LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
報道を見ると、非正規雇用者の首切りに対して、草の根的な支援も徐々に広がっているようです。しかし国の対策としての緊急的なアクションは、24日に国土交通省が発表した「失業者に対する旧公団空き家活用」くらいしか、今のところ目立ったものはありません。

麻生首相は、ハローワークに来た若者に対し「ただ仕事をしたいと言っても、先ず自分がこういうものがやりたいというものがなければ」と語り、反感を買っていましたが、「そんな状況ではない、仕事があればなんでもしたい」ということがどうもピンと来ていないのかも知れません。

日本経団連御手洗会長は、8日の記者会見で、雇用の回復には「迅速に景気対策を実施して、景気を回復させるのが第一」と語り、企業の派遣切りに対しても「苦汁の判断として雇用調整が行われている」と自らの立場を擁護する発言をされました。しかしこれには矛盾があるのではないでしょうか。

現在の急速な景気悪化は、国や産業界が「外需」中心の政策を進めてきた報いです。これを回復させるには「内需」を増やすしかないのですが、個人所得が増えなければ「内需」は拡大しようもありません。それなのに、雇用を切ってしまったら、その元栓が断たれてしまうことになります。これでどうして景気回復が有り得るでしょうか。

御手洗日本経団連会長の言い分は、景気回復を、どこか他所の人頼みにしているようにしか聞こえません。そして、運よく景気が回復すれば雇用は回復するのだ、と。これが果たして、リーダーたらねばならない経済界トップの言い分なのでしょうか?

そもそも「経済」の語源は、「経国済民」(国を治め民を救済する)にあります。そのことを日本経団連のメンバーは噛み締めているのでしょうか。経営者は、簡単に「雇用調整」などとという言葉を使いますが、「働く者」は経済にとっては、回りまわって「お客様」です。頭のいい方たちに、そのことが解っていなかったとは思えません。

首を切られた派遣の人たちが「俺たちは物ではなくて人間なんだ」と語っていましたが、その通りだと思います。ましてや、「雇用調整」のためのNumber(頭数)でもありません。
90年代以降、経営の常識が狂ってしまったのです。アメリカの真似をすることが正しいと、国も経済界も思い込んでいて、いまだにその洗脳が解けないのです。

アメリカ流の資本主義は、富を極端に偏在させる仕組みです。それを真似したからこそ、日本でも実感なき「景気回復」というものが起こったのです。そしてそれは表面的には成功と言われました。しかしその先にあったものが、今の、そしてこれからのアメリカなのです。

諸悪の根源は、この強欲な資本主義による富の極端な偏在にあります。そのメカニズムはこうです。より富を求めるものはグローバリズムによって世界中からお金を集めようとする→競争が世界規模になり、それに勝つためにはコストが抑制される→人手が省けるところは徹底して省き、どうしても必要なところは、より低賃金の労働者へと雇用が移動する→その結果、移動の度に大規模な失業が発生する→失業の増大と賃金の低下は需要の停滞をもたらす→しかし一旦太った富は、新たな投資先を求めて動く→この結果、投資先の市場は乱高下を繰り返し、実態経済はガタガタになる。ババ抜きを生き抜いた富は益々太るが、やがて虚構の上でしか儲けが上げられなくなり、ついにバブルが弾ける。

日本経団連には、優しさというものがありません。人としての思いやりがありません。御手洗さんが言うビジョンなるものは、経営としての勝手な物言いであって、働く人、そして国民の幸福を芯から考えたものとは思えません。自分だけは生き残りたい。自分たちだけは助かりたい。そういう人間としての「エゴ」が出た経営なのです。

そこに正義が感じられないからこそ、ニュースを聞いた人はみな首を傾げているのです。

その間違いに、今こそ気づくときです。
アメリカ流資本主義の洗脳から、いよいよ脱却するときです。
ラビ・バトラ博士はこれまで一貫して、こう言い続けています。
日本から、世界経済崩壊後の新しい経済システム「プラウト」(Progressive Utilization Theory)が起こる、と。

非正規雇用者の首を真っ先に切るのではなく、逆に彼らに「炊き出し」の精神を持って接し、温かく遇することです。
そうすれば、そのニュースが駆け巡り、国民の気持ちを温かなものにすることでしょう。
そして、なるほど日本の経営者は素晴らしい、と世界中からお手本として尊敬を集めるようになるでしょう。
スポンサーサイト
20代のころ、毎年暮れになると、僕は当時新宿紀伊国屋書店の裏手にあった「新宿ローヤル劇場」という映画館の座席に身を沈めていた。そこはアクション映画専門の名画座で、暮れになると、なぜか毎年のように『ダーティハリー』シリーズの特集が組まれていたからである。

