LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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越谷のイオンレイクタウンSCに行って来た。普段ならばこんなに早い段階で見に行くことはないのだが、知人の女性が行くというので、それならばと自分も同行した次第である。

一般に「流通視察」といわれるものはオープン直後に行われることが多いのだが、あれは止した方がよい。オープン直後では真の実力が測れないからだ。お客は実際の商圏よりももっと広いところから物見遊山でやって来ているし、店も応援の人を出したりオープンセールをやったりと、本来の営業とは違ったことをやる。要するにオープン直後は、「店」ではなく「イベント会場」になってしまっているのだ。

でも業界の方々はお好きなようです、オープン直後の視察。やっぱり気になるんでしょうね。今回もスーツを来た男性軍団をいくつかお見かけしましたが、しかしどう見てもヘンです。どうかスーツを着て来ないでいただきたい。また男同士のグループでゾロゾロと来ないでいただきたい。そんなヘンな「買い物グループ」は、日常では居やしませんよ。プロとしてそのことに鈍感であってはいけないと思うのですが‥‥いかが?。

さて今回、自分はそのタブーを破って早々行ってしまったわけだが‥‥感想を一言でいうと「疲れたー」が正直なところ。とにかくデカい。デカ過ぎる。
新聞報道では、開発したイオンはこれでもまだ商圏人口と比べて小さいと思っているのだそうだが‥‥。ではその「広さ」とはなんなのだろうか。客にとって「意味ある広さ」ならいい。しかし商圏人口から割り出した広さなど、客にとってはなんの意味もない。

客にとって「意味ある広さ」とは、第一に「買い気をそそられること」、第二に「選択できる幅と深さがあること」である。ところがこのレイクタウンSCの広さは、両視点にとってマイナスの意味しか実現できていない。要するに、客にとってムダな広さでしかないのだ。このだだっ広いSCの中にシャツの専門店が場所を変えて2軒あることにどんな意味があるだろうか。

たとえて言うと、スーパーの棚にあるブランドのゴマ油が10フェイス並んでいたとする。ゴマ油を買いに来た自分はそれを買うことになるが、それは仕方なしの購買である。同一商品が10フェイス並んでいることはデポとしての店の都合であって、客にとってはなんの意味もない。「買い気がそそられる」わけでも「選択の幅や広さが深まる」わけでもない。イオンレイクタウンSCの広さは、いわばそういう広さでしかないと思う。

ゴマ油も、全国各地から集めた商品の集積売場なら意味があるだろう。シャツの専門店が2軒あるのなら、2軒を隣りに並べるべきなのだ。隣りに並べてなお選択の幅があるのならそれは意味がある。しかし違いが解らないようであるなら1店だけでよい。同じ類の店のリピートによって広さをつくっても客は歩くのにくたびれるだけだ。

イオンというのは不思議な企業である。海外からコンセプトショップを次々と引っ張っては来るが、自前ではいっこうにオリジナルを生み出せない。一見オリジナルに見えるものであっても海外の成功事例の実はコピーだったりする。自前でやるものはなんかいつもズレているのだ。今回も『イオンボディ』というコンセプトショップをつくったようだが、自分も同行の女性も全然そそられなかった。とってつけたような品揃え、しかもなんであんなにフェイス数が多いのかが全く解らない。

アンカーテナントとして自ら入っている部分は「AEON STYLE」と称しているのだが、売場を見て驚いた。そこが見事に百貨店の平場になっていたからである。なんのシズル感もない煌々とした蛍光灯に照らされたプレーンな売場。イオンが理想としてるものは結局こうゆうことなのか、とガックリ来てしまった。なぜ衰退業態の百貨店を今さら模倣するのだろうか? しかもそこで「TOPVALU」のファッションを売ろうとしている。

今の「TOPVALU」を自分は評価しているが、だがアパレルにまで拡大して売れるわけがないではないか。アパレルとうなぎの蒲焼きが同じブランドでいいわけがない。うなぎの蒲焼きの香りがするファッションを、いったい誰が買いたがる? アパレルファッションはそんなに甘いもんじゃない。もう幻想は捨てなくてはならない。GMSや百貨店でファッションを買って喜んでいた時代はもうとっくのとうに終わっているのだ。

今回このSCを観てつくづく感じたのは「ただデカいものに意味はない」ということだ。たとえいま伸び盛りであっても、遠からずこうしたメガSCは徐々に衰退していくことだろう。

