマスコミで堂々とコメントするので、驚かされることがある。

だが、それよりも大きな要素は「ムード」であろう。マニフェストをよく比較して、検討をして、などとスリランカを言っても、いや間違えました、正論を言っても、多くの人はそんなの解らない。「革命」だって、結局は「ムード」で動く。ルーマニアでチャウシェスクが失脚した際の映像が忘れられない。チャウシェスクがバルコニーに立って、集まった民衆に演説しようとするが、少し話し始めて、その声が全く届かないことを悟った瞬間、彼の表情が怯えにサッと変わるのだ。この後、チャウシェスクは逃亡を企てるがすぐに捕まり処刑されてしまった。あー恐ろしい。
選挙戦が始まった。このブログもすっかり政治と経済の話ばかりになってしまった。が、そもそも政治と経済は、自分とってもっとも苦手な分野であった。あまりにも解らないことだらけで、それを追究しようとしたら、いつの間にかこうなってしまった。

ヒアリングの調査手法の一つに「ラダーリング」というものがある。これは一対一で行うもので、調査対象者に対してある質問を投げかけた際に、そこから得られた答えに対し、調査員がさらに「それはどうしてでしょう?」とか「なぜ、そう思われるんですか?」などと、さりげなく訊いていく手法である。これを梯子(ラダー)を掛けるように、どんどん繰り返していくのである。

簡単なようでいてけっこう難しく、調査員の技量が問われる。「なぜ」「なぜ」を何度も繰り返していくので、(この調査員は自分の言ったことをまるで理解してないんじゃないのか?)と思われたり、(いいかげんにしろ)と、うるさがられたりする。

相手の言うことをきちんと聴かないまま「そう思うのはなぜです?」「それはどうしてですか?」などど紋切り型に責めてしまうと、<ヒアリング調査>の雰囲気そのものがぶち壊しになってしまう。そこで、相手の言い分を充分に聴きながら、どこを更に掘り下げていくかを瞬時に判断して、次の質問を出していくのである。

この「ラダーリング」の狙いは、背後にある価値構造を見るためだ。どんな質問も、これを繰り返すと、大抵は、マズローが言うところの基本欲求に落ちていくのである。基本欲求(たとえば「生きるためです」とか)が出てきたら、その質問はそこで終了となる。最初の表面的な質問(たとえば「あなたは、どうしてこれを買いたいと思ったんですか」)から、最後の「生きるためです」の言葉が出たとしたら、その中間段階に、最初の問いかけの背後にある価値構造が顕れて来るのである。これを読み取るわけだ。

いま急にこれを出したのは、政治と経済のことが、自分にはあまりにも解らないので、会う機会があった人に、時に「ラダーリング」を折り込んだいろんな質問をぶつけてみるのだが、これがさっぱりなのである。たとえばこのブログで何度も書いた『定額給付金』のことについて訊いてみると、こんな調子である。

「ねえ、<定額給付金>の効果のことを誰も言わないのはどうしてだと思う?」
「あ、そういえば、そんなのあったね」
「導入時には、あんなに大騒ぎしたのにさ。2兆円使ったんだよ」
「みんな貰ったから、もうそれでよしとしているんじゃないの?」
「でも景気浮揚政策の目玉として実施したわけだから、その効果がどれくらいだったか、確かめるというのは当然あってしかるべきじゃないの? それなのに、政権与党の自民党や公明党が何も言わないのはどうしてだと思う?」
「それは、失敗したからじゃない(笑)」
「じゃあ、マスコミが何も言わないのは?」
「そんなこといま言っても視聴率とれないからだろう。それよりも、のりピーの方が、マンモス視聴率がとれるからじゃない(笑)」
「じゃあ、経済評論家という人たちが、何も言わないのはどうしてだと思う?」
「そんなこと言っても、自分の利益にならないからでしょう」
「いま言ったことは、自分も全部当たっているとは思うけど、でも誰も追及しないってのは、どうして?」
「熱し易く冷め易い。それが日本人の体質だもの」


とまあ、オチどころは「それが日本人の体質」とか、「物事には必ずいい面と悪い面がある」とか、「そんなこと言ってたら、世の中成り立たない」で終わるのが常なのである。
だがこの程度では、到底自分には納得できない。