冬になると畳が凍る、家賃1万5千円の掘っ立て小屋に住み、『おとうふ』のマコト君のようにフリーターをしていた僕は、街にジングルベルの音が聴こえるころになると、鬱屈した気分がどうにもたまらなくなって、地下にあったその劇場に一人潜り込んだのだった。そんなとき、ハリー・キャラハンがぶっ放す44マグナムは、当時の自分にピッタリの気分だったのだ。

ここで恥かしい写真をお目にかけまする。題して『猫と拳銃』。(猫ちゃんがちゃんと芝居してくれないのよね。それで猫ちゃんの顔が見えないの)
意味はない。そのまんま。22歳のころ、友人のY君の家で撮った写真だ。Y君はその後アニメのシナリオライターとなり、『ゲゲゲの鬼太郎』その他の脚本で活躍するようになった。

cats

対する僕は、現場で制作進行をやったり、廣木隆一監督の初期作品にシナリオを提供したりしたこともあったが、映画界ではどうにも喰っていくことが出来ずに、その後、コピーライター、SPプランナー、グラフィックデザイナー、マーケティング・コンサルタントと仕事を変えながら、今日まで喰い繋いできたのだった。

拳銃を持っているのにはワケがある。当時僕は『Gun』という雑誌を3年間ほど講読していた。別にマニアということではなかったが、日本映画やテレビのガンアクションの出鱈目ぶりに憤慨していて、ずっと研究をしていたのだった。この写真で持っているのは「ポリスパイソン357」である。さてトリガー(引き鉄)に指が掛かっていないのを見て貰いたい。

これは暴発を防ぐためにターゲットを補足するまでは指を掛けないのである。そして必ず天か地の方へ銃身を向けておく。ところが日本のガンアクションと来た日には、刑事が自動式拳銃(オートマティック)を使っている。(故障が怖いのでオートマティックは普通使わない)犯人を見つける前からトリガーに指を掛け水平に構えている。(上記の通り)走りながら、片手でぶっ放す。(当たるわけがない。止まって両手でしっかりホールドする。その構えに方には基本型が何種類かある)クイックローダーを持っていない。(蓮根式弾装に一度に弾を充填する器具)弾が切れると拳銃をその場に放り捨てる。(拾われたらどうするのヨ!)バキューーン!という音がする。(これは裕ちゃん時代に日活で作った音。実際はパン!)と、あまりにも出鱈目だったのである。(今もあんまり変わってないかな)

余談はそれくらいで、さてその『ダーティハリー』の1本目(1971年)を見たとき、僕はもの凄い衝撃を受けたのだ。ハリー・キャラハンのキャラクターもさることながら、それ以上に驚いたのは、犯人が変質者だったことである。スコルピオと呼ばれるその犯人は、「理由なき無差別殺人」を繰り返す男として設定されていたのだ。驚くなかれ今から37年前の話である。

ところが日本では、その4年後の1975年に制作された『新幹線大爆破』を見ても、町工場の経営に失敗した男が犯人、といったように犯行に至る理由がちゃんとあり、それも犯人の心情レベルにいかに迫るかが、映画の見所とされていたのだ。これは、黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)などでも同じである。

1970年代初頭に『ダーティハリー』が示した犯人像は当時のアメリカ社会の世相を映すものであったが、その延長が20年後の『羊たちの沈黙』(1991年)にまで続いている訳である。一方の日本では、渡哲也が主演した『誘拐』(1997年)においてもなお、『新幹線大爆破』と全く同様の、「理由ある犯人像」(ダム建設による村の水没という恨み)が描かれていたのだった。

この『誘拐』を観たとき、僕はまったく陳腐だと思った。1988年には宮崎勤幼女連続殺人事件が、1995年には社会を震撼させたあの「地下鉄サリン事件」が既に起こっていたのである。そして2001年には宅間守の附属池田小事件が起こる。言葉は悪いが、日本にもとうとう「理由なき無差別殺人」の時代がやってきたのか、と当時の僕は思った。

アメリカに遅れること20年。犯罪においても、日本はついにアメリカ並みになったのである。今や現実の事件の方が、フィクションを追い越しているのだ。
こうした、世の中を震撼させるような「理由なき無差別殺人」が一旦起こると、メディアは一斉にその「納得できる理由づけ」を求めて動く。そして、警視庁のOBや、元監察医や、犯罪心理学者や、時には推理小説家までを投入してその解説に当たらせる。

しかし、こうした「納得できる理由」探しという文脈は、それ自体がもう古いように思う。村上龍氏は、<世の中には変な奴が必ずいるのだから、こうした報道をすればするほど真似をする奴が出てくるかも解らない。そっちの方が心配だ>と言う。僕もその考えには賛成である。ワケを知りたいのは人の常だが、もう以前のような納得できる関連づけなどムリな犯罪が増えているのだ。