SCを別の視点から見ると「デリバリーコストを客に負担させるビジネスモデルのデポ」と定義づけることができる。客はそのことをまだ意識してはいないが、いずれ気が付く時が来る。レイクタウンはエコを売りにしているが、巨大商圏からたくさんのクルマを集めることが、まったくエコとは相矛盾していることにも客はいずれ気が付く。

このようなメガSCが出来れば出来るほど、客は逆にネットショップの利便性や品揃えの価値を改めて発見していくことになっていくことだろう。
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いま日本の会社では、会社のオフィスに通勤(痛勤?)して仕事をすることが普通になっています。これを多くの人は当たり前と信じ込んでいますが、実はこのワークスタイルは、歴史上では近代以降のたかだか110年間に出来上がったスタイルに過ぎません。

これは産業革命によって「工場」が大規模化した際に、その管理部門が独立して、今で言うところの「Office」となったのです。つまり「Office」は「工場」の成立と並行して発生したものです。こうした成立の経緯があったことから、オフィス労働には「工場」と同じ「労働」観が残されています。

また「労働」という日本語自体も、実は近代以降になって「Labor」の訳語として作られた新しい言葉なのです。労の旧字は「勞」。これは屋根の上の火を消そうとする様子、つまりは火事場の馬鹿力という意味。一方、働はもともと動くという字だったものに「はたらく」という概念を与えて「働」としたのです。

「労働」には、辛い仕事というニュアンスがありますが、これは奴隷制があった西洋から入って来た概念だからです。罪を犯して楽園を追われたアダムには、その罰として「労働」が与えられます。ですから「労働」しなければならない者は、罪を犯せし者なのです。その罰から解放される時間がバカンスです。ヨーロッパ人があれほどバカンスを重視する理由には、そうした宗教的背景があるのです。

しかし近代化以前の日本人の「仕事」観には、こうした西洋人のような概念はなかったと言われています。
一方「仕事」は、「事」に、「する」という意味の当て字である「仕」をくっつけた言葉で、「事をする」という意味。つまり「事をする」ことは、近代以前の日本人にとって全部「仕事」だったのです。

しかし生活全部が「仕事」であったにもかかわらず、近代以前の農民には、今でいう辛い仕事という「労働」観は無かったようです。その要因は大きく3つあります。
1.生活の場と仕事場が分離していなかった。
2.24時間で仕事が規定されるのではなく、季節と天候に合わせて臨機応変に仕事が規定された。
3.組織で働いていないために、課題を自己管理しながら働いていた。
以上の3点です。

ところが、現代のいわゆるオフィスワークは、これとは正反対に、
1.特定の作業所に集まって、
2.一定時間の規律のもとに、
3.分業・協業で働く、
ことを強いられています。それは、「工場」から「Office」へと労働の比重が移る中で、「Office」もまた「工場」と同様の「生産性向上」が目標とされ、「工場」と同様の管理方式が取られるようになっていったからです。

いま「知的生産」の向上のために、オフィスの居心地をよくしたり、IT支援ツールを整備したりすることが流行となっています。しかし根本を問えば、近代以前の「仕事」に見られたこの3つの特徴に立ち戻らない限り、今後も職場ストレスの問題は解決しそうにもありません。なぜなら、それは日本人の身体に受けつがれた「仕事」観のDNAだからです。

ちなみに「レクリエーション」は「Re-Creation」の意味で、産業革命の時代に炭鉱労働者の疲れを癒し、再びクリエイトさせるために考えられた手段です。「労働」の後に「癒し」や「余暇」をセットしてバランスを取るという考え方は、全く無いよりはいいでしょうが、もともとLaborを上手に「労働」に向かわせるための方法だったのです。

私はワークショップで、創造技法を教えていますが、それは知的生産性の向上のためではありません。仕事を楽しくする手法として伝えようとしています。こんなことを言えば、企業からは嫌われるでしょうが、「生産性向上」を第一の旗印に掲げることは、もう思想としては古いと思うのです。それは大量生産・大量消費時代の発想であって、現代ではこれ以上生産性を向上させても、それに見合う消費がありません。

高度成長期の以前と以後では、生産性は実質GDP比較で5倍以上になっています。生活が、高度成長期以前のレベルでもし今も推移していたとしたならば、労働時間が5分の1になるか、お金がなんらかの形で生活費の4倍分溜まっていなければ変です。しかし現実はサービス残業もあるし、庶民の生活はますます苦しくなっています。生産性が5倍にも向上した分は、いったいどこに消えたのでしょうか?

