LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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最近電車に乗っていてある事にお気づきではないだろうか? ルイ・ヴィトンのバッグを持っている女性をとんと見かけなくなったのである。

一般にファッションブランドというものは、次の宿命を持っている。「流行」となることでそのマーケットは拡大するが、流行り過ぎると、今度は一転そっぽを向かれるのである。要するに「同化」と「異化」という矛盾のせめぎ合いが、ファッションブランドが持つ宿命なのだ。

あるブランド(=スタイル)に「カッコいい」という評判が出始めると、人々はその「カッコいい」お仲間に自分もなりたいと希求する。そして、そういう人々が増えてくることで市場に「流行」が形成される。この時、実際一時は「カッコいい」と周囲から見られるのだが、その流行を取り入れる人があまりに多くなってくると、今度は「あんたまだそんな格好してるの? ダサー」と言われてしまう。

ファッションは、他人と違うセンスを見せたい(=異化)。そのセンスを評価されたい(=同化)。真似する人が多いことは最大の評価(=同化)。同じ服を着ている人と街ですれ違っちゃった、ああ恥ずかしい(=異化)。という自己矛盾、自己否定のライフサイクルをめぐって動くものなのである。

このため、ファッション市場では常に次のことが言われる。「流行の立ち上がり端を捉えて、飽和になる前に手を引け」。しかし、こうした「流行」を故意に追わないファッション市場もある。それがライフスタイル・ファッションである。(ただし厳密に言えば、ライフスタイル・ファッションといえども、流行の影響は少なからず受ける)

ルイ・ヴィトンは高額所得者層のライフスタイル・ファッションを演出するブランドであった。(いや、ルイ・ヴィトンに限らずアパレルの高級ブランドは、みな特定のターゲットを相手にするライフスタイル・ファッション・ブランドだと言っていい)ところが日本においては違ったのである。ルイ・ヴィトンやバーバリーは女子高校生が「同化」したいがために持つブランドとなったのだ。つまりルーズ・ソックスと同じだったのだ。

このことの危険性を、もちろん本国のマネージャーたちは先刻承知だった。だからフランスなどでは、日本人観光客の入店を内心苦々しく思っていたのである。しかし東洋の国「ジャパンで起きることは勝手にしておけ」と思っていたのだ。「あいつらは本当の価値など解っちゃいないが、この売上を見ると背に腹は変えられないからな」が彼らの本音だ。

アパレル関係者の話を聞くと、NYのさるブランドなどは、売上の7割が日本市場なのだという。そのことを日本人は知らないで、NYの先端ファッションだと思い込んで買っているわけである。ヨーロッパのブランドでも、3割から5割は日本市場で稼ぎ出しているという。

これと同じ現象が、いま銀座で起きている。銀座をちょっと歩いてみるといい。アジアのお金持ちが、大挙して銀座に買い物に来ている。「ファンケル」のショップが銀座にあるのも、アジアでは人気の高いブランドで、そこがフラッグシップ(旗艦店)になっているかららしい。

話を元に戻すと、これまで日本では異常なファッション・サイクル消費によって、次々と高級ブランドが話題に上っては消えていく、ということを繰り返してきたのである。そんな中にあって、ルイ・ヴィトンだけは別格であった。次元の違う売上と継続性を示していたのである。ところが、そのルイ・ヴィトンも、とうとう息切れし始めたようである。

ある女性に聞いてみたところ「もう、恥ずかしくて持てない」という。この女性はよく解っていて、要するに「本当に持つべき人ではない人が持っているから、そういう人たちと同類に見られるのが恥ずかしい」と言った。

これはブランド・ビジネスにおける重要な示唆である。つまり、それを持つに相応しい人以外の人たちにまで浸透し始めたら、そのブランドには「危険信号」が点っているということなのだ。「いま売れている」ことに喜んではいられない。

また脱線してしまうが、少し前、麻生総理大臣がホテルのバーで飲食していることを「庶民感覚がない」と揶揄する報道があった。しかし総理大臣がチェーンの居酒屋で一杯やっていたとしたら、逆にそれこそおかしい。ホテルのバーを日常的に利用できる人は、利用する生活が相応しいのである。またそういう人がいなければ、ホテルのバーも成り立たない。

