LOTUS STUDIO BLOG
これから何が起こるか。我々は何をすればよいのか。
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今日は、政党のネーミングというものを考察してみたい。たぶん日本中で、こんなことをやってるのは私だけでしょうが‥‥。

先日、こんなことがあったのだ。得意先である某会社が新しいブランドを出すというので、最初のネーミング案を私が提出した。しかしそれはすぐに却下され(トホホ)、得意先が出してきた案に決まった(クライアント様には逆ラエマセン!)。でも、そのネーミングには危惧する部分があった。音で数えると、10音と長かったのである。

こういう場合は、呼びにくいので、自然と「略称」が出来上がるものなのである。ところがそのネーミングは、略称にしたときにあまりいいイメージの言葉をつくらなかった。だからその点で(いいのかなー)と内心思っていたのである。しばらくたってその会社へ行くと、なんと社内の人間が、私が危惧した略称を使って会話していたのである。(ああ、やっぱりネ)と思ったがもう遅い。

ネーミングは通常、意味や字面ばかり重視される傾向があるが、それよりも大事なのは、実は「音」の数なのである。このことを知っていただきたい。これが記憶と、伝播に重大な作用を及ぼすのだ。極端な話、意味などどうでもいい。あなたは『ポカリスエット』の意味が解りますか? (どういう意味だろう?)と考えたことがありますか? 解らなくても使っているでしょう。そんなものなのですよ。

それでは解説しましょう。抑揚で読ませていく英語とは違って、日本語には抑揚があまりない。ところが、日本人は、どうしても五・七に収まりのよさを感じてしまうのである。俳句や短歌で、刷り込まれていることもあるだろうし、日本語そのものが、五・七調となった時の心地よさを、言葉に内包しているのかも知れません。まとにかく、五・七が心地よい。だから、「音」で五か、七の数にネーミングを設計するのが鉄則なのだ。

ここで「音」の数というのは、母音の数と考えていただきたい。たとえば「ありがとう」は、a_ri_ga_to_uであるから5音となる。「ありがとう」と話してみると、そこに心地よいリズムを感じないだろうか? 基本はこのように数えるが、長音は臨機応変で、1音に数えたり数えなかったりする。たとえば「ありがとう」も、a_ri_ga_tohと読むと4音となる。これでも悪くはないのだが、a_ri_ga_to_uと5音で読ませるようにした方がよりしっくり感じるのが解るだろう。

また、「ん」は、通常1音で数えるが、前の語と連続して数えた方がしっくりくる場合は、そのようにする。たとえば「キャンキャン」はkya_n_kya_nでもよいが、kyan_kyanと2音で数えた方がより自然であろう。この辺りは臨機応変にする。

さて、音がしっくりくる数は、5と7が最右翼となるのであるが、では4以下、8以上はどうであろうか?
4・3・2音は、基本的にすべてOKである。1音というのはリズムがないから、ネーミングとしてはやめた方がいいだろう。字面で一語であっても、音では2とか3で読ませる言葉にするべきだ。たとえば、サに∧を被せて「ヤマサ」と読ませるなど。

一方8音以上はどうであろうか。8音以上になると、なんとなくしっくりこないので、人はそれを縮めた「略称」で呼ぶようになる。これは放っておいても自然とそうなってしまう。だから、ネーミングの設計に当たっては、8音以上となった場合は、「略称」をあらかじめ充分検討しておく。そして「略称」が、2・3・4・5音になるように何度も確かめてみる。
では6音はどうか。6音はしっくりこないので避けるべきだろう。

と、ここまでを前提として、各党のネーミングを見てみよう。

自民党 ji_mi_n_to_u 5音
民主党 mi_n_shu_to_u 5音
社民党 sha_mi_n_to_u 5音
この3つは、すんなり5音で読めるのでよい。

公明党 koh_me_i_to_u 5音
共産党 kyoh_sa_n_to_u 5音
この2つは、最初の音を長音として読ませると、5音となって耳障りがよくなる。だから意識してそう発音するとよい。