「それが日本人の体質」だとしたら、どうしてそうなのかが更に知りたいし、「物事にはいい面と悪い面がある」のではなくて、本当は誰かが意図的に「悪い」ことを「善い」事に見せかけているのではないか、その証拠を掴みたいと思う。「そんなこと言ってたら、世の中成り立たない」のだとしたら、どうして人間は理想社会が築けないのか、その根本原因が知りたい、と切に思う。

で、それをいろいろ調べて自分なりに追究してきたのだが、いまのところ達した結論は、いささか拍子抜けするものであった。(まだ確信が抱けないので、それがなんであったかを言うのは別の機会にとっておきますね)現在自分が心底知りたいと願っていることは、おおよそ次のようなことである。

●経済が成長すると、本当に人間は幸福になれるのか?
●そう考えた場合の「幸福」の定義とは何か?
●株価が高いと景気がいいとされているが本当か? なぜニュースの最後で、天気予報と同列で株価を言うのか?
●経済成長と環境保護は両立するのか?
●政治家や経済人は、「経済成長させながら環境保護もする」と言っているが、それが可能だとしたら、きちんとした青写真を示してもらいたい。
●リサイクルが奨励されているが、リサイクルすると本当に環境にいいことになるのか? リサイクルよりも物そのものを過剰に作らないことこそが重要ではないのか?
●「ものづくり大国」復活と言うことと、ゴミ問題とは矛盾しないのか?
●これからも「科学」と「便利」は人間に幸福をもたらしてくれるのか? (科学者やエンジニアはそう信じ込んでいるけど)
●グローバル経済へは必ず参加しなければならないものなのか?
●「競争に勝て」とは言うが、「負けた」国やそこに暮らす人たちのことを、そう言う人はどう思っているのか?
●『We Are The World』(85年)から24年も経っているのに、アフリカの貧困が無くならないのはなぜか?
●地球全体では人間が多過ぎて困っているのに、少子化が歓迎されないのはどうしてか?
●医療の高度化は本当に必要なことなのか?(高度化しても病気はなくなってないよね)
●西側が言うテロリストは、本当にテロリストなのか?

とまあ、挙げていったらキリがござんせん!
要するに、いま「常識」とされていることが、自分には「ホンマかいな?」という感じなのである。(余談ですが、「常識」の普遍化が、要するに「大衆」化(ポピュリズム)なんだよね。20世紀末で既に「大衆」は居なくなったのに、政治・経済・マスコミの文脈は、未だに「大衆」が居ると思い込んでいる。そこにズレがあると思うんだ)

先日会った友人のAくんは、こんなことを私に語った。(彼は年金を払っていない)
「Aくん、年金払ってないんだよね」
「そんなもの当てにしてない。もうなーんも信用できない。あれだよ、昔は『年金払え、年金払え』ってうるさかったけど、例の年金問題が表面化してから、全然言わなくなったんだよ。もう言えないんだよ、国も。社会保険事務所行くと凄いよ。怒鳴り込んでいる人だっているんだよ。気分は暴動だよ。日本人は大人しいからなんも起こらないけど、日本人は、今そこまで行ってると俺は思うね」


同感である。
麻生首相が、自民党は「責任」「実績」「生活を守る」唯一の政党、と連呼するたびに、自分には悪い冗談、としか思えないのだ。だれだよ! このコピーライターは? ははん? 自民党を内部から崩壊させようという貴様はテロリストだな!
麻生さんが「自分の言葉」として語るのは、民主党の揚げ足取りをするときだけ。これではもう、どっちが与党か野党かわからない。

元NHKの手嶋龍一さんの話だと、先進国の国際会議で官僚が書いた作文を読んでいるのは日本だけだそうである。他の国は、本人とスピーチライターが共同で原稿をつくるのだそうな。

いろいろ調べていく過程で解ってきたことは、「有識者」という人々(とりわけ経済分野での)には、怪しげな人たちが多いということだ。誰にも解明できないことを、さも自分だけは解ってるように言う。経済の末端はミクロなのに、そのミクロを完全に無視して(自分で買い物をしないから、庶民感覚が解ってない)、マクロの数字だけを「理論」(という実はデタラメ)に当てはめて、勝手なことを言う。言うだけじゃなくて、故意にある方向(自分および自分の陣営にとって利益ある方向)へ大衆を誘導しようと図っている、ことが解ってきた。