実はこれらは、みな「消費」に回されたのです。現代人は「消費」するために、身を粉にして「労働」し続けなければならないように仕向けられているのです。繰り返しますが、近代の「労働」観は、たかだか110年の歴史の産物に過ぎません。資本主義の中で、我々はそれがさも当たり前のように思い込まされているだけなのです。

ガラクタやゴミの購入のために、本来働けばいい分以上の「労働」をするのはオカシイし、資源やエネルギー問題の観点から見ても、改められるべきことがらです。
拡大と競争と過剰な新商品開発をやめれば、本来の人間的な生活が返ってきます。「経済成長こそが人間を幸福にする」という、国や産業界が導くウソには騙されないようにしたいものです。
あの10年間の「就職氷河期」がまるで嘘であったかのように、いま大学卒の就職戦線はかつてない活況を呈しているらしい。一時期あった就職協定も廃止され、企業は青田買いに走って内定を乱発。リクルート関係のサービス業各社も業績好調でホクホク顔らしい。

この背景にあるのは、団塊世代の大量退職への備えである。また製造業などでは、「就職氷河期」の長期に渡る採用手控えから社内の年代構成にいびつが生じ、技術伝承が行われなくなっていることに対する強い危機意識が生まれてきているのだという。

こうして活況を呈してる今の就職戦線だが、一方の学生は、企業があまりにも簡単に内定を出すことに「自分を本当に必要としているのだろうか」と逆に不信感を抱き、「もっとよい会社があるのではないか」と内定後も就活が止められないのだそうだ。人材確保を至上命題に青田買いに走った企業は、卒業までの期間が長過ぎて、他に乗り換えられてしまうという皮肉まで起こっているようだ。

それならば、なぜ職にありつけず苦しんでいる「就職氷河期」世代を雇用しようとしないのだろうか?企業がいまだに「新卒」にこだわる理由が解らない。「新卒」にこだわるのは、俗にいう手垢のついていない人材を、我が社流に染め上げたいから、ということらしいのだが、入り口がそうであっても、終身雇用という出口はもう保証されなくなっているではないか。

それに、中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が3年以内に離職するという「七五三現象」が言われるご時世では、新卒者に施す教育費がバカバカしいという声も耳にする。
私が知っているある業界トップ企業は、新卒者の募集を一切行っていない。社員全員が中途採用である。これも一つの英断だと思うが、その企業にとっても明らかなメリットがある。

いまの時代に必要な人材とは、「考えられる人」である。自ら「アイデアを生み出せる人」である。そのためには「異質な刺激」「多様な考え」に日常的に触れることが非常に重要になってくる。その意味で、中途採用しか採らないという英断には価値がある。実際この企業は非常に提案力に優れており、次から次へと新しいアイデアを出してくるし、社内のチームワークもとてもよい。

この時代に、我が社流に染め上げた人間ばかりの会社で、そこからどんな知恵を生み出せるというのだろうか? 自分にははなはだ疑問だ。もしかしたら、企業は新卒採用でない限り「ファミリー」が創れないと思っているのかも知れない。しかし中途の寄せ集めだって「ファミリー」は創れる。今週発売の『Number』は野茂英雄特集だったが、トミー・ラソーダは野茂や南米から来た選手を集めて、ちゃんと「ファミリー」を創ったのだ。要は、親や、兄ちゃん、姉ちゃんの愛情次第なのだと思う。

さて、就活に向かう学生も情けない。男も女もファッションを見るともう真っ黒だ。それはまるで「私は、いかようにでも染まります」と恭順の意思を示しているかのようだ。いや真っ白ではなく真っ黒だから、「周囲には一応合わせますが何色にも染まりませんよ」というささやかな抵抗なのか? 昔は違っていた。他の人とどう違う格好をするかに頭を悩ませていたと思う。こういう今どきの学生さんたちの感覚が解らない。就活は「お見合い」なんだから、自分の個をもっと出さなくてはダメだと思うのだが‥‥。それを一山いくらで売ってどうするんだろうか。