相応しい人が、相応しい消費生活を送ることが第一。売る方は、その人たち以上に広げないことが第二。これがブランド・ビジネスにおいては重要なことである。この鉄則を、ヨーロッパの伝統ブランドは、本来解っていたはずである。ところが、女子高校生が高級ブランドを買うという異常な市場が日本にポッコリ出来たことと、市場原理主義とグローバリズムが高級ブランドにも入り込んだおかげですっかり狂ってしまった。

高級ブランドにとって、かつてのルイ・ヴィトンのように、<もっと売りたい>は抗し難い魅力のようだ。ちょっと人気が出始めると、高級ブランドはたいていモノグラム(ブランド記号模様)を展開する。確かにそのことで爆発的に売れるだろう。しかし私に言わせれば、モノグラムを出した時が「死」の始まりである。

なぜなら、モノグラムを買う人は、その解り易い「記号」が欲しい人であって、そのブランドの「世界観」に浸りたい人ではないからだ。「それを持つに相応しい人」以外を最初から狙った戦略であるからだ。これでは、そのブランドを本来愛していた人たちは裏切られた思いがして、やがて去っていってしまう。

しかも、「記号」を買った人は、その「記号」が解り易いがゆえに、「同化」「異化」のライフサイクルをあっという間に消費してしまう。その人たちは、もともとそのブランドのファンではないのである。だからモノグラムが一巡してしまえば、次を買うことはない。こうして浮動客も、本来の固定客も逃してしまうことになる。

ファンに支ええられている飲食店は、それ以上儲けようとはせず、「雑誌取材お断り」であることの意味を、よくかみ締めて欲しい。

追記:この記事を書いた後、ルイ・ヴィトンの銀座への大型店出店計画が白紙撤回されました。報道では2008年1〜9月までの売上高が前年同期比7%減と出ていましたが、私はそんな程度ではないと見ています。重要なことは、もう買う理由がないということなんです。ラグジュアリーブランドの構造がバレてしまっている、ということなんです。
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香川県の高松に行って来た。目的は「うどん」の食べ歩きと、「うどん」づくりのセミナーに参加するためである。そのついでに市街を散策したのだが、アーケードの中は日曜だというのにシャッターの閉まった店舗が多く閑散としていた。夜、居酒屋へ行ったら店の大将が「ああ、今日は日曜だからね」と言ったので、高松では日曜は商売しないのかと驚いた。

その折、三越高松も見てきた。東京の三越はもはや存在理由がないと自分などは思っているのだが、三越高松を見て、地方都市では「高級」という視点はいまだ有効でそれなりのポジションがあるようだと感じた。それを支持するお客がどの程度いるかはまた別問題であるが‥‥。とにかくこと高松に限っては、対抗勢力はあまり見あたらない。

先ごろ三越が業績の悪い4店舗のスクラップを決めたが、それに関する新聞報道を読むと「売場面積が狭い」ことを理由として上げている。これは新聞記事なので三越が本当にそう思っているのかどうかは解らないが、前回でも指摘したように、流通業界では不振の理由、あるいは逆に好調の理由を、売場面積に求める傾向が非常に強い。流通業界では大が小を駆逐するメガ信仰がいまだに蔓延しているようだ。

確かに70年代から90年代に掛けては、チェーンストアの興亡史においてそのような展開が進行した。しかしその時代はとっくに終わっていると思う。いまはただデカいことには、客側から見てなんの意味もない。いや、マスにはデメリットしかない、とこの際ハッキリ言っておきたい。今の客は、自分の欲しいものだけ、関心があるものだけ買いたいのである。動線計画などつくっても、客はその思惑通りになど動かない。自分の関心ある売場に直行してしまうのである。

業界紙や業界関係者は、百貨店GMSの不振を、景気後退や郊外SCに客を奪われたとか、天候不順のせいにしたがるが、真の衰退理由はハッキリしている。専門店にカテゴリーキリングされているためである。しごく簡単なことだ。百貨店百貨店である限り、GMSGMSである限り、専門店によるカテゴリーキリングはなくならない。だから衰退していくのである。