国民新党 ko_ku_min_si_n_to_u 7音  又はko_ku_min_sin_toh 5音
新党日本 si_n_to_u_ni_ppo_n 7音  又はsin_toh_ni_ppo_n 5音
この2つは、7音でも、5音でも読めるから、これもよい。
読ませるときは、国民新党の場合はsin、新党日本の場合は、ni_ppoにアクセント置くようにするとなおよい。

改革クラブ ka_i_ka_ku_ku_ra_bu 7音
これは7音にしか読めない。音の数としては良いが、カ行が4つもあり、早口言葉のような難しさがあるのが気がかりだ。逆に言えば面白いとも言えるが、改↑革↓クラ↑ブ↓と、上下の抑揚を意識するとよいだろう。

みんなの党 mi_n_na_no_toh 5音  又はmin_na_no_to_u 5音
読ませ方としては、このどちらかである。そうでないと、6音になってしまう。しかしあんまりいいネーミングではないなぁ。コンセプトが不明だから。みんなの党は選挙後の政界再編を語っているが、ネーミングメソッドからみても、いずれ消えてしまうネーミングだと思う。

幸福実現党 ko_u_hu_ku_ji_tu_ge_n_to_u 10音
これは、このままでは10音である。また字面を見ると漢字で5文字もあるので、略称が欲しくなるネーミングではある。その場合は、「幸実党」か、「幸福党」と呼ばれることになるだろう。どっちにしても、あんまりよいネーミングとは言えないね。
だから、
koh_hu_ku_ji_tu_gen_tohと、7音を意識してリズミックに読ませないと、難しい。

と、まあ今回は音の数だけをみてきたのですが、ネーミングメソッドには、まだ
終音の治め方
破裂音と濁音の活用法
男性型と女性型
などがある。

これらについては、また機会があればお教えしたいと思います。ではでは。
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最近電車に乗っていてある事にお気づきではないだろうか? ルイ・ヴィトンのバッグを持っている女性をとんと見かけなくなったのである。

一般にファッションブランドというものは、次の宿命を持っている。「流行」となることでそのマーケットは拡大するが、流行り過ぎると、今度は一転そっぽを向かれるのである。要するに「同化」と「異化」という矛盾のせめぎ合いが、ファッションブランドが持つ宿命なのだ。

あるブランド(=スタイル)に「カッコいい」という評判が出始めると、人々はその「カッコいい」お仲間に自分もなりたいと希求する。そして、そういう人々が増えてくることで市場に「流行」が形成される。この時、実際一時は「カッコいい」と周囲から見られるのだが、その流行を取り入れる人があまりに多くなってくると、今度は「あんたまだそんな格好してるの? ダサー」と言われてしまう。

ファッションは、他人と違うセンスを見せたい(=異化)。そのセンスを評価されたい(=同化)。真似する人が多いことは最大の評価(=同化)。同じ服を着ている人と街ですれ違っちゃった、ああ恥ずかしい(=異化)。という自己矛盾、自己否定のライフサイクルをめぐって動くものなのである。

このため、ファッション市場では常に次のことが言われる。「流行の立ち上がり端を捉えて、飽和になる前に手を引け」。しかし、こうした「流行」を故意に追わないファッション市場もある。それがライフスタイル・ファッションである。(ただし厳密に言えば、ライフスタイル・ファッションといえども、流行の影響は少なからず受ける)

ルイ・ヴィトンは高額所得者層のライフスタイル・ファッションを演出するブランドであった。(いや、ルイ・ヴィトンに限らずアパレルの高級ブランドは、みな特定のターゲットを相手にするライフスタイル・ファッション・ブランドだと言っていい)ところが日本においては違ったのである。ルイ・ヴィトンやバーバリーは女子高校生が「同化」したいがために持つブランドとなったのだ。つまりルーズ・ソックスと同じだったのだ。

このことの危険性を、もちろん本国のマネージャーたちは先刻承知だった。だからフランスなどでは、日本人観光客の入店を内心苦々しく思っていたのである。しかし東洋の国「ジャパンで起きることは勝手にしておけ」と思っていたのだ。「あいつらは本当の価値など解っちゃいないが、この売上を見ると背に腹は変えられないからな」が彼らの本音だ。