スーツを着るのはいい。しかしスーツをサラリーマンの作業着にしてしまってはダメだ。まだ若いのにいきなりそっちから入っていってどうするの? そのまま行って10年したら、つまんないオジサン、オバサンになっちゃうよ。企業も学生さんも、もし「ファッションにうつつを抜かすような人間は企業戦士になれない」とでも考えているのだとしたら、とんでもない時代錯誤だ。ファッション感覚はライフスタイルの重要な一部である。「ファッション音痴」は即「生活音痴」ということなのだ。学生さんはスーツのかっこいい着こなしこそを、この就活の機会を利用して学ぶべきだ。採用する方も、着こなしのセンスを見抜き、評価して欲しいと思う。

さて話を戻して、企業の方々にはフリーターの人たちにぜひ就職の機会を与えてあげて欲しい。企業からすれば<フリーターではその間の技術能力の蓄積がない>と見なすのかも知れないが、「人材」確保で重要なのは「能力」よりも「人格」である。いくら「能力」が高くても「人格」が磨かれていない人間は、これからは信用されないのだ。今なぜ経済界でとんでもない不祥事が次から次へと起こっているのか? みな「人格」不足に端を発しているからではないか。サブプライムローン問題を見よ。「能力」では非常に長けた人々が、こうしたとんでも問題を起こしてるのである。

これからは、企業は、90年代なかば以降のあまりにも能力主義に傾いた視点を、「人格」中心に戻していくべきだと思う。そのときに、フリーターの人たちが経験した生活や苦悩や痛みが生きてくると思う。フリーターの人たちも、諦めることなく、時代に埋没することのないように、周囲をよく観察し、工夫し、腹筋を鍛え、備えておこうじゃありませんか。

【追伸】これを書いた後、米国の金融危機に端を発した未曾有の不景気が日本を遅い、就活の状況は一変しました。それにしても、この急展開は早かったです。

テーマ:生活の中で - ジャンル:ライフ

学生時代は映画ばかり観て過ごしました。授業にはあまり出ませんでした。しかし学校が理科系でしたので、それでも数学と力学だけはかなりハードにやりました。情けないことに今ではすっかり忘れてしまい、足し算にも四苦八苦する有り様ですが、これらの基礎があって論理的思考法が身に付いたのではないかと思っています。

28歳までは、今でいうフリーターをしていました。ある目的があったからですが、その目的は結局実現しませんでした。将来に希望が見出せず、深い挫折感を味わいました。食べることもままならず苦しい日々が続きました。ウェイター、バーテンダー、カラオケスナックのボーイ、デパートの包装係、彫刻のヌードモデル、映画館のフィルム運び、映写技師などをして糊口をしのぎました。

28歳になって、ひょんなことからデザイン会社に就職できました。職種はコピーライターです。社会に出るのが遅過ぎたのをカバーしようと、死に物狂いに仕事をした結果、短期間のうちにコピーライティングだけでなく、デザインも、企画も、それなりに出来るようになっていました。しかしまだ自分に、自信は全く持てませんでした。

3年を待たず、31歳の時に独立し、今につながる会社を立ち上げました。というと威勢よく聞こえるかもしれませんが、実態は勤めていた会社の社長と意見が合わず、辞めざるを得なくなった、というのが真相です。さあ、どうしよう。失業当初は近所のコンビニでアルバイトでもしようか、と真剣に考えました。

ところが、思わぬことが起きました。失業して悶々とした日々を送っていたときに、辞めた会社のクライアントだったある社長さんから、突然電話が掛かって来たのです。「君が辞めたということを聞いたものだから」と、その社長さんが言われました。そして私に、最初の仕事を下さったのです。

「どうして私に?」と尋ねると、その社長さんは「あの会社で、出来そうな人は君しかいなかったから」と仰られたのです。びっくり仰天です。感謝するとともに、つくづく「どこで、何を、どう見られているか、解らないものだ」と思いました。これをきっかけに、今につながる会社を興したのです。そう、ムボウとキボウは一音違いなのです。

最初の5年間ほどは、グラフィックツールを作る仕事の傍ら、数多くの販促企画を立案しました。来る日も来る日も、企画書を書きまくりました。しばらくして「何か特徴を持たないといけない」と考えて、マーケティングの世界に入っていきました。いま考えるとよくそんなことが出来たなと思うのですが、そこは若さです。何の経験も素養もないのに、突如マーケティングの仕事を始めました。マーケティングというと即「市場調査」と思われる方が多いようですが、私はいきなり「新商品開発」や「新事業開発」のサポート業務から始めました。