つまるところ、そうした犯罪が次々と起こり得る社会的背景が、アメリカ並みになってしまったということの、これは証左とは言えないだろうか。
labi

2005年8月、私は信濃町駅からほど近いあるホールに居た。それはアメリカの経済学者ラビ・バトラ博士の講演を聞くためであった。ラビ・バトラ博士の名前は、ある種の人たちにとっては親しみ深いであろうが、一般的にはほとんど知られていないのではないだろうか。日本のマスコミにも、ニュースにもその名が登場することは全くといっていいほどない。

理由はよくは解らぬが、想像するに「異端」と見られているからであろう。あるいは人種差別があるのかも知れない(ラビ・バトラ博士はインド生まれである)。学者業界には権威が付き物である。その秩序を破る者は「異端」とみなされ排除されるのだ。それは物理学の世界でも医学の世界でも同じである。

ラビ・バトラ博士の異端ぶりは、先ずその経済学理論を構成するバックボーンにある。主として2つの循環論を背景としている。一つは、経済の支配層が200年周期で、武人、知識人、富裕者に移り変わるという理論。もう一つは、30年周期でインフレ(及びマネー・サプライ)が増減を繰り返すという理論。この30年周期には経済恐慌が含まれている。

異端ぶりの2番目はこれらの理論を背景に、世界規模での経済的、政治的な大変化を「予測」し、これまで多くを当ててきたことである。有名なところでは共産主義の崩壊を的中させている。これは他の経済学者にはない点である。

2005年8月の講演でのメモを改めて今見てみると、2009年~2012年の間に資本主義が崩壊すると語っており、そのプロセスは株の暴落から始まり、次に住宅バブルが破裂し、最後にオイルバブルが破裂。2008年にはこの二つのバブル崩壊が衝突し、アメリカ発の大恐慌となって世界中に伝播する、と「予測」している。

見事というか、不幸にというか、またまた的中したわけである。こうしたことから、ラビ・バトラ博士をキワ者的「予言者」と見る向きも多いようで、ネットを見るとジュセリーノの予言と同列に扱われていたりする。そのように見られるのは、博士がインド人で、一日に4時間もの瞑想をする習慣を持ち、社会支配層の200年周期説も自分のヨーガの師であるプラバート・ランジャン・サーカー師(Shrii Prabbat Ranjan Sarkar 1921年~1990年)から教えられたことを隠していない、というせいもあるだろう。

私も講演を聴くまでは、ラビ・バトラ博士の「予測」は、アカシック・レコードをリーディングに行っているのだろうと思っていた。もちろんそれもしているだろうが、講演を聴いた限りでは、過去の経済統計を徹底的に調べた結果の循環論をベースに「予測」していることが解り、そのときは拍子抜けしたものである。瞑想については、長いときは一日8時間もやっているそうで、おかげで痔になり近々手術しなければならないと言って、観客を笑わせていた。

ちなみに<よげん>には「予言」と「預言」の2種類があることはご存知であろう。後者の「預言」は、<神から預かった言葉>の意味である。出版社は『ラビ・バトラの大予言』などと、センセーショナルなタイトルを付けているが、どちらかと言えば「預言」の方がより近いと私は思う。しかし敢えて言えば、やはり経済学者としての「予測」が最も的を得ている。

ラビ・バトラ博士が表面に出てこない理由はもう一つある。それはアメリカも日本も支配者層循環では富裕者層支配の下降局面にあり、富裕者の意向を汲んだ経済学者が、その支配構造維持のために働いているという例が少なくないからである。アメリカではグリーン・スパン、日本では‥‥名前を挙げないが小泉政権を担ったあの人などは‥‥。だから、それを指摘するラビ・バトラ博士のような人物は「異端」として排斥されるわけだ。

なぜ支配者層で200年周期の交代が起こるのか、に対しラビ・バトラ博士は「腐敗するから」と明確に答えている。今の日本の官僚支配の政治状況や、経済界人たちの行動を見れば、まさに「腐敗」していると言わざるを得ない。最後に興味深いエピソードを一つ。どの本だったか忘れてしまったが、博士の本の前書きに、ある日、日本からイトーヨーカドー名誉会長の伊藤雅俊さんが訪ねて来た、ということが書かれていたものがあった。そのとき伊藤雅俊さんは、いつか経済がクラッシュするのではないか、ということを本当に心配していたということです。

なお2008年2月刊の『2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測』で、ラビ・バトラ博士は次のような予測を行っておられます。すでに5番目までが現実のものとなっていますね。