アパレル関係者の話を聞くと、NYのさるブランドなどは、売上の7割が日本市場なのだという。そのことを日本人は知らないで、NYの先端ファッションだと思い込んで買っているわけである。ヨーロッパのブランドでも、3割から5割は日本市場で稼ぎ出しているという。

これと同じ現象が、いま銀座で起きている。銀座をちょっと歩いてみるといい。アジアのお金持ちが、大挙して銀座に買い物に来ている。「ファンケル」のショップが銀座にあるのも、アジアでは人気の高いブランドで、そこがフラッグシップ(旗艦店)になっているかららしい。

話を元に戻すと、これまで日本では異常なファッション・サイクル消費によって、次々と高級ブランドが話題に上っては消えていく、ということを繰り返してきたのである。そんな中にあって、ルイ・ヴィトンだけは別格であった。次元の違う売上と継続性を示していたのである。ところが、そのルイ・ヴィトンも、とうとう息切れし始めたようである。

ある女性に聞いてみたところ「もう、恥ずかしくて持てない」という。この女性はよく解っていて、要するに「本当に持つべき人ではない人が持っているから、そういう人たちと同類に見られるのが恥ずかしい」と言った。

これはブランド・ビジネスにおける重要な示唆である。つまり、それを持つに相応しい人以外の人たちにまで浸透し始めたら、そのブランドには「危険信号」が点っているということなのだ。「いま売れている」ことに喜んではいられない。

また脱線してしまうが、少し前、麻生総理大臣がホテルのバーで飲食していることを「庶民感覚がない」と揶揄する報道があった。しかし総理大臣がチェーンの居酒屋で一杯やっていたとしたら、逆にそれこそおかしい。ホテルのバーを日常的に利用できる人は、利用する生活が相応しいのである。またそういう人がいなければ、ホテルのバーも成り立たない。

相応しい人が、相応しい消費生活を送ることが第一。売る方は、その人たち以上に広げないことが第二。これがブランド・ビジネスにおいては重要なことである。この鉄則を、ヨーロッパの伝統ブランドは、本来解っていたはずである。ところが、女子高校生が高級ブランドを買うという異常な市場が日本にポッコリ出来たことと、市場原理主義とグローバリズムが高級ブランドにも入り込んだおかげですっかり狂ってしまった。

高級ブランドにとって、かつてのルイ・ヴィトンのように、<もっと売りたい>は抗し難い魅力のようだ。ちょっと人気が出始めると、高級ブランドはたいていモノグラム(ブランド記号模様)を展開する。確かにそのことで爆発的に売れるだろう。しかし私に言わせれば、モノグラムを出した時が「死」の始まりである。

なぜなら、モノグラムを買う人は、その解り易い「記号」が欲しい人であって、そのブランドの「世界観」に浸りたい人ではないからだ。「それを持つに相応しい人」以外を最初から狙った戦略であるからだ。これでは、そのブランドを本来愛していた人たちは裏切られた思いがして、やがて去っていってしまう。

しかも、「記号」を買った人は、その「記号」が解り易いがゆえに、「同化」「異化」のライフサイクルをあっという間に消費してしまう。その人たちは、もともとそのブランドのファンではないのである。だからモノグラムが一巡してしまえば、次を買うことはない。こうして浮動客も、本来の固定客も逃してしまうことになる。

ファンに支ええられている飲食店は、それ以上儲けようとはせず、「雑誌取材お断り」であることの意味を、よくかみ締めて欲しい。

追記:この記事を書いた後、ルイ・ヴィトンの銀座への大型店出店計画が白紙撤回されました。報道では2008年1〜9月までの売上高が前年同期比7%減と出ていましたが、私はそんな程度ではないと見ています。重要なことは、もう買う理由がないということなんです。ラグジュアリーブランドの構造がバレてしまっている、ということなんです。

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このコーナーでは、時事の話題に触れながら、意見、雑感等を不定期に発信してまいります。

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