ですから、実は私はきちんとしたマーケティングの教育というものを受けておりません。恥ずかしながらすべて独学でやってきたのです。しかし独学で良い点もありました。他の人が打ちたてた理論や、業界常識、言葉といったものを、鵜呑みにしなかったことです。「観たり、訊いたり、験したり」が私のやり方で、そうして納得できたことだけを、「自分の言葉」で語るようにしてきました。

他の多くの業界同様、マーケティング業界でもしょっちゅう「流行語」というものが登場します。しかし私は、「流行語」を使うことに対しては、少なからず抵抗感がありました。言葉というものは「概念」に付けられた名札です。ですから、「流行語」を使うとその語が意味する「新しい概念」までも取り入れたような錯覚に陥りがちなのです。その結果、なんら具体的なアクションを起こすことなく、言葉だけを消費して終わってしまうというケースが実に多いのです。

さてマーケティングの世界に首を突っ込んでしばらくしてから、しだいに流通に興味を持つようになりました。これは後から解ったことですが、メーカー・マーケティングと流通マーケティングは、業界がはっきりと分かれていました。マーケティング・コンサルも、両者で分かれていたのです。出来るだけ高く売りたいメーカーと、出来るだけ安く仕入れたい流通は、いわば仇同士でした。お互いを必要としながらも、まるで仲の悪い夫婦のような関係だったのです。

しかしこれはオカシイと、私は思いました。お客の側からすれば、メーカーと流通のどっちが優位か、などといった話は関係のないことです。お客にとっては、自身の問題解決と、それに対する満足が得られることだけが関心事です。だとすれば、メーカー⇒卸⇒小売といった従来の枠組みを前提としてマーケティングを考えることは、不毛だと思うようになりました。

そこから、購買の接点(=店)を中心に考えることと、客にとって何が「価値」か、ということを追究するマーケティングへと、視点を変えて行ったのです。最初に物ありきで「さあ、どう売るか」と考えたり、逆に今の売場で「売れる商品は何か」と考える視点を捨てたということです。これは後に、『ライフスタイル・マーケティング』の提唱へと繋がって行きました。

「ライフスタイル」に着目したのは、90年代初頭にアメリカの流通事情を視察に行ってからです。当時のアメリカは小売業の一大変革期にあり、従来の「業態店」とは違った新しい提案のお店が次から次へと誕生していました。そのワクワクするような楽しさに満ちた売場、小売業のダイナミズムに圧倒されて、私は日米の彼我の差を痛感しました。そして私は、日本にもやがて「ライフスタイル」時代が来ると、確信しました。

それからの10年間。私は「マス・マーケティング」の対抗軸として「ライススタイル・マーケティング」を掲げ、これを提唱してきました。そして2004年には、それまでの考えをまとめた著書『ライフスタイル発想からビジネスは変わる』を上梓しました。この内容の一端はホームページの別の箇所に記載しましたので、ご興味のある方はお読みください。

80年代末から、企業では「マス・マーケティング」に対する限界論が囁かれ始めており、その解決策として当時、『分衆論』『少衆論』が提示されていました。これは、一枚岩と見ていた「大衆」をある特定の条件や趣味思考、行動様式によっていくつかに分けるというもので、今日「クラスター」理論としてマーケティング業界では一般化されているものです。

しかしこの『分衆論』『少衆論』は、いずれもメーカー・マーケティングが専門である大手広告代理店の研究員による発表でした。そのことから言えば、大衆というパイを上から見て市場を分割していくという発想自体は、『大衆論』とあまり変わりが無かったのです。私はそうではなく、「この指とまれ」と繋がっていく市場のあり方、またその際の「価値」に「ライフスタイル」視点を置く、ということを提案したいと思いました。

しかし私のこの発想法は、大企業(特にメーカー)には向いていません。大企業は、その後のIT革命とグローバリズムの二大潮流に晒される中で、「マス・マーケティング」の限界を、『分衆論』『少衆論』どころか、もっと「マス」になるという方法で乗り越えようとしました。これが2000年代に入って活発化した、国際競争、弱肉強食、合従連衡の動きです。

ところが、2005年以降、また別の変化の兆しが顕れて来ました。ホリエモン、村上ファンドの行き詰まりに象徴されるように、マネーゲームには綻びが見え、利益追求を優先した結果の各種「偽装」問題や、「派遣労働」問題が明らかにされるようになりました。また地球規模での環境問題に対する危機意識もかなり高まってきています。こうした中で、最もしっかりしなければならないはずの政治は混乱し、官僚支配の膿が各所に出始めています。