01.原油価格は100ドルを越えて高騰し続ける。
02.サブプライム住宅ローン危機は再三爆発する。
03.2008年米大統領選挙は民主党の勝利。
04.アメリカの大企業の破綻が続発する。
05.日本の好況は2008年半ば末まで。
06.2009年にイランが新たな中東の火種となる。
07.アメリカ資本主義は数年内に終演する。
08.2009年後半から2010年前半に世界的に重大な危機。
09.中国にも2010年に危機到来。
10.日本で新たな経済システムの胎動が起こる。
10月に放送されたNHK『クローズアップ現代』では、就職活動であまりに早く次々と「内定」が出ることによる、新卒者の「内定ブルー(自分が本当に求められているのだろうかという不安)」を特集していた。ところが僅か2ヵ月で状況は激変。言葉は悪いが「内定取り消しブルー」に変わってしまった。

12月上旬、大分キヤノンで、派遣や請負従業員ら1100人あまりの解雇予告が発表された。このニュースを見ていて暗澹たる気分になった。なんとなれば、御手洗さんは日本経済団体連合会会長という要職に就いておられる方だからである。解りやすく言えば経済界のトップなのだ。そのトップが決断したことが今回の大リストラ策だったのだ。その団体のHPで、会長である御手洗さんはこう述べておられる。

日本経団連は2007年初め、10年後のあるべき日本の姿をもとに、今後5年間に取り組むべき行動計画を定めた長期ビジョン「希望の国、日本」を発表いたしました。ビジョンは「開かれた機会、公正な競争に支えられた社会」、「世界から尊敬され親しみを持たれる国」、すべての人が「精神面を含めより豊かな生活」を送ることができる日本を描いています。>

ビジョンはよい。でもやっていることが、全然違うではないか。御手洗さんはNHK『サラリーマンNEO』にも登場されていて、社食で従業員と一緒にカレーを食べていた。それは、「メザシの土光」さんを彷彿とさせるものだったが、今回の対応を見ると、本当の人間像というものがよく解らなくなってしまう。しかも御手洗さんは厚生労働省が音頭とりをしている「若者の人間力を高めるための国民会議議長」という職にも就いておられるのである。もうメチャクチャである。どこが若者の人間力向上につながるというのか?

実は、これはあまり報道されてはいないのであるが、今日の従業員の区別(差別と言ってもいい)は、1995年に日経連(2002年5月に経団連と合併して今の日本経団連となる)が発表した<新時代の「日本的経営」>が基になっているのである。この提言で、従業員を正規社員と、契約社員と短期雇用者に区別することが、経済団体共通のその後の課題として定められたのだ。この方針のどこに「希望の国、日本」があったというのだろうか?

この前後から2003年までの約10年間、完全失業率は上昇し続け、有効求人倍率が1を割る、いわゆる「就職氷河期」が到来した。そして、全雇用者数に占める非正規従業員の割合も、2割から3割超へと増加していったのである。その成果が顕れて、「いざなぎ景気」を超えたといわれる、従業員には実感なき好景気が到来したのだ。しかしもっと言えば、この日経連の提言の背景にあったのは、94年にクリントン政権から出された悪名高き「年次改革要望書」なのである。日本はこの意を受けて、労働市場も開放していくことになる。

99年には「男女雇用機会均等法」と「派遣法」が改正され、政令指定業務以外の派遣が解禁になった。これに先立つこと1年前の98年には、トヨタが終身雇用制を採用しているという理由から、なんとムーディーズが格下げを行ったのである。この時、トヨタは激しく反発したのだが、今度のサブプライムローン問題で格付け機関と称するものがどんな役割を果たしたかを考えれば、その恣意的いい加減さが解ろうというものである。

「開かれた機会、公正な競争に支えられた社会」、「世界から尊敬され親しみを持たれる国」、すべての人が「精神面を含めより豊かな生活」を送ることができる日本、を本当に目指すのであれば、やるべきことは非正規雇用者の首を切ることではない。正社員の給料を削って、皆に分け与えることである。痛みをシェアすることである。労働機会をシェアすることである。

むろん、いま高給を頂いている人には抵抗があるだろう。しかしそれは踏み絵のようなもので、「人間どう生きる」という根源的な問いにもつながっているアクションとなるのだ。阪神淡路大震災の折りにはたくさんの善意が集まって世界の人々を驚かせたではないか。この期に及んでアメリカ型追随では、さらに日本は沈んでしまう。日本は「和をもって貴しとなす」の国なのである。日本人にはそれができると信ずる。そのときこそ、日本は「世界から尊敬され親しみを持たれる国」になるだろう。そしてそれは新たな世界のモデルとなることだろう。

プロフィール

imanari munekazu

Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

リンク

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。