先のAくんは言う。
「ああいう人たちは、それが仕事なんだって。わけわかんない話を、難しく言うのが仕事。それで大衆を煙に巻くのが仕事。有識者どうしで批判しあってそのバトルで視聴率を上げるのが仕事」
「なるほどね。そう思えば腹も立たないやね」
「だろう?」
「って、オチどころはそこかい!」
7月31日、6月の「経済統計」が発表された。それによれば、完全失業率は5.4%。過去最悪の5.5%にあと0.1ポイントと迫る勢いだ。有効求人倍率も0.43と過去最悪を更新した。よく見ていただきたい。これが、麻生政権の「景気対策」の結果なのである。

有効求人倍率

ところが、これは今の実態を正しく反映してはおらず、雇用情勢は数字よりもはるかに深刻だという説があるのだ。企業が一時休業などの措置によって従業員解雇を思いとどまった場合に、国が給付する「雇用調整助成金」という制度がある。この申請者数が、直近で238万人に膨れ上がっているのである。

これは“隠れ失業者”と呼ばれ、失業の顕在化を食い止めているに過ぎず、完全失業者と合わせた数字は6月度で合計586万人にも上る。これを失業率に換算すると8.8%となり、アメリカの6月の9.5%に迫る高水準となる。麻生政権の「景気対策」なるものが、まったく功を奏していないことがこれでハッキリ解るだろう。

雇用助成金申請者

リーマンブラザーズの破綻が昨年の9月15日、麻生政権の誕生が同月22日。総裁になったタイミングがいかにも悪かったとはいえ、麻生政権は初動に完全に失敗したのである。これで、麻生首相が繰り返し言っていた「景気回復最優先」の正体が、明らかになったであろう。

もし、輸出不振が、不況の最大の要因であれば、日本よりも輸出依存度の高い中国はもっと大打撃を受けていた筈である。(実際、リーマンショック直後では、そのように予測されていた)ところが、中国経済は早くも回復しているという。なぜなら、(ことの是非はひとまず置き)旺盛な消費意欲で、富裕層中心の内需が拡大しているからだ。

麻生自民党は、経済政策を完全に失敗しているのである。
小泉政権での景気浮揚は、雇用カット、賃金抑制による見せかけの「好景気」だった。自民党は経団連とともに、そうしたシナリオを世の中に定着させてしまった。だから、麻生自民が「景気回復最優先」を叫べば叫ぶほど、更なる雇用カットが行なわれていくのは自明の理なのである。

求職理由別

聞けば、今度の選挙における有権者の関心事は、やはり「景気をどうにかしてくれ」だと言う。しかし、この言葉の背後にあるカラクリを(「郵政民営化」と「改革」の時の言葉と同じように)よくチェックしなくてはならない。自民党も、政府も、マスコミも、決して真実は伝えない。我々は「景気」の言葉に騙されやすいが、実は「企業景気」「庶民景気」とを、明確に区別しなければならないのだ。

高度成長期のころは、この両者は一致していた。しかし今は「企業景気」と「庶民景気」は、必ずしもリンクしない。政府は、「企業景気」が上がらないから雇用が促進されない、と説明する。そこでまた「景気回復最優先」を叫ぶというドツボに陥っている。がしかし、それは因果関係が逆なのである。最近の報道では「企業が最悪期を脱した」と言うことが多くなっている。がしかし、実態は今まで見てきたように、雇用の悪化はさらに進んでいるのである。政府もマスコミも、そのことを意図的に伝えないようにしているのだ。

日本の景気の大部分を支えているのは「内需」である。「内需」とは、国民の消費である。この消費を決定するのは、可処分所得である。可処分所得を決定づけるのは賃金である。賃金を保証するのは安定的な雇用である。ゆえに「雇用対策」こそが、「庶民景気」につながり、「庶民景気」の上昇が「企業景気」の上昇につながるのだ。

それを、全く逆をやるから、いつまでも将来不安が拭えず、「景気」はさらに底を打つことになる。

最近NHKの番組で、北欧やドイツ、オランダなどの雇用政策を見る機会があったが、その手厚い保証と、失業後の求職プログラムの充実には目を見張るものがある。それと比べ、日本の今のひどさはなんだろう? 暗澹たる気持ちになる。

『ジャパン・アズ・No1』と言われた頃、日本はまだ終身雇用制を維持しており、社員を家族とみなす経営が主流だった。しかしそれでは来るグローバル競争には勝てないということで、雇用環境は、急速にアメリカナイズしていったのだ。しかしもうアメリカ追随はやめて、ヨーロッパを見習うようにしていくべきではないだろうか?