私は、これらはみな「よいこと」だと捉えています。隠されていたものが表に出る。それによって人々の中に気づきが起こり始めています。ニセモノやサギが横行する世の中で、いま人々は「本当に大切なものは何か」と考え出しています。

最近になり、私は「価値」の提案をもう一歩進め、その価値は「幸福をもたらすものであらねばらならない」と強く思うようになりました。これは追究すると大変難しい課題です。しかしこれまで無条件に「価値」と考えられてきた、「便利であること」「新しいこと」「贅を極めること」「皆と同じになること」などは、見直されなければならないと考えます。

その上で、幸福を考える。幸福を与える「価値」を考える。そのヒントや方法をこれから提供して行きたいと考えています。
会社も人も、良いことばかりや、逆に悪いことばかり、ということはありません。ですからここに病歴も記しました。私にとって病歴はとても重要です。その度に人生観が変わってきました。まだまだ勉強中、発展途上です。

これまで、死にそうなほどの大病をしたことはありません。小学生のときに一度事故で死にかけましたが、救命措置によってこの世に蘇生しました。しかし子供の頃から、なにかしらの不調をずっと抱え続けています。一つが解決すると、また次の不調がやってきます。これらの病歴は、その都度、自分の行動や思考や縁を大きく変えるきっかけの役割を果たしてきました。

もちろん病気中は辛いです。病気に取り込まれていますから、思考や精神状態もおかしくなってしまいます。しかし一つの病気を克服できたとき、自分のカルマも一つ解消され、少し成長しているらしいことが解って来ました。小学生の時に蘇生したのは、「まだやるべき使命があるよ」という、神の計らいだったと思っています。

20代のころは、胃腸病と喉の痛みに悩まされました。これはカルマ的には感情のコントロールがうまく行なえず、空虚感や厭世観が非常に強かったことが原因です。また30代前半ではギックリ腰、30代後半では神経痛、関節痛に悩まされました。これは自分が気分屋で、いろいろなものに感謝が足りなかったことが原因です。

40代になってアトピー性皮膚炎と関節リウマチになりました。これは仕事のし過ぎで体への労りが足りなかったことと、理屈偏重で心に余裕がなかったことが原因です。40代半ばには、寄生虫感染で入院しました。これはくいしんぼで食い意地が張っていたからです。このころは一日5食を食べていました。(今は2~3食)

40代後半には、鬱病とパニック障害を患いました。以前、会社に面接に来た女性が「夫がパニック障害で‥‥」と言われたことがあり、「へえ、世の中にはそんな病気があるんだ」と思っていました。まさか自分が罹るとは思ってもいませんでした。この時には朝起きても布団から出ることが出来ず、不安感と自殺願望を抑えるために、夕方4時くらいになるとお酒を呑み出して誤魔化していました。

これは更年期障害という年齢的なこともあったと思いますが、カルマ的に見ると、世俗的なことを忌避するようになってしまったことが原因だったようです。ところが50歳を過ぎて、こんどは妻が胃癌になってしまいました。愛情のもつれが原因です。私は妻の看病をしなければならなくなり、自分が「鬱病だ」などとは言っていられなくなりました。

ムリヤリ布団から起こされた感じです。でもそれがあったことで、自分の鬱病は快方に向かいました。しかし10ヵ月の闘病生活も空しく、妻が死んでしまいました。深い悲しみを味わいました。この後、看病生活の疲れからか、緊張性筋炎症候群に罹りました。全身が痛くて、体が動きませんでした。筋炎も更年期障害の一つの顕われのようです。

緊張性筋炎症候群は3ヵ月ほどで治りましたが、その後、耳鳴りが止まらなくなりました。現在はこの耳鳴りと、無胃酸症と、アレルギー体質と視力低下が悩みの種です。耳鳴りは24時間頭の中をジェット機が飛んでいます。冬場に日照時間が減って鬱が出始めると、なるべく気にしないようにしていた耳鳴りも煩わしくて、自暴自棄気味になってしまいます。

改めて病歴を振り返ってみますと、自分の弱い面、悪い心グセがあぶりだされてきます。今も、酒で誤魔化すという傾向が多少あります。エヘヘ。しかしラッキーだったのは、その都度、助けて下さる方に出会えたことです。諦めずに模索していたところ、そういう縁が生じたことです。そして病気になる意味も、原因も、経験を積んでしだいに解ってきました。

だから今は言えます。「病気さん、ありがとう」って。

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Author:imanari munekazu
このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

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