GMS系は、利益が落ちると必ず衣料部門のテコ入れを口にする。今度のイオンの「TOP VALU」ブランドでの衣料展開もそれである。食品よりも粗利が高いためで、GMS系はかつてこの部門で利益を上げていた時代の思い出が忘れられないのだ。しかし藤巻さんを起用したイトーヨーカドーの「pbi」しかり、この10年GMS系で衣料部門が復活した試しはない。衣料が失敗すると食品特化を口にし、しばらくするとまた衣料に手を出すというその繰り返しなのだ。

昔は他に店が無かったのである。しかし今はユニクロもあればGAPもあるし、無印良品だってしまむらだってある。ZARAにH&Mだって上陸した。ベルメゾンやマルイの通販という手だってある。そのなかで今さらGMSにファッションを買いに行く理由がないのである。失礼ながらGMSのオジサンたちにウィメンズのファッションが解るとはとうてい思えない。

イトーヨーカドーの鈴木敏文さんは、<GHS業態がダメなのではない、客のニーズに応えていない品揃えがダメなのであって、業態内改革は可能だ>という主旨の発言を繰り返しされていた。しかし私は、GMSに限らず「業態」優位の時代は、やはり終わったのだと思う。

「業態」というのは、ご承知のように「業種」に対抗してつくられた概念である。「業種」は製造業の分類と直結した小売で、例えば、魚屋、米屋、八百屋、乾物屋、金物屋、お茶屋、瀬戸物屋といった店である。昔はこれらが商店街にあって、それはそれで便利なショッピングセンターゾーンを形成していたわけである。

一方の「業態」はこれらの垣根を崩して、価格帯や購買頻度で商品を横に切り、品揃えしたお店である。たとえばCVS(コンビニエンス・ストア)は、今すぐ必要なものに絞った業態である。SM(スーパーマーケット)はデイリーな生活用品、一週間に2度とか3度買い物に行くお店。GMS(ジェネラル・マーチャンダイズ・ストア)は月に1度とか2度行くお店で、耐久消費財も売っている。百貨店は価格帯をさらに上に振った業態である。

SMにはコーヒー豆は売っているが、エスプレッソマシンはない。でもGMSに行くとある。そのように分けられている。スーパー出身系のチェーンストア企業は、みなこうして「業態」を満遍なく揃えている。IYグループであれば、GMSはイトーヨーカドー、SMはヨークマート、CVSはセブン・イレブンという具合にである。そのことで、消費者の購買ニーズを洩れなく取ろうとしているわけだ。

「業種」がまだ全盛だった時代に登場した「業態」は、非常に便利なものであった。その一箇所で買い物が全部済む。しかもセルフなので余計な気兼ねもいらないし、当時は価格も業種店よりは安かった(今は安いとは言えないが)。売場もこぎれいだった。そのことで、消費者の買い物の場が、「業種」から「業態」へと移っていったわけである。

しかしこの「業態」には致命的な欠陥がある。店のコンセプトが判らないのだ。「便利」か「安い」だけが勝負どころで、いったい「何屋」であるかは判然としない。だから「業態店」は、いつも同じ「業態店」同士で相対的な「安さ」競争に明け暮れるということになるのである。

お店のコンセプトというのは、商品の組み合わせによって明確化される。先の例で言えば、エスプレッソマシンと豆を、購買頻度に関係なく組み合わせれば、その店のコンセプトは明確となる。現にそれをやっている店がある。いわずと知れたスターバックスである。

このようにして今は、「業態店」が新しい「専門店」にカテゴリーキリングされて行っているわけだ。ちなみに小売業の革新は、いつも「専門店」と「総合店」が交互して起こっていく。今は日本においては、「総合店」から「専門店」へのシフトが起こっているわけである。しかしその「専門店」も、以前は「業種」という切り口だったものが、今は「ライフスタイル」を切り口にする店へと変わってきているということなのである。

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このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

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