我々は、「北欧型の高福祉モデルでは税負担が大変だぞ」と絶えず脅されてきたのだが、本当にそうなんだろうか、という気が今している。というのも、NHKの番組を見る限り、庶民のそうした不満は聞こえないからだ。もちろん番組なので故意に編集しているということはあるだろうが、少なくとも、失業した人々が不安なく、ゆったりと生活を続けている姿には本当に驚かされる。

ここでもう一つ、データを見ていただこう。次は「公債発行額の推移」である。小渕内閣の時に急上昇しているのが解るであろう。この時も不況で、中小企業の倒産などが心配されていた。小渕内閣はケインズ理論そのままに、大規模な財政出動を行なった。このときに需要喚起策として実施されたのが、最低愚作「2千円札」と公明党発案の「地域振興券」であった。(う~ん、今とやること変わってませんな)

公債発行額推移

また、政府からのトップダウンだけではなく、民間からのボトムアップのアイデアも聞こうということで「経済戦略会議」なるものを召集し、緊急経済対策の提言を行なった。この時の委員が誰あろう、中谷巌氏、竹中平蔵氏であった。こうして経済学者による日本経済の破壊が始まったのだ。小渕内閣では、短期的には注射を打ち、長期的に財政健全化を図るとしていたのだが、グラフを見て解るように、その後、国の借金体質が定着してしまった。

公債残高の推移

こうして公債の発行残高が瞬く間に積み上がり、平成20年度には553兆円。一般会計税収の10年分にも膨れ上がったのだ。さらにこれに地方債などを合せると、2009年末には800兆円を超すと言われている。これらは、納税の先送りなのである。だとすれば、「高福祉社会は税負担が大きいぞ」という脅しは何なのか、ということにはならないか? どっちにしたって、税負担が重くなっているではないか。

債務残高の国際比較

日本の国内債務

麻生さんは、民主党案のマニュフェストを「財源の裏づけがない」と言って攻撃するのだが、これが私には解らないのである。鳩山さんは「財源のことを自民党にどうこう言われる筋合いはない!」と言ったが、鳩山さんとは別の意味で、全くそうだと思う。もし自民党政権が健全財政を貫いてきていたのなら「財源の裏づけがない」と言う資格はあるだろう。だが、借金で国を回しておいて、「財源の裏づけ」もクソもないもんだ、と私は思うのだが・・・。

さてここで強調しておきたいのは、小泉改革の規制緩和は、いわゆる「小さな政府」を目指していた筈だということ。民間で出来ることは民間に任せることで、国家の負担を減らすということになっていた筈だ。ところが逆に、以前にも増して「大きな政府」になっちゃってるじゃないか。これは一体どうしたものだろうか?

考えられるのは、役人が既得権益を手放さなかったからであろう。そこに経済対策と称する財政出動がずっと積み増しされてきているのだ。そして一度既成事実化した予算はもう減らさない。短期の注射であった筈の小渕政権時代のカンフル注射が、今もずっと続いているというのはそういうことに他ならない。

自民党は「将来の財源が足りない、財源が足りない」としきりに言うが、そこには何か根本的な誤謬があるような気がしてならない。経費は必ず増大する。だから財源確保のためには増税だ。というロジックを、今までの経緯から勝手に創り上げ、自分たちが強く思い込み、さらには国民にも思い込ませようとしているだけではないのか?

経費増大の前には、経済は必ずや成長しなければならない、という前提がある。さらにその前には、経済が成長すれば“幸福”が約束される、という時代錯誤の価値観が今なお抜きがたくある。しかしもはや経済は成長しないし、そんな幸福感はアナクロだ。だとすれば、経費は必ず増大する、という思い込みからも、いいかげん離れればいいじゃないか。と思う。

麻生自民党って本当にセンスがないなぁと思うのは、有権者が何を望んでいるのか全然解っていないことだ。民主党の揚げ足取りなんて、別に聞きたくはないんだよね。それを言えば言うほど下品な醜態にしか見えないというのに・・・。「責任とれる政党はどこか判断してください」と言ったって、その判断が、既に支持率14.4%に顕われているんだってこと、解らないのかな?

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imanari munekazu

